第二章 ヴァルカン山岳兵団の日常
ティリー・バルベルデ
ガン!
ガキィン!
ヴァルカン山岳兵団の拠点である、エセルの砦。
巨大な岩の要塞を越えた先にある兵団の錬兵場に響く、武器が激しくぶつかり合う音。
「目をそらすな、ティリー!もっと踏み込め!」
ゲレスハイム家当主、カルメンの怒声に周囲の兵団兵も歓声をあげる。
「行け、デボラ!やっちまえ!」
キィン!
小さい悲鳴とともに、手から斧が弾け飛ぶ。
風圧に押され、そのまま跳ね飛び地面に転がる華奢な身体。
ふわり、と綺麗な金髪が空を舞う。
「そこまで!勝者、デボラ!」
勝敗を告げる審判の声に、一部では歓声が。一部ではため息とともに落胆する声が。
(あ~あ、バルベルデ家当主になろうってのに、こうも歯がたたないとは情けない・・・)
「・・・」
よろよろと身を起こし、ティリーは自分の前で軽々と大斧を片手で振り、地面に突き刺す対戦相手を見上げる。
全身汗だくで、打ち身と土まみれでドロドロな自分に対し、相手、デボラ・フォン・ゲレスハイムは汗をかくどころか、息ひとつ切らしていない。
少年のように短く切りそろえた黒髪をかきあげ、デボラは泣きそうな顔をして自分を見上げるティリーを見据える。きつめの深紫の眼は冷たく、蔑みの色に満ちていた。
「・・・ありがとう、ございました」
打ち身で痛む身体を無理に立たせ、ティリーはぺこりと頭をさげた。
「ふん」
デボラは鼻で笑い肩をすくめた。
「あのさぁ、お礼言われるほどあんた、あたしの稽古相手にもなっていないんだけど?正直時間の無駄」
吐き捨てるように言う言葉に、周囲の人間は思わず噴き出す。
(相変わらずキツねぇ~デボラは)
(いや、気持ちはわかるよ。あんな一方的にやられっぱなして、ひと振りも返せないじゃ・・・)
(いくら当主代理の依頼とはいえ、時間の無駄だよなぁ)
クスクスわいてくる嘲笑を背に、ティリーの顔が赤くなる。唇をかみしめたままうつむいた。
カルメンははぁ、とため息をつく。デボラは母親であり、ゲレスハイム家当主でもあるカルメンに向き直った。
「当主、もうしわけないけど。向上心のない人間と手合わせするほど、あたしは暇じゃないんです。今度は他の人間あたってください。まったく話にならないわ。まるで弱いものいじめしているみたい」
「デボラ」
カルメンは手をあげる。
「私に言わせれば、お前はただ力任せに"気"を発散しているにすぎない。今のままでは、長期戦では持たないぞ?相手を見て、力量に合わせ"気"を無駄に消費しない戦いを学べと前から言っているはずだ」
「だからって、兵団最弱のペラペラ人間を相手に何を学べっていうんです?こんなんじゃ、少年相手に鍛錬するほうがよほど有意義だ」
地面に突き刺した大斧を片手で引き抜き、難なく背中に下げる。そのままカルメンの静止する声を無視して、デボラはうつむくティリーの横を通り過ぎる。
「あんた、何様?本当にムカつく」
すれ違いざまデボラが吐き捨てるように囁く。
「やる気がないなら、とっとと嫁にでも行って、弟に当主候補を明け渡しな。弱っちいくせに中途半端にしがみついているんじゃないよ」
ビクッとティリーの肩が跳ねる。
大きな新緑の瞳に涙が浮かぶ。山岳兵団ではなかったら、さぞかし異性にうけたであろう綺麗な顔を見返し、忌々し気にデボラは表情をゆがめ錬兵場を出ていった。
*
人がまばらになった錬兵場で、震える手で地面に投げ出された大斧を拾うティリーの背中を見て、カルメンは再度ため息を落とす。
「デボラがすまないね」
「・・・いえ、事実ですから」
一番軽いサイズの鍛錬用の大斧も、両手でないと満足に扱うことができない。
20歳になるというのに、いまだ兵団の試合で一勝もできない自分に、情けなくて悲しくてティリーの瞳から涙があふれて零れ落ちる。
同じ歳のデボラとは、同性でありながら違いすぎるのだ。
体格も腕力も・・・闘争心も足りない。どんなに鍛錬しても筋肉がつかず、細いままの白い腕に目を落とす。
去年、バルベルデ家の当主であり、ティリーの父親でもあるアスラン・バルベルデが50歳という若さで急死した。本来であれば長子であるティリーがその跡を継ぐことになるのだが、周囲の分家の人間はそれに不服を訴え未だ空席のままである。ティリーの弟のリオンは18歳。未だ対抗試合で一勝もできず、兵団最弱と蔑まれている長子のティリーよりもリオンのほうが当主に相応しいと唱える声が大多数だった。
当主代理で、唯一ティリーの理解者でもある母親のラスタ・バルベルデは恥をしのんで幼馴染でもあるカルメンに、ティリーを鍛錬の依頼をして1年が過ぎるが・・・状況は芳しくなかった。
「お前の悪いところは、その自信のなさだ」
カルメンは軽く腕を組む。
「うちのデボラを基準に考えると、同じ年ごろの人間は皆腰抜けだぞ?あいつは自分が強くなることしか興味がないからな。お前は素質がないわけじゃない。ただ自分の力の出し方を知らないだけだ。多くは子供の頃から"気"のコントロールも、魔力変換も鍛錬で自然に身に着けるからな。お前は遅すぎたんだ。だから人の倍以上努力をしなければならない」
「私・・・当主に、兵団長になるつもりは、なかった」
絞り出すように告げる、ティリーの声は震えていた。カルメンはその背中を見つめ、眉を寄せる。
「そうよ、だって・・・」
振り返りティリーは身を震わせた。
「父さん、私に無理に当主にならなくていい、って。リオンに譲るのも構わないって!だって、私向いていないもの!素質ないもの!そんなの、私が一番わかって・・・」
「ティリー」
ぴしゃりとカルメンの声がティリーの叫びを遮る。
「その素質のない人間を、選んだんだのは"ジェダイト"だ。それは覆らない。古からの誓約に基づき、お前はそれを受け入れ、継ぎ手としてバルベルデ家を導いていかねばならない」
「・・・っ、」
「焦る気持ちも、困惑する気持ちも、葛藤する気持ちも理解している。だが、お前はヴァルカン山岳兵団の軍人貴族バルベルデ家の後継者だ。責が重いと逃げるのは簡単かもしれないが・・・今一度良く考えろ。素質や才能など関係ない。"ジェダイト"がお前を選んだ、ということが重要なんだ」
そこにティリーの意思など必要ない、と暗に告げられ・・・ティリーはうつむく。カルメンはぽん、と軽くティリーの頭に手をのせ、軽く撫でる。また明日な、と告げると錬兵場を出ていった。
その兵団の男たちに劣らぬ、がっしりとした逞しい後ろ姿を見送るティリー。
ぽろり、と一筋の涙が頬を零れ落ちた。
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