那月の契約

壱単位

那月の契約


 「……これで、よし」


 那月なつきはチョークをおいて、ふう、と息をはいた。


 いちど離れて全体をながめ、近寄って修正する。


 今日で、三回目だ。


 年に一度が限度だといわれていたから、つまり、三年たったということになる。はじめてこの図形を描いたのは、小学六年生の夏休みだった。


 おおきい図形である必要があるから、黒板に描く。複雑で、奇妙な模様。なんどもなんども読み込んだ本に書かれていた、とある意味をもつ、図形。


 と、ぶぅぅん、と何かが振動するような音が聞こえてきた。


 那月は、飛びすさった。黒板の手前は壇になっていたから、そこから降り、入り口のあたりの床に片膝をついて、待った。


 振動音は、ますます、高まる。


 那月は目を床に落とし、頭を伏せた。


 じじ、じじっ……という、電気がショートするような音。


 ばん! と、なにかが弾けた。


 「あいたたたたたたたた」


 素っ頓狂な、高い声。


 黒板の下、壇上に、くろい装束を身に纏った少女が寝転んでいた。


 お尻を床に打ちつけたらしい。両の手のひらで腰をおさえながら、泣きそうな顔で身悶えしている。


 ゴシック調のワンピース。青みを帯びた黒髪、内巻きのショートボブ。紫と赤と黒という毒々しい色のアゲハチョウの髪飾り。蒼白といえる顔色に、異様なほど鮮やかな朱のくちびる。


 身長もひくい。年齢でいえば、那月とおなじか、やや上か。


 「うう、ケツの骨いったんじゃねえのか、これ……」


 少女がうめきながら、呟く。


 と、寝転がりながら顔をふり、那月をみつけた。


 「げげ! またおまえかよ!」


 那月は貴人を迎えるような片膝の姿勢をとり、くちのなかで数を数えている。……五、六、七……二十!


 「やった! 二十秒たちました! 契約お願いします!」


 那月はぱっと顔をあげ、おおきな笑顔をつくって叫んだ。


 ゴシックの少女は起き上がり、教壇のうえにあぐらをかいて座った。あごをこぶしで支えている。眉をしかめ、ふうとため息をついた。


 「……あのな。たしかにね、あたしを呼び出して二十秒維持できれば、契約考えてやってもいい、とは言ったよ。だけどな、契約するかどうかは、あたしの自由なんだ」


 那月は少女のことばを聞いているのかいないのか、にこにこしながら手元のバッグからいろいろなものを取り出し、並べている。


 「ええと、ろうそくと、塔のカードと、乾いたカエルと……」


 「……はなし、聞いてんのか」


 「魔女との契約に必要なものはぜんぶ揃ってます! 小学生のときからずっと準備してましたから、万全です!」


 「……六年生のガキに呼び出されるとは思ってなかったよ。魔女マニアの男子小学生なんて世界でおまえくらいだぞ。まあ、ちびっこすぎて精神力足りなくて、三秒でかえっちまったけどな。去年は、十秒だったか」


 「で、おっしゃったじゃないですか。二十秒、この世界にあなたを引き留めておければ、あなたの主人マスターとして合格だって」


 少女、異界の魔女は、面白くなさそうに横を向いた。


 「……あたし、年下、苦手なんだよな……」


 「大丈夫! 僕は人間だから、あなたより年とるのが早いです! すぐに年上になります!」


 「……そら、ま、そうだけどよ……」


 「……そうして、すぐに、大人になります。それですぐに、おじいちゃんになります。すぐに……あなたのまえからいなくなります」


 那月の声がすこし沈んだ。魔女は顔をあげた。那月は、微笑んでいる。


 「だから、すこしでも長く、あなたのそばにいられるように、はやく契約したいんです。あなたのこと、守ってあげられる時間が、すこしでも長くなるように……」


 と、魔女の身体が、薄く発光しはじめた。


 現世に呼び出した魔女は、現世の人間と契約を結ばない限り、ただちに異界に戻されてしまう。那月はそれを知っている。あわてて、手元の道具をかき集める。


 魔女の姿が、ゆっくり、薄くなってゆく。


 「魔女さん! はやく! 儀式を……」


 魔女は、うごかない。


 じっと、那月を見つめている。


 「……あたしを、まもる、って、いったのか……?」


 「うん! いったよ! だからはやく、はやくしないと……!」


 「あたしは、魔女だぞ。嫌われものの魔族だぞ。願いを叶えて欲しくて呼び出した、んじゃないのか……?」


 「ちがうよ! 最初はたしかにそのつもりだったけど……はじめて呼び出したとき、あなたをみて、このひとだって思ったんだ! ずっとずっと、そばにいたいって、現世でいじめられるなら僕がまもるって……あっ」


 魔女を包むひかりが強くなり、溶けるように、その姿が消失した。


 「……ああ。あああああ」


 那月は、膝から崩れ落ちた。


 手元の道具をかき集め、抱きしめて、泣いた。


 と、その首に後ろから手が、回される。


 頬に手がかかる。


 首を、やわらかく、横に向けられる。


 那月の唇にあたたかいものが触れて、すぐに離れた。


 「……呼び出されなくたって、出てこられるんだよ。あたしが、惚れてればな」


 魔女は色のうすい頬を染めて、照れくさそうに下を向いた。


 「……まもって、くれよな。我が主人マイ マスター


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