第8話 大団円

 妹の親友である女は、市子という名前だった。

 実は彼女の名前の由来は、父親が、滋賀県の近江の出身だったことから名づけられた。

 それは、織田信長の妹で、

「戦国の悲劇の姫」

 として名高い、あの、

「お市の方」

 から名づけられたものだった。

 浅井長政に嫁ぎ、

「茶々、初、江」

 という、いわゆる、

「浅井三姉妹」

 を世に送り出し、自らは、柴田勝家とともに、越前の北ノ庄にて、自害することになる悲劇のヒロインである。

 お市の方というと、兄を助けるため、夫を裏切ったこともあるほどだと言われている、

 金ヶ崎において、浅井浅倉連合軍に挟み撃ちにされるのを、小豆を入れた袋の両側を結ぶという暗示で、知らせたことでも有名である。

 それだけ、精神的に追い詰められていたお市を、名前につけるというのは、それだけ良心が、お市の方に対しての思い入れが大きかったからではないだろうか。

 今では女性でも、

「歴女」

 などと呼ばれて、歴史に詳しい人が多くなってきているが、昔は、歴史上の人物を名前に入れても、本人が言わなければその由来は分からないことだろう。

 だから、敢えて、お市の名前を使ったのかも知れない。

 それでも、由来に気づいた人もいたようで、中学、高校時代と、あだ名は、

「お市」

 だったのだ。

 みんなはそんなに歴史に詳しいわけではないので、

「戦国一の美女」

 という触れ込みから、お市というあだ名が、悪い意味ではないと、皆が思っていたからであろう。

 確かに、お市と呼ばれることに、市子は違和感を感じることはなかっただろうが、もし、他の人だったら、

「微妙だったのではないか?」

 と、感じるのだった。

 そんな市子は、学生時代から頭がよく、白河の妹の景子と、仲良くなったのも、二人とも、頭がよく、まわりからは、双璧のように言われていたからだ。

 その双璧というのは、頭の良さと、美人という意味でのことであった。

 頭の良さも、武人度も、学年で、1.2を争うような二人だった。

 何かと男子から比較されていたのだが、二人とも嫌な気はしていなかった。お互いに、

「ライバルのようなものね」

 といって笑っていたが、その笑みは。半分冗談で、半分本気だと言っているようなものだった。

 二人に告白してくる男子は少なくなく、その都度、丁寧にお断りしていた。

 お互いに、

「景子に悪い」

「市子に悪い」

 とそれぞれで思っていたようだ。

 その理由はお互いに惹かれ合っているからだと思っていたが、それぞれに理由は違ったのだ。

 景子の方は、

「兄を意識してしまうことで」

 という理由で、市子の方は、

「景子が何となく気になってしまうので」

 と、ライバルだと思っていたので抜け駆けはできないと、市子は思っていたのだった。

 それぞれに向いている方向は違うが、誰かを意識しているのは間違いのないことだった。

 それが、いずれお互いの気持ちに微妙な亀裂を生むことになった。

 これらの情報が警察に伝えられることはない。

 事件において、一つ、景子の自殺の後、起こった心境の変化で一番大きなものは、

「白河による心境の変化」

 であろう。

 景子が自殺したのを聞いた時、激しい後悔に苛まれた白河は、

「何に対して罪の意識や後悔を持っているのだろう?」

 と感じた。

 その時、頭に浮かんだのが藤原だった。

「俺がもっとしっかりしていれば、藤原なんて男に引っかかることはなかったのだ」

 と思った。

 そして、妹を、

「本当に可哀そうだ」

 と思ったその時、自分の中で違和感があったのだ。

「妹が可哀そうだというよりも、自分が可哀そうなのではないのか?」

 と感じたことだった。

 それは、死んでいった妹に取り残された自分を可哀そうだと思った。その思いは、下手をすれば、

「妹に裏切られた」

 とも感じたのだ。

「俺がこれだけ思っているのに……」

 と感じた時、違和感があった。

 その違和感が、

「妹を女として見てしまった自分」

 だったのである。

 そうして思うと、今度は妹が自分を見ていたその目が。

「景子も俺のことを愛してくれていたのか?」

 と思うと、景子の気持ちになってみた。

 自分と同じように、近親創刊という血の繋がりから、罪悪感を抱いてしまったのだが、どうしようもない。景子の方では、まだ兄が自分を意識していないのは寂しいと思っただろうが、必要以上に苦しくなかったのは、自分だけが十字架を担いでいると思ったからだろう。

