最終話 生きたから今ここに
私たちの楽園
青空に向かって太鼓の音がぽんぽん飛んで行く。
喜楽館のレトロモダンな門をくぐるのはやっぱりワクワクする。これから落語の世界へ行くんだと思うと楽しくなってくる。チケットの半券がもぎられて、そこから日常がもっと色づく。
入口でチラシを貰ってから二階へ。座席に荷物を一旦置いて、春物のジャケットを脱いだ。客席に腰かけて膝の上にかければブランケットに早変わり。思わずふうと息が漏れる。
「やっぱり落ち着くね」
隣に座ったひめちゃんはうんと伸びをした。日頃の疲れが溜まっているのだろう。今日はたくさん笑ってリラックスして欲しい。エステの予約もしておいた。
二人で一緒にここから落語を見たのは五年も前になる。みんな大学を卒業してそれぞれ夢を追っている。彼女はアナウンサーになった。テレビから落語の流行を発信するために。
「でもやっぱり、ウチは家が一番落ち着くかな」
「うん。我が家にはかわいいネコがおるからね」
私がそう言うと大きなネコは腕にぎゅーっと抱きついてきた。上目づかいで見つめてくる。まん丸なレモン色の瞳はうるうるしている。お互いの顔を近づけた。ぽんっと後ろから肩を叩かれて飛び上がりそうになる。
「ここは公共の場ですよ」
「水族館でちゅーした人がそれ言う?」
うららちゃんは笑いながら頭をかく。私は鞄からハードカバーの本を取り出した。優しいタッチの表紙をしずくちゃんに見せる。
「これ読んだよ。めっちゃ可愛かった!」
「ありがとう。嬉しいわ」
しずくちゃんは絵本作家になった。子供たちに向けて落語の絵本を描いている。彼女は昔よりもっと柔らかくなった気がする。パートナーを尻に敷いているみたいだけど。
うららちゃんは雑誌の記者だ。上方落語の月刊誌を作るのが今の目標。彼女はいい意味で変わっていない。子供みたいな無邪気さで風のように駆け回っている。算段をしている。
みんなそれぞれ落語に関わる仕事をしている。実はあのゴスロリちゃんとも最近仕事をした。彼女には着物のデザインを頼んだばかりだ。
ところで今日は橘ノ円都一門の落語会だ。
この会もずいぶんとお客さんが増えた。二時間の会でも足を運んでくれるのは、仲入りを二回設けたのが大きかったと思う。区切りが多いのは見やすくていいみたいだ。トイレにも行けるからね。
みんなで一階席を覗き込む。
黒白茶金。赤に青。カラフルな丸い頭はカラーパレットだ。寄席に老若男女が集まる。子供からお年寄りまでいる。色とりどりの笑い声が飛び交う。夢みた現実が一歩ずつ近づいている。
「緊張してる?」
「そりゃもちろん。だって自分の書いたネタやし」
私は落語作家になった。橘ノ一門の座付き作家だ。これならお姉さんを支えられる。お客さんも笑顔にできる。私の妄想力を活かせる天職だ。自分を好きになれたから今ここにいる。
もし屋上で死んでいたら、私はどこかに転生でもしたのだろうか。それもいいかもしれない。でも私はここで生きたい。落語のある世界でみんなと笑っていたい。
今日のネタは私たちの生きた証。
タイトルは――『ようこそ落語エンジョイ部へ!』
ようこそ落語エンジョイ部へ! らっこ @rakko29
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