【色】のない世界

 (ヴィンセント、なにしているんだい?)


 来年ガドル王立学園へ入学を控えたヴィンセントが、母親のビビに連れられてヴァルカン山岳兵団へ訪れた日。フィオンは机に座っておとなしくなにやら書き物をしている小さい背中に声をかけた。ビビはフィオンの師であるダット・バルベルデと別のテーブルで打ち合わせをしているようだった。ちらっと聞いたところによると、ヴィンセントのメガネを作りに来たらしい。ただのメガネを作るのに、何故魔具職人の師匠に?と不思議に思っていると。


 (うん、折り紙)


 言いながらヴィンセントはご機嫌で白い紙に何やら書き込んでいる。


 (どうした?これ、魔紙ロールじゃないの)


 魔紙ロールとは、紙に加工される段階で発動の魔法陣をあらかじめ刷り込んだ特殊な紙で、一般的には手紙や書類の伝達に使われている。

魔術師が利用する高度な魔紙ロールの中には、高速移動の魔法陣を組み込み、瞬間移動ができるものもあるという。

 ヴィンセントはペンを置くと、器用にその紙に折り目を付け折っていく。不思議そうに後ろから覗き込むフィオンに笑いかけ、折った魔紙ロールをフィオンの手のひらに乗せた。


 (はい、フィオンおじさん。これ、あげる!)


 (ありがとう・・・?これ、鳥かな?)

 小さいくちばしと広げられた羽根。小さな手でよくこんな精密な折り紙ができるなと感心していると、ヴィンセントはフィオンを見上げた。

 (うん、ねえおじさん!この鳥に魔力流してみて!)

 (え?)

 戸惑いながらも、早く早くと期待に目を輝かせているヴィンセントに頷き、手に乗せられた折り紙へそっと魔力を流してみる。


 ふわり


 (・・・え?)


 フィオンは目を見開いた。手のひらに乗った鳥の形をした折紙が、ゆっくりと浮き上がる。パタパタと羽根を震わせ羽ばたいた。

 くるくると羽ばたきながら、フィオンの手の平の周りを回るのに、ヴィンセントは満足そうに微笑んだ。


 (やった!成功)

 (成功、って・・・ヴィンセント、なにこれ??)

 (ああ、さすがだ!成功したんじゃな)

 (すごい!ヴィンス!)

 後ろから声がかかり慌てて振り返ると、打合せしていたダット師匠がヴィンセントに向けてサムズアップ、ビビは歓声をあげて手を叩いている。

 (うん、おじいちゃんが言ったとおりに魔法陣組みなおしたら、飛んだよ!)

 キャッキャッと大喜びでヴィンセントはダット師匠の膝によじ登る。ダット師匠も笑って頭を撫でた。

 説明を求めて、母親のビビに視線を向けると、ビビは苦笑しながら肩をすくめた。

 (この子、魔紙ロールに興味持ってね。魔紙ロールに刷り込む魔法陣の研究をはじめちゃって・・・)

 (ええ??ヴィンセントまだ7歳だろ?もう魔法陣を理解しているってこと?)

 驚きを隠せないフィオンに、ビビはちらりとダット師匠に視線を送り・・・彼がうなずくのに返して再度フィオンに向き直った。


 *


 (知識の神、ダナの聖胤・・・?)


 ビビの告げる言葉に、フィオンは息を飲む。

 

 【知識の神ダナ】

 悠久の時を生き、時空を管理するといわれている時の賢者ダナ。

 顔半分をフクロウを形どった仮面で覆い、アルコイリス大陸で信仰されている神々の中でも、解明されていない神の一人だ。何故なら元は人間で、その知識の深さに天寿を全うした後に天界へ召し上げられた、とも伝えられている。知識の源とも呼ばれる彼の残した本は、魔術、戦術をはじめ、医学、生産、芸術と幅広く。誰もが知り、誰もがその知識から学びを得ていた。

 ダナの残したものには必ず"聖胤"と呼ばれる刻印が施されている。ダナの顔を覆っている仮面のフクロウを形どった刻印。

 

 ダット師匠がヴィンセントの眼にダナの聖胤があることに気づいたのは偶然だった。

 (ヴィンセント、あの子ね・・・)

 ビビは声を落とす。

 (一度見たもの、読んだものを無意識にほぼ記憶コピーしているの。あの子自身魔力なしだから、今のところ見て記憶しているだけなんだけど・・・この先もし文字や魔法陣を理解するようになったら?ましてや再現できるようになってしまったら・・・?)

 (それは、また・・・中途半端に危険な)

 言いながらもフィオンは背中が冷たくなる感覚に襲われる。もしこの少年に少しでも魔力があれば、その得た知識は国を揺るがす脅威になるに違いない。

 聖胤を知る者は、カリストとビビ、そして身内以外ではダット師匠とフィオンのみ。

 聖胤と加護は違う。聖胤を受けているのと、ヴィンセントの視力が落ちている関連性は定かではないが・・・知識の神ダナは盲目と云われている。

 ダット師匠はビビから相談を受け、その刻印が外部から見えなくなるよう、そしてヴィンセントの依頼で外見の判断がしずらくなるスキルを練りこんだメガネ魔具を作ることを提案した。


 (怖くないの?ヴィンス)


 幼いヴィンセントを膝に乗せ、父親譲りのやわらかい黒髪を撫でながら、ビビは問う。

 日々見えずらくなってく、視界。ダット師匠の考案した魔具で生活に支障がない程度には視力は回復できるようだが、判別できるのは形だけだった。

 そう、ヴィンセントの視界には【色】がないのだ。

 この世界がどれだけ美しい色であふれているのか。テーブルに飾られた花かごの綺麗な花の色も。


 (怖くないよ、ママ)

 母親お手製のケーキを頬張りながらヴィンセントは笑う。

 (でもね、今日はちょっと残念だったんだ)

 (残念?)

 (うん、ティリーさんの瞳、どんな色しているんだろうって)


 雨上がりの新緑の色だ、と聞いた。

 鍛錬を欠かせない同じ年ごろの兵団の子供たちの日焼けした肌とはちがって、雪のように白い肌の色。

 絹のようにサラサラで癖のない明るい金髪の色。

 どれも・・・ヴィンセントにとっては同じ色だった。物心ついた時から見慣れた世界だったのに。今日はティリーと出会い、初めて思った。


 何故、自分の世界には【色】がないのだろう、と。

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