櫻の樹の下

シィノ

とある春の日


 櫻の樹の下には屍体が埋まっている。


 2023年現在、皆習わずとも知っていることだ。




 春先のとある週末、太陽が最高点を過ぎて少し経った頃。


 私は、足で草を踏みつけにしながら裏山を登っていた。手に持つダンボール箱の上に汗が落ちていく。ベタつく体と、自分の体力の無さに苛つきを覚える。だができるだけ荷物を揺らさないように細心の注意をはらう。


 人目につくのは困るからと家の近くの人気のない山を選んだのは良かった。しかし、道が整備されておらず、傾斜は急、人が少ないのにはそれなりの理由があるのだということを痛感するほど手がつけられていない。

 インドア派にはキツい。

 これが終わったら二度とこの山には登らないようにしようと樹を避けながら心に決めた。


 登り初めのころは心地よかった春のやわらかな陽ざしも、今は肌をじりじりと焼いていくただの紫外線だ。帽子が欲しい。せめて半袖にでも着がえるべきだった。


 しかし止まるわけにはいかない。


 ようやく傾斜がゆるくなったところで樹々の無いひらけた草原にでた。青々と茂る草花に陽光が降り注いで、キラキラ輝いている。少し歩いて崖に近づけば、住宅街が一望できる。見渡すと大学へ続く最寄り駅も我が家の屋根も見えた。


 ここだ。間違いない。


 ダンボールを置いて、軽く貼っていたガムテープを剥がし蓋を開ける。

 一度深呼吸。

 やわらかな布でくるんだ彼女を箱の中から持ち上げ、地面に寝かせる。



 私は、そのまま布をひらいた。



 中には猫の死体があった。

 当然だ、私が入れたのだから。








 みこは窓の近くでねむっていた。


 予感はあった。


 机の上に飛びのれなくなって、オモチャで遊ばなくなって、食べる量が減って、吐く量と飲ませる薬が増えたから。


 私は、昼に目を覚まし、目を閉じた彼女を見つけた。


 涙は出なかった。一昨日風呂場で散々流したから。


 ずっと陽にあたっていたからか思っていたよりもずっと暖かかった。

 持ち上げたときに感じた、作り物のような固さに悲しくなった。




 みこは日だまりが好きだった。

 だから、この街で一番太陽に近い場所で櫻の樹になってほしいのだ。毎日光を浴びて、ずっと生きていてほしいのだ。


 スコップで開けた穴にみこを入れ、土で蓋をすると、そこの部分だけ除草されたような薄茶色になった。



 少し待つと小さい緑が顔を出したので、数歩離れて見つめる。


 じわじわと葉が幅を広げ、頼りなさを覚える細さの茎が空へ空へと伸びていく。伸びるごとにそこに新しい葉が増え、垂れる。

 かと思えば、淡緑色の茎は、土と同じ色になり、節ができた。一番先の方に膨らみが見える。逃さないよう目で追いかける。これが花になるのだろうか。


 映画のCGなんかで幾度となく再現されているが、実際に成長していく姿は初めて見た。

 高校生のころの理科の授業で見た、成長する植物の定点動画を思い出した。


 そんなことをぼんやりと考えているうちに、もう私の目線を上にしないと行けないほど、桜は伸びていた。枝分かれもしており、先程見ていた枝を見失ってしまった。一瞬戸惑ったが、後ろに離れ、まっすぐ上へ上へと登っている枝を見つけ、それをまた目で追いかける。


 どの枝にも、まだ花は咲いていない。


 数分も経たないうちに、中心の枝はもう幹と言えるほどの太さになり、分かれた枝は数え切れないほどになっていた。その枝にも数え切れないほどの薄緑の膨らみがある。

 なんだか徐々に成長する速度が速くなっている気がする。追いかけていた枝は、他の枝や幹に隠れて見えなくなってしまった。もう桜は山の他の樹と同じくらいの大きさになっている。


「あっ」


 気づかぬうちに、一つの薄緑の膨らみは大きくなり、赤く色づいていた。他の枝にも赤い蕾が増え、緑の葉と茶色の幹を彩っている。

 だんだんふくらんでいき、空気を含んでふんわりとした蕾は、今にもひらきそうだ。


 ぱっ。


 まばたきをした間に、一つの蕾が花びらを開いた。雪のような白さだった。

 それにつられるように、他の蕾も花をつけ、樹が白に染まっていく。



 あっという間に、白髪の桜の樹ができてしまった。



 少し風が吹くと、枝が揺れ、花びらが舞う。

 眼の前に落ちた花びらをつまみ、見つめた。少ししわがある。

 ヤマザクラという品種であることは、あとで調べてからわかった。


 蕾は赤色だったのに、花は白いのだなと思った。桜の色は屍体の血液によって変わるらしいので、みこでは少なすぎて色が見えないのだろう。


 花びらを手から離し、樹に近づいた。

 私ぐらいの大きさの幹を撫ぜる。でこぼこして、温度を感じない。

 地面を見ると根っこが地面から少し出ていた。



 汗が出た。山を登った時とは違う、冷たい汗だ。



 みこは本当にこれを望んだのだろうか。



 無意識に、いや、意識的に避けていた疑問が脳を埋め尽くす。

 心臓がぎゅうと痛い。



 いいや、望むはずがない。彼女は走り回って遊ぶのが好きだった。たまに食べるおやつが好きだった。シャワーとドライヤーが嫌いだった。干したての布団で寝るのが好きだった。私も一緒になって寝ていた。


 こんな樹は彼女ではない。



 私は膝をついた。視界が潤み、嗚咽をもらす。




 あゝ、彼女のことをなぜ考えられなかったのだろう。私は彼女の気持ちを勝手に決めつけたのだ。


 彼女はこんなこと望むはず無い。




――まて、それだって彼女の気持ちを勝手に決めつけているではないか。


 彼女の気持ちは分かるものでは無い、だって彼女は今喋れないし、喋れたとしても分からない。


 彼女は猫なのだから。


 私は立ち上がり、櫻を見た。



 どうしてこんなことをしたんだろう。


 どうして?


 そうだ。

 私は彼女を忘れたくなかったのだ。


 彼女を悼んで写真立てを飾ったとしても、それはいつか埃を被る。彼女と一緒に眠った布団だって、古くなれば捨ててしまう。


 それがなんだかとても哀しいことに思えたのだ。


 だから、彼女を家から見える場所で櫻にしたのだ。


 いつでも彼女を思い出せるような、大きな美しい櫻に。


 つっかえていたものが取れたような気がした。

 そうだ、はなから彼女のためではなかったのだ。


 燃やし、灰にするのだって彼女は望むか分からない。


 人間だったらきっと、墓にいれてほしいと望むだろうが、彼女は猫だから、望むかわからない。



 私は自分がしたいから彼女を櫻にしたのだ。








 櫻をあとにし、山を駆け下りた。コンクリートに足がつき、私は家に向かう。



 これからもあの櫻を見ながら家に帰るのだろう。












 春一番が吹いた。


 振り向くと、見事な櫻の樹が花びらを散らしていた。



 あの櫻の樹の下には屍体が埋まっている。

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櫻の樹の下 シィノ @shilino

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