 しかし、白河の方では、十字架を一人で担いではいたが、隣には、同じような十字架を担いだ、ゾンビがいる。それが妹の景子だと思うと、景子の魂が、自分の十字架にのしかかってくるようで、その重たさは、言葉にできるものではなかったのだ。

 そう考えていくと、妹も自分を愛してしまったことで、苦しんでいたことが分かった。

「もしかすると、藤原などという、とんでもない男に引っかかってしまったのは、この俺を愛していた気持ちが、あったからではないか?」

 と思ってしまったのだ。

 これが、白河の間違いの元だった。気づかないのなら気づかないままでいた方が、本当は景子の供養になるというものだ。

 気づいてしまったことで、白河は、永遠の悪夢のループに入り込んでしまったような気がした。そのループを解くことができるとすれば、景子しかいない。それは、不可能なことだった。

 それでも、ループを解いてもらおうとするならば、自分が死んで、景子の元に行くしかないのだ。

 だが、死んだからといって、景子のところに行けるという保証はない。

 景子は、あの世には、兄がいないことを確信して自殺したのだ。あの世には、藤原もいない。景子にとって、死んでしまえば、大好きな兄も、憎むべき藤原も、

「ここにはいない」

 という意味で同等なのだ。

 それを考えると、初めて、

「この世に自分が取り残された」

 ということに気づかされたのだ。

 まるで、自分の魂はあの世に行ってしまい、意識だけが、こっちの世に残っているような感じである。

 しばらく、毎日が放心状態だった白河は、

「あいつはもうダメだ」

 というところまで行っていたが、救ってくれたのは、趣味の小説だった。

 小説を書くことで、孤立や孤独が嫌ではなくなった。投稿することで、慰めになっていたし、仲間もできた。それが姉川だったのだ。

 姉川は、市子と面識があった。というよりも、市子は姉川の姪だったのだ。

 まさか、おじさんが、自分が好きになった女性の悲劇的な話を小説に書いているなど知りもしなかった。そして、その兄と、SNS上というだけだが、知り合いだったなど、思ってもみなかった。そして、姉川の小説を読むことで、白河が、景子に対して抱いた思いの本質に核心を得ることになったのだが、これも、何とも皮肉なことだったに違いない。

 景子が自殺した原因については、表に見えていることとしては、藤原という男が絡んでしまったことで、自殺を考えるようになったのだが、それは、あくまでも、景子が弱みを見せたことで、付け入ってきた藤原がいたということであり、弱みを見せるだけのオーラが景子の中から発散されていたのだろう。

 だから、藤原だけがすべての責任ではないのだ。

 それを分かっていないので、藤原にだけ責任を押し付ける形になっているが、本来景子を取り囲む中で、微妙な人間関係が、怪しげな精神状態に包まれる形で、まわりの空気を包んでいるかのようだった。

