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「……ふぅ」


 フィオネは甘い香りを漂わせる紅茶を一口、口に含み息を吐いた。

 紅茶の香り、ちょうどいい温かさはフィオネの心を癒やした。

 執事が置いていった紅茶を飲み干し、机に静かに鎮座するいくつかの本を膝に乗せる。

 それらは、フィオネの母が生きていた頃、寝る前に話してくれた物語の数々だった。


(お母様……)


 唯一、母だけがフィオネを名前で呼んでくれていた。

 他の者は、フィオネを「姫様」としか呼ばない。父親ですら、名前を呼んだことはなかった。

 それはつまり、フィオネを必要としているのではなく、「王女」として必要されているのだということに、世間に疎い彼女でも気が付いていた。


(お母様……一目惚れってほんとにあるのかしら?)


 フィオネは、膝の上の本のページを捲りながら、天国にいる母へと語りかける。

《ラザリュス神話》《星の海の人魚姫》《ユリアーナの花》《ガラスの薔薇》……

 どれもフィオネは好きだったが、その中で一番のお気に入りは話を暗記する程読んだ、

《ユリアーナの花》だった。

 読むたびに涙が零れ、胸が張り裂けてしまいそうになる物語だが、思い出深い本だった。

 前妃、フィオネの母が健在の頃、一人の騎士見習いと逢った。

 歳を重ねるたびに幼いころの夢物語だったかのように思えるが、鮮明に覚えているのは、彼の瞳だった。空のように海のように透き通った青色の瞳をしていた。

 その時の彼はまだ、声変わりのしていない少し高い声で、《ユリアーナの花》の話を聞かせてくれたことがあった。

 ふかふかの草と花の絨毯、温かく降り注ぐ陽の光、フィオネの母の優しい笑顔、そして、騎士見習いの彼の綺麗な声と綺麗な瞳……

 騎士見習いの彼は、戦争に出ることを理由に名前を教えなかった。

 それでも、名前がないのは不便だと言うと、好きな名前で呼んでくれと言われ、フィオネはオルコットと呼び、彼は姫様と彼女のことを呼んでいた甘い過去。

 そんな日々を彼女は一度たりとも忘れたことはなく、その出逢いこそが初恋だった。


「……懐かしいわ」


 もう逢うことのできない二人を想い、フィオネは目を瞑り過去に思いを馳せた。


 同時刻、暗闇の中でくしゃみをした男がいたことなど、知るよしもない。


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