ホラー短編:嘘つき

のいげる

嘘つき

 その日は保護観察官が来る日だったから道草せずに早く帰った。

 ただいまと言いながら玄関を抜けるけど当然ながら誰も答えてくれない。家の中はまだ埃っぽい。窓を大きく開けて風を通す。

 家事がうまくできていないと見られたら、また施設に戻されかねない。保護観察官の高田さんは中学生に一人暮らしは無理だと頑なに信じている。施設がパンク寸前で無ければ絶対に一人暮らしは許してはくれなかっただろう。

 ざっと野菜を洗い自炊の準備をする。食事が店屋物ばかりだとばれるとまずい。食育は大事だから施設に戻れと言われかねない。

 4LDKの家の中はがらんとしている。以前はこの家に四人で住んでいたけど今は自分一人だ。

 あの大災害以来。


 電話が鳴って飛び上がった。きっと高田さんだ。到着が遅れるとか何かの連絡だろう。

 受話器を取り上げる。

 ノイズが聞こえた。ガリガリと何かを引っかく音。ザアザアと砂を流すかのような音。混線だろうか。しばらくそれが続いた後に声が聞こえた。

「お姉ちゃんだよ」

 胸をガンと殴られたような気がした。

「嘘つき。ウチにはお姉ちゃんなんかいないよ!」

 思わず涙を一滴こぼしてしまった。

 電話が切れた。

 よく聞くオレオレ詐欺だろうか?


 食事の支度に戻る。

 施設はあれ以来僕のような孤児たちで一杯だから、僕のように家があって自活できそうな子供は制限付きで帰されている。でも保護対象が栄養失調にでもなったりしたら、保護観察官の高田さんはまずい立場に追い込まれる。だから、僕がそれなりのものを食べているところを見せないとすぐに施設に送り返される。

 肉じゃがは作れるようになった。味付けはまだひどいものだけど。生野菜でサラダを作って一品。後は帰る途中で買って来たロースカツを盛りつければそれなりに恰好はつくはず。お味噌汁はインスタントでも十分。

 また電話が鳴った。

 受話器を取る。

 またあの声がした。前よりもクリアだ。

「お姉ちゃんだよ」

「ボクには姉ちゃんなんかいない。お姉ちゃんどころかお父さんもお母さんもいない。だからもう電話なんかかけてくるな」

 受話器を叩きつけた。

 オレオレ詐欺にしてはおかしい。

 もしや泥棒が留守を確かめるために電話した?

 とすれば誰もいないことを喋ってしまったのは不味かった?