 景子はそんな見えないいろいろなしがらみに追い詰められ、自殺するに至った。

「自殺をするのは、弱い人間」

 などと言われているようだが、それはあまりにも可哀そうである。

 しかも、景子の場合においては、自分のまわりが、景子の微妙な心境に触発される形で、さまざまな苦悩を振りまいてしまうことで、

「自殺しないといけないんだ」

 と、まるで自殺というのが、刑の執行であるかのように、追い詰められていくのだ。

 その追い詰めた人間は、藤原をもちろんとして、兄であり、姉川であり、さらには、市子だったりしたのだ。

 皆それぞれ、景子に関係があって、追い詰めているにも関わらず、皆それぞれ、自分が景子を追い詰めていたのだなどということを分かるはずもない。

 だから、景子の自殺は、自殺という形になってはいるが、

「まわりからの様々な圧力」

 によって、押しつぶされるようになっていくのであった。

「自殺なんて、気の弱い人がするものだ」

 などと、言ってはいられない。

 ひょっとすると、今でもどこかで自ら自殺を試みようとしている人や、過去に死んでいった人は、見えない何かに操られていたのかも知れない。

 それが、

「ひょっとすると自殺菌なるものがあって、それが影響して、自殺をするのかも知れない」

 と考えたことがあった。

 確かに、カリスマ的な人が死んだりすると、後追い自殺が起こると言われているが、それも、自殺した人が菌を放っているのかも知れない。

 だが、実際に死ぬことができる人というのは、最初から、自殺すると決められていた人だけではないだろうか。そうではない人は、何度も試みるが、結局できなくて、

「手首にリスケの跡が、くっきりと残ってしまっているのだ」

 ということになるのであろう。

 自殺する人を、

「いいとか悪いとか」

 というようなことを言えるわけもない。

 なぜなら、

「生き残っている人間には、結局自殺をしていった人の気持ちが分かるはずなどないからだ」

 ということが言えるのではないだろうか。

 そうなると、やはり、自殺菌なるものが存在していて、自殺ができた人と、

「あの世で出会えるかも知れない」

 と考える。

 ただし、それがあの世の、どこなのか? それが分からないのではないだろうか?

 宗教によっては、

「自殺は、自分を殺すということで、殺人に変わりはないので、人を殺めたのだから、地獄にしかいけない」

 という考え方がある。

 あの世に、情状酌量というものはないのだろうか?

 もしないのだとすれば、自分を殺すことになる人物は浮かばれない。

 この殺人未遂事件は結局、お宮入りとなった。

 怪しい人物には皆動機はあっても、発見者になったりしている。

 そのうちに、お宮入りになった事件が、本当の殺人事件となって現れたのだ。

 しかも、背景はまったく同じような感じであった。

 マンションの部屋で、藤原が殺されるのを、姉川が見つけ、そして、階下から定岡が見た。

 二人はデジャブを見たかのような気持ちだったが、何かが違っていた。

 部屋に入ってみると、一人の女性が死んでいた。どうやら、自殺のようである。少なくとも藤原に殺されたわけではない。藤原の身体に刺さっているナイフに指紋はついていなかった。そして、死んでいる女性のナイフには、本人の指紋のみ。

 一見、犯人が二人を殺したのかと思われたが、女の胸から遺書が見つかった。

「景子、今行く」

 という言葉が書かれていて、以前捜査をした刑事が、景子というのが、藤原に騙されて自殺した女だということを知っていたのだ。

「彼女が藤原を殺して自分を刺したというのなら分かるが、手袋もしていない彼女に、指紋をつけずに殺人を行って、自殺をした凶器に指紋をつけないなど不可能だ」

 ということであった。

 彼は景子を愛していた。しかし、それがかなわなかったことで、市子と白河が憎かった。特に白河は憎かった。本当は、白河も殺そうと思っていたのだが、白河は、なんと、すでに死んでいたのだ。

 白河は、自分のマンションの騒音に結構悩まされていた。そのノイローゼからではないかと思われた。

 違う理由での自殺だった。藤原を殺そうとして殺せなかった自分のいくじなさが、本当に情けなく感じたのだろう。

 遺書はあったので、犯人はそのままにしておいて、最後に自分の命を絶つつもりだった。

 彼は遺書を藤原のマンションの屋上に置いて、そこから飛び降りた。

 その遺書には、

「景子、今行く」

 と、市子と同じ文句が書かれていた。

 もちろん、遺書を示し合わせるわけもない。お互いに気持ちは同じだったのだろう。

 それとも、あの世から、景子が導いたというのだろうか?

 屋上からまるで、スローモーションかコマ送りのように、落下する肉体が、地面にぶち当たって、砕けるのを誰が見たというのか。

 そこに転がっているのは、肉片でしかなかった。その人物は、芦沢だったのだ。

 この事件が最初から、

「ずさんで、計画性のない事件だった」

 と言われるゆえんなのだろう……。

 ただし、最後には二人の景子を愛していた男性二人によって成し遂げられた犯罪だというのは、皮肉なことではなかっただろうか?


                 (  完  )

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ずさんで曖昧な事件 森本 晃次 @kakku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