イヴリン・ヴァグナー

 人気のない錬兵場でひとしきり泣いて、デボラに一方的に打たれた場所が思い出したようにしくしくと痛み出しはじめた頃、涙で濡れた頬を袖で拭う後ろ姿にかけられる声。


 「ティリー」


 振り返ると、背の高い山岳兵の男が木箱を片手に錬兵場へ入ってくるのが見えた。


 「イヴリン君・・・」


 泣きはらしたティリーの顔を見て、男の黒い瞳が苦し気にゆがむ。


 「そこでカルメンさんと会って、今日の鍛錬が終わったって聞いたから・・・」

 言いながら足早にティリーの元へ駆け寄る。木箱を片手に持ち直し、空いた手でそっと涙で濡れた頬を撫でるようにした。その心から労わるやさしい仕草に、ほっと力が抜け新緑の瞳から再度涙があふれて零れ落ちる。

 「デボラにやられたのか?ひどいな・・・痛むだろう?かわいそうに」

 手を引かれて、観戦用のベンチに座らせられた。男は木箱の蓋をあけ、傷薬を取り出す。


 イヴリン・ヴァグナー


 ヴァルカン山岳兵団の五大軍人貴族、ヴァグナー一族の長子で、近々当主を引き継ぐことが先日発表された。

 ティリーとは二つ違いの幼馴染で、同じ直系の長子で軍人貴族の後継者同士、子供の頃から仲が良かった。ずっとティリーを妹のように可愛がってくれて、いつもティリーの気持ちを尊重してくれて。王立学園に入学した後も、同じ兵団の子供たちと争うのが嫌で鍛錬に参加したくなくて、抜け出しては街で花を売る祖母の手伝いをしていたティリーを、咎める周囲から守ってくれた。

 傷の手当を受けながら、ティリーはてきばきと動く自分よりひとまわり大きいイヴリンの手を見つめる。

 赤褐色の髪に日焼けした肌の色。気づかぬうちに見上げるほど背も伸び、随分大人びた表情をするようになった。

 ヴァグナー一族とバルベルデ一族は昔から仲が良いほうではなかった。イヴリンも一族の人間から、バルベルデ一族と関りを持つことを禁じられているらしく、成人してからは子供の頃のように一緒にいることはできなかったが、今でもこうして人目を盗んでティリーに会いに来て世話を焼いてくれていた。そんな二人が異性として想いを寄せ合い、恋人になるのは自然の流れで。

 それでも。


 ティリーの目から涙がこぼれる。

 握りしめた手の甲に滴り落ちる涙に、イヴリンは手を止め、ティリーの顔を覗き込む。


 「ごめん、痛むよな・・・?」

 心配そうに問う声に、うつむいたままティリーは頭を振る。


 「違うの、ごめんなさい。・・・私、自分が情けなくて」


 自分にもし、デボラの半分・・・いや、四分の一でも才能があったら。もう少しまともに打ち合えることができたら、ヴァグナ一族の人たちは、イヴリンの家族は自分とイヴリンが付き合うことを反対しなかったのではないだろうか。

 ヴァルカン山岳兵団は世襲制だ。その一家の長子が家督を継ぐことを義務づけられている。

 イヴリンもティリーもよりによって一族直系の長子同士であり、恋人となっても婚姻を結ぶことは、どちらかが後継者の座を降りない限り不可能だ。たとえティリーが後継者を降りても、一族直系は特に強い血を残す婚姻を義務づけられている掟の中、兵団最弱と言われている人間が家長の嫁ともなれば・・・歓迎されないことは容易に想像できた。

 なので二人の関係を知る、両者一族の人間はこの交際に反対していた。

 バルベルデ一族の人間は、ティリーの弱さに失望し、恥さらしだと非難する。

 ヴァグナー一族の人間は、イヴリンの盲目的なティリーに対する思いは同情だと諭し、ここ最近は当主交代の時期もかねてたくさんの縁談を持ってきているという。


 「ティリーは頑張っているじゃないか。情けなくなんかない」


 一通り手当を終わらせ木箱に薬をしまいながら、イヴリンは首を振った。

 「まったく、デボラのやつ・・・もう少し手加減すればいいものを」

 

 ありがと、と小さい声で礼をいい、ティリーはイヴリンに頭をさげる。イヴリンは笑って片手でティリーの頭をやさしく撫でた。

 「ま、顔に傷をつけないだけまだ気を使っているのかな。以前あいつと手合わせしたら、斧の柄で頬を殴られて、一週間腫れがひかなかったんだぜ?まったくあいつ、得物を手にするとまるで狂犬だな」

 「ええ??頬を?」

 びっくりしてティリーは顔をあげ、イヴリンの顔を見返す。ほら、ここ。と少し顔を傾けたイヴリンの頬をそっと両手で包み込んだ。引き締まった頬をなぞる指先に、くすぐったそうにイヴリンの黒い瞳が細められる。

 「大丈夫、腫れはもう引いているから。あんな顔、カッコ悪すぎてティリーに見せられないよ」

 「だからしばらく姿見せなかったの?」

 「うん。ごめんな?会いたかったんだけど・・・」

 バツ悪そうに眉をさげるのに、ティリーは思わず噴き出した。それに嬉しそうに微笑みイヴリンはティリーの頭を抱き寄せる。

 「良かった。少しは元気でた?」

 「うん。ありがとう・・・」

 ぎゅ、と両腕を背中に回し、抱きしめ返す。イヴリンの大きな手がティリーの髪を撫でた。


 「本当に辛いなら・・・家督はリオンに譲ればいいんだ。いくらダット師匠が誓約つきの遺言残しているっていっても、先代のアスラン兵団長は俺たちを認めてくれていたのに」

 「・・・イヴリン君」

 怒ったような口調のイヴリンの胸の中でティリーは弱弱しく頭を振る。

 「ダメなの。"ジェダイト"に選ばれた限り・・・その役目を全うするのが一族の決まりだから」

 「ティリーはティリーだ」

 イヴリンの手がティリーの頬を包み込む。

 「俺はティリーにはいつも幸せに笑っていてほしい。本当は・・・武器なんて持たず花に囲まれて生きてほしい。俺が父親から家長を譲り受けたらだれにも文句は言わせない。だから俺を信じてもう少し待って?約束する」

 俺が、護るから。

 そう囁かれて、ティリーは泣きそうに顔を歪め、そして微笑んだ。


 ***

 ここまでお読みいただき、感謝します。

 で、すみません(;'∀')ちょっとプロットを変更したい部分が出てきまして・・・更新をしばし止めます。

 そう長くかからないうちに再開できると思うのですが。お待ちいただけたら嬉しいです。

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