 急に高田さんの到着が待ち遠しくなった。


 お湯を沸かしてインスタント味噌汁を作っていると、また電話が鳴った。

 恐るおそる受話器を取る。

 もうノイズは無かった。

「お姉ちゃんだよ」

「しつこい。ボクにはお姉ちゃんはいない」

 驚くことに返事が返ってきた。

「本当にそう?」

「本当だって。お姉ちゃんはいない」

「じゃあ一人っ子?」

「そうじゃないけど」急に腹が立ってきた。「お姉ちゃんは死んだ。死んだの。お父さんとお母さんも一緒に死んだの!」

 少し間があって次の言葉が返ってきた。

「本当にそう?」

 予想外の返しにボクは言葉に詰まった。

「本当にそう? お姉ちゃんは死んだの? だったらここに居るあたしは誰?」

 それからそれは深く静かな声で続けた。昔のお姉ちゃんそっくりの声で。

「お姉ちゃんだよ。帰って来て欲しい?」

 思わず、うんと返事をしてしまった。

 一瞬の間が空いた。胸が痛くなるほど心臓がドキドキした。

「それじゃあ、今から帰るね」

 電話が切れた。


 逃げようか。待とうか。どうしよう。

 迷う暇もなく、玄関のチャイムが鳴った。

 インターフォンのボタンを押しながら訊いてみる。

「誰?」

 予想通りの答えが返って来た。

「お姉ちゃんだよ」

 軽く外から扉を叩く音。

「ここを開けて」

 怖かった。でも手を伸ばして鍵を開けた。

 ガチャリ。扉がゆっくりと開いた。

 高校のセーラー服を着た女の人がそこに立っていた。

「ああ、疲れた」そう言うと家に入って来て手にしていたカバンを置いた。

「ああ、そうそう。さっき連絡があってお母さんすぐに帰って来るって。今日はお父さんも定時上がりだから食事の支度をしておいてって言われた。あんたも手伝ってよ」

「お姉ちゃん」

「おっと逃げようなんて駄目よ。あなたも手伝うの」

「お姉ちゃん」

「ご飯は四人分残っている? 残っていない? それなら炊かなくちゃ」

「お姉ちゃん」

「何よ?」

「お姉ちゃん。誰?」

「やだ。あんた、何言ってるよ。あんたのお姉ちゃんじゃない」

「お姉ちゃんにそっくりだけどお姉ちゃんじゃない。お姉ちゃんは死んだ。お母さんも死んだ。お父さんも死んだ」

「何言っているのよ。あたし、死んでいないよ。ここにいるじゃない」

「お姉ちゃんじゃない」

「お姉ちゃんだよ。ほら、馬鹿なこと言っていないで手伝って」

 その女の人はずかずかとお姉ちゃんの部屋に入ると、しばらくして着替えて出て来た。着ているのはお姉ちゃんのお気に入りの服だ。

「ええっと。食材はっと。あら、ちゃんと準備しているじゃない。でもこれじゃ寂しいわね」

 お喋りしながらも、てきぱきと下ごしらえを始める。

「ほら、あんたはお米を磨いで。いま炊飯器にあるのはラップして冷蔵庫に入れておいて」

「お姉ちゃん」

「質問はなし」

 後は無言で二人で支度を進めた。やがてぐつぐつとお米の炊ける音、フライパンの上でじゅうじゅう音を立てるお肉。美味しそうな匂いが立ち上る。

 やがて食卓の上に所狭しと料理が並べられた。

 玄関の鍵を開ける音がしてお母さんが台所に入って来た。

「いやだ。遅くなっちゃった。あら、ありがと。ご飯の準備してくれたのね」

「こいつも手伝ってくれたのよ」

 そう言いながらお姉ちゃんは軽くボクの頭を小突いた。

「もう。止めてよ。お姉ちゃん」

 自然に声が出た。

「お父さんはまだ?」

「まだ」

 そう話していると、玄関で人の気配がして、お父さんが入って来た。

「いや、すまん、すまん。定時退社日なのにこないだ入った新人がポカをやりやがって」

「もう、遅いんだから。お父さん。ご飯が冷めちゃうよ」

 湯気を上げる炊き立てのご飯が茶碗に盛られ、皆が食卓についた。

「いただきまーす」

 全員で合掌してから、ワイワイと話しながら料理に手を伸ばす。

 次の休みはどうしようか。たまには家族で出かける?会社の保養所が空いているそうだ。それより奮発してみんなで温泉にでも行こうよ。うーん、どうしようかな。

 久しぶりの賑やかな食卓に涙が出た。

「あら、あんた、泣いているの?」

 お姉ちゃんが不思議そうな顔で覗き込む。

「お姉ちゃん」

 僕は手で涙をぬぐった。

「なあに?」

「もうどこにも行かない?」

「なに言っているの。行くわけないじゃない」

「約束だよ」

「うん、約束」

 わあっと改めて涙が溢れた。

 お姉ちゃんもお父さんもお母さんもよしよしと頭を撫でてくれた。


 ようやく落ち着いた所で玄関のドアチャイムが鳴った。

「ボク、出るよ」

 玄関に急ぐ。インターフォンのボタンを押す。

「どちらさま」

「保護観察官の高田です」

 ああ、すっかりと忘れていた。

 ドアを開ける。それと同時に背後で聞こえていた談笑の声が途絶える。

「いらっしゃい。いま丁度お父さんたちが」

 いつもいかつい顔の高田さんが一瞬でもっと厳しい顔になった。

「お父さん!?」

「うん、お母さんとお姉ちゃんも。中にいます」

「中にいる!? ちょっと上がらせてもらうよ」

 靴を脱ぎ捨てるようにして玄関を抜ける。

 ドカドカと足音高く、台所を覗く。それから気が抜けたような声で言った。

「誰もいないじゃないか」

 その背後から食卓を覗く。

 先ほどまでいた家族はどこにもいない。まだ湯気を立てている四人分の食事だけが食卓に残っている。

「どこにも行かないって言ったのに」

 ボクはうなだれた。

「お姉ちゃんの嘘つき」

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