ゆぞめ

灯村秋夜(とうむら・しゅうや)

 

 わたしの地元、温泉が有名なんです。けっこうテレビの取材なんかも来ますし、旅番組でもよく取り上げられたりして、……あ、やっぱりご存知ですか? そづま地方ってところで、紫蘇のソに副社長とかのフクで「蘇副」って書きます。お刺身の「つま」とかの、添え物って意味の「つま」ですね。

 洞窟があったり、料亭もすごいところがあったり、観光客の皆さんからするといいところだと思うんですけど……住んでた身としては、あんまり好きになれません。暇さえあればいつもやってる「ゆぞめ」っていう風習がすごく不気味で。今回持ってきたお話はそれで、そのまんま題名にします。どうしても吐き出したくて……。


 そづま地方は、地元民が言うのもなんですけど、けっこう風光明媚なところです。冬の時期は雪もかなり降るので、山の方は陸の孤島みたいになることもあるんです。けど、地元民はそういうとき一切迷わず、「ゆぞめ」の準備にかかります。することがないときはまずそれで、時間が取れるときやスケジュールが開いたときもそうするみたいですね。どうしてそんなに熱心なんだろうって思うんですけど、それはその……理由は、あとで言いますね。

 縄を綯うとかわらじを作るとか、そういうこととはまったく関係ありません。つまようじみたいに細い木の枝で人形を作って、お湯にくぐらせて変色させてから、川に流すんです。そうなんですよ、あの木の……「オモザエ」って木の小枝、お湯につけると変色するんですよ。もとは夕陽みたいにきれいな赤茶色なんですけど、温泉の成分が影響してるんでしょうか、凹凸が分からないくらい真っ黒くなるんです。

 あと、気持ち悪いのは……人形を作るのに小指より細い枝を使って、ちょうど胸あたりになる場所を小刀で割るんです。人形なら、胴体を縦に切り開いてるようなものですよね? それに、ここに折った紙きれを挟むんです。子供のころからずっと、あれって何なんだろうなって思ってました。「ゆぞめ」に参加するまでは見せてもらえなかったんですけど、ほんとのことを言うと、知らなきゃよかったと思ってます。


 あ、いえ……どこの家でも、いつでもできるように準備してあるんです。だから、オモザエの小枝も、挟む紙きれも、ちゃんとセットになって箱に入ってるんですよ。そづま地方では、どこの家でも鍵付きの金庫か棚があって、「ゆぞめ」セットが常備されてます。ちょうど中学校を卒業した次の日、両親も予定がなかったみたいで、始まりました。

 まずオモザエの枝を十字に組んで縛ります。それから下に足になる部分の枝を持ってきて、これもまた縛ります。それから中心になっている枝の真ん中を小刀で割って、狭い隙間を開けます。そこに、箱いっぱいに入ってる紙きれをひとつ取って、二つ折りにして差し込みます。これで、ひとまず人形が完成します。あとはお湯にくぐらせて、近くにある川に流せば終わりですね。

 紙きれなんですけど……べつに、順番があるとか指示があるとか、これじゃないって言われることとかはないんです。箱に入ってるものなら何でもよくて、手当たり次第に使っているみたいでした。紙の種類もいろいろで、上質で固いものから、古びてこしの弱いものまでありました。わたしが「ナナ、取ってくれ」って言われて手に取ったのは……ちょっと大きめの写真でした。手のひらに乗るくらいで、額縁や写真立てに入れても微妙に余りそうな、何枚かセットで扱うようなサイズでしたね。


 写真に写っていたのは、女性のバストアップ――の、首から下でした。


 もともとの写真の大きさは、たぶん倍くらいあったんだと思います。手のひらよりも大きい、それこそ写真立てに入れるのにちょうどいいくらいの。微妙にぼつぼつした断面で焼き切られてて、タバコの火か何かを押し付けて、むりやり顔の部分だけを切り取って捨てたような写真でした。本能的にというか、ぞわっとして、小刀をわきに置いた祖父にすぐ渡しました。「うん」とだけ言って受け取ったかと思うと、ふたつに折って人形の胸に差し込んだんです。何をしているのかまったく分からなくて、ただただ怖かったです。

 流れのままにというか、「ゆぞめ」はそのまま進んで、午後になって川に流しに行きました。挟んだ紙きれは何種類もあって、顔だけ切った写真とか名前だけ書かれた新聞紙の切り抜きとか、何かのメモみたいなものもありました。あ、流すところなんですけど、指定があって……白く濁った、強酸性の川です。そのまま、「ゆぞめ川」って名前だったと思います。一度目はよく分からないまま終わって、そのあとも何度も「ゆぞめ」に参加しました。わたしは紙きれを取る係で、人形作りは祖父か父がやってました。いちおう、家長の役目ってことなんでしょうか。

 あとで、祖母といっしょに紙きれを箱に入れる作業をやったことがあります。写真は最初からああだったんですけど、新聞紙一枚丸ごとを渡されてから、こうやって切れ、って言われてはっきり分かりました。あれって、死亡記事とか行方不明者の記事だったんです。たぶんあの写真も、メモも……。


 人がいなくなる瞬間って、考え方によっていろいろ違うと思います。ふとした軽口に返事が返ってこないときとか、ご遺体がお骨になったのを見たときとか、同じ味を作れないなって思ったときとか。だから、そういうことのために、そづま地方の人はあんなに熱心になっているんだと思うんです。

 でも、……あれって供養なんでしょうか? まさかなんですけど、それ以外・・・・かもって考えちゃって。どうしても怖くて、地元に帰れないんです。ぜひご意見をうかがいたいんです。「人の形をしたものを溶かして消す風習」って、いったいどんな意味があるんでしょうか?

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ゆぞめ 灯村秋夜(とうむら・しゅうや) @Nou8-Cal7a

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