まちがいさがし

 内教坊ないきょうぼう妓女ぎじょたちが、宮中に通ってるのか、住んでいるのか、わかんなかったんですが、延喜式えんぎしき(平安時代の法律集)で、毎月のお米の支給・20こくって、フツーに食べるためなのか?お給料なのか?役所ごとの割り当てで、粳米うるちまい(もち米)とか小豆とかあるので、住んでたのかなあ?

 衣替えの支給で、「内教坊 未選 女嬬 五十人」って、他の役所を見ると、課長3人、部長5人、係長10人、社員30人、みたいな書き方なので、「いまえらばず」は、「役職ごとに人数は決めていない」って意味じゃないかと思うんですが、女嬬にょじゅ(下級女官にょかん)だけで五十人なら、妓女は何人、いるんですか~って思ったら、「内教坊 命婦みょうぶ已下いか 一百人」って、出て来たよ!「命婦(中級女官)以下、百人」って、多すぎだろ。


 延喜式に、官庁の職員の人数内訳も書かれているんですが、ひとつの官庁で、百人とかって、ウソだろって思うんですけど。それ言ったら、いくさで、一万騎とかって、ウソだろって、私、思うんですけど。馬が一万匹いたら、野原一面、草を食べ尽くしちゃいますよね。あと、馬糞がすごすぎだろ。

 一説によると、騎馬武者+従者数名の合計人数らしいですが、それにしたって、一万人って、日本武道館が満員よ?私は、「百」を「万」って、言ってるんじゃないかと思うよ…


 仕方ないので、100人は、内教坊の最大定員ってことにして、宮中に住んでて、今現在は、妓女ぎじょ30人。女嬬にょじゅは20人ってことで、「合わせて50人」ってことにしました。

 妓女たちは、お互いをあねおとうとと呼んでいたらしいです。


 紀貫之きのつらゆきが、内教坊の妓女と紀望行きのもちゆきの子というのは、史実です。

 望行は、「茂行」と書かれることが多いんですが、「有朋」の弟なら、「月」の入っている「望」の方が、合ってるんじゃないかと思うんだよね…。それ言ったら、有朋も「有友」と書かれることもあって、でも、これはね、紀氏の皆さんは『論語』から名前をとっているので、「朋、有り」で、有朋が本当だと思うよ。


 紀貫之の父・紀望行の職業は、ウソです。貫之が、お祝いの屏風びょうぶの歌を、たくさん詠んでいたのは、本当で、褒美ほうびはもらってると思うんですよね。そんで、お祝いの宴会で、友則がタダ酒タダ飯を食らっているにちがいない。

 紀有朋、紀友則、地方公務員説も、ウソです。まあ、二人とも、土佐の下級役人に任命されている記録はあるんだけどね。紀夏井きのなついが土佐に流されたり、紀貫之が国守になったり、紀氏が土佐に行かされる理由は、後々、書きます。


 平安時代の結婚は、「妻問婚つまどいこん」という、「妻の家に夫が通う」という状態が基本になります。子どもは基本的には、妻の家で育てられます。と言っても、産んだ母が育てるのではなく、身分の高い家では、乳母(めのと・うば)が育てます。

 一夫多妻制なので、夫は、妻の家に毎日、必ず帰るというわけではなく、あっちこっちの妻の家に通うので、『蜻蛉日記かげろうにっき』を書いた藤原道綱ふじわらのみちつなのははさんが詠んだ

「嘆きつつ ひとりの くる

 いかにひさしきものとかは知る」


 あなたが来ない来ない来ない来ないって、メンヘラ起こして、独りで寝てる夜の明けるまでが、あんた、どんだけ長いか、知ってる?知るわけないよね!


 という百人一首の歌のような事態が起きるわけです。

 『蜻蛉日記』は、令和的に言えば、「サレ妻のつぶやき」だからね。どうなるんでしょうね、Twitter。じゃなくて、X。異論マスク(たわら万智まち先生様、やっぱ天才でございます。)は、X JAPAN知らんのか。

 ちなみに、藤原道綱ふじわらのみちつなのははさんも正妻ではないので、「愛人?号のつぶやき」が正しいアカウント名ですな。Wikipedia見たら、愛人8号までいたよ。


 そんなつもりはなかったんですが、母と子の話になってしまいました。元ネタは、『源氏物語』で、明石の上の身分が低いから、生まれた女の子は、紫の上に養育されるんですね。明石の上は、つらかっただろうけど、紫の上も、つらかっただろうと思うんですよ。彼女自身が、子どもを産んでいないのなら、なおさら。

 一夫多妻制が当たり前の時代だったとしても、ヤな気持ちは、変わらないんじゃないかなあと、私は思います。

 時代小説や時代劇の中で、女性を書く時、「現代のジェンダー観を持ち込むな」って、よく批判されるじゃないですか。私も、その意見には賛成なんですが、現代と「気持ち」の部分は、変わんないと思うんですよね。ただ、その「気持ち」の部分を、「思想」として表現しちゃうと、いやいや、当時の人、そんなこと考えてないから。と思う…

 大河ドラマで『慈愛の国』って思想をブチ上げられると、何じゃ、そりゃ。って思うじゃないですか~。「武田と戦をして、殿に、信康に死んで欲しくない」って気持ちで、瀬名が武田氏に取り込まれてしまうって展開なら、わかるわかるって思いません?


「心の闇」ってゆーと、令和時代ではサイコパスが抱えるものですが、元々は、親が子を思う気持ちだったんですよ。

 紀氏系図を見たら、貫之に兄か弟がいたので、慌てて設定を付け足しました。

 紀友則のお母さんの話は、次の話に出て来ると思います、多分。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】才なき子 善根 紅果 @yamaga-ruri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説