大谷翔平にポケモンカードで負けたら自殺するしかない

獅子吼れお🦁Q eND A書籍化

大谷翔平にポケモンカードで負けたら自殺するしかない

 だってそうだろう。

 大谷翔平に、ポケモンカードで負けたら、自殺するしかない。

 俺はそう思っている。そうとしか思えなくなった。

 今、俺の目の前には大谷翔平がいて、カードショップ特有の過剰すぎる芳香消臭剤のニオイの中、デュエルスペースに座っている。

 俺は、こいつに勝てなきゃ、自殺するしかない。


 大谷翔平が、ポケモンカードの大会にいる。

 岩手の田舎、イオンの片隅にある、ブックオフとカードショップが一緒になったようなスペース。人通りもまばらな店の、地味に開催されている、全国予選の予選みたいな小規模大会に、いる。

 最初は俺も見間違いだと思った。でも間違いない。ネットの画像とかテレビのニュースでしか見たことのない俺でもわかる。あれは大谷翔平だ。

 

 まずデカい。そして分厚い。少なくともカードショップに来るような体型ではない。さすがに帽子とサングラスで顔はよく見えないが、シルエットだけで一般人ではないことがわかる。服装はTシャツに黒いズボンで、同じイオンのユニクロでも売ってそうだが、なんとなくどこか違うような気がする。たぶんあれも本当は、ショーケースに入っているナンジャモと同じぐらいするんだろう。

 ウソみたいなイージーリスニングの流れる店内で、ウソみたいなことが起こっている。堂々としすぎていて誰も気づかないのか、あるいはそういうドッキリなのか、とにかくいる。

「あの、あれ、いいんですか?」

 デュエルスペースに向かう前に、ショーケースの陰で、俺は思わず店員に話しかけた。

「あー、今日他に参加者いないンスよ。二人でやって、勝ったほう報告してください」

「いや、そうじゃなくて」

「ちゃんと勝ったら権利とれますよ」

 店員はカードを棚に並べながら、俺に目を合わせないで答えた。そういうことじゃないだろ。

 大谷翔平がいるんだぞ?オオタニサンが。俺はもう一度あたりを見回し、その後大谷翔平を見た。大谷翔平はプレイマットの上にデッキを置き、スマホをいじっている。手が大きすぎてスマホが小さく見える。デュエルスペースの安物のイスとテーブルの間で、筋肉の壁のような体が窮屈そうだ。そして姿勢がいい。スマホをいじっているのに、一切机や背もたれにもたれかかっていない。佇まいからして、違う。


 どうする。


 俺は自問した。きっと大谷翔平はオフの日だろう。遊びに来ているのに、俺みたいな特段野球少年でもないオタクが「あ、あの、大谷翔平サンすよね」とか声かけたところで、なんにもなりはしない。何も見なかったフリをして、普通に対戦する他ないだろう。俺だって権利がほしいんだから。

 そこまで考えて、俺はデュエルスペースに向かう足を止めた。


 もし、負けたら?


 もし、大谷翔平に、ポケモンカードで負けたら?



 いや、勝てるだろう。

 大谷翔平が、(意外にも)ポケモンカードを趣味にしていたとして、プレイできる時間は限られているだろう。どんな高いカードでも買えるだろうが、それは所謂「ガチ」の世界では前提でしかない。物を言うのは環境の研究と実戦経験で積んだプレイング、すなわち時間だ。大谷翔平がアメリカであれだけ活躍している以上、トレーニングや試合や何やらで、そこまで時間はとれないはずだ。

 俺のパオジアンデッキは環境の最適解だ。何度も使い込んで練習した。俺には勝てないだろう。

 頭にまとわりつく疑念を振り払って、俺は大谷翔平の待つデュエルスペースに歩いていく。そして、彼の対面の席に、座ろうとする。


 圧倒的な存在感があった。ホンモノの、大谷翔平だった。


 ホンモノを前にした時、人は、目を背けることができない。

 

 本当に美しい景色に目を奪われるように。本物の傑作から、目が、耳が、離せなくなるように。人は、俺は、ホンモノを前にして、動けなくなる。


 そして、向き合わざるを得ない。向き合わざるを得なくなった。


 自分が、大谷翔平に、ポケモンカードで負けるかもしれない。その事実に。


「あんたも同い年なのにねえ」


 母の言葉が蘇る。大谷翔平がまだ日本の球団にいた頃。母はテレビのニュースでその活躍を見て、そうこぼしていた。

 俺と大谷翔平は同い年だということを、俺はそれで知っていた。高校も同じ岩手県で、しかし当然、なにか接点があったわけではない。


「あんた、どうするか決めたの。東京にいくの」

「……いや」


 俺はその頃無職で、実家で暮らしていた。俺のせいじゃない。なんとか見つけた就職先が、勝手に倒産して、結果的に無職になっただけだ。バイトだって少しはやっていた。母には、しばらくしたら東京でイラストレーターになるとか言っていた。それは半分本気で、半分は出任せだった。


「まあ、別に、うちにいてもいいけど。いい加減、カードとかやめたら。昔いっしょにやってた子らも、みんな仕事して結婚してるでしょう。そろそろ、ほら、ねえ?」

「……うん」


 テレビの中の大谷翔平がホームランを打った。観客たちがワーっと盛り上がる声、実況の上ずった声が、俺と母の間の沈黙を埋めた。


「すごいねえ、大谷は。あんたと同い年なのにねえ」


 何も、母が本気で、俺と大谷翔平を比べていたのではないことは、誰だってわかる。でも、その言葉は、うっすらと、本当にうっすらと、俺の意識の片隅にこびりついた。


 それから何年かして、大谷翔平はメジャーリーガーになり、めちゃくちゃすごい記録を何回も打ち立てた。あまりよく内容は覚えていない。

「今日も大谷がうちましたねえ」

「二刀流、すごいですねえ」

 毎日のように、ニュースは伝えた。

「ビッグフラーイ!オオタニサーン!」

 英語の実況がテンション高く叫ぶ様が、何度もテレビで放送された。


 その何年か、俺は、全く変わらなかった。バイトをして、実家で母の作る飯を食って、ポケモンカードの大会に出て。何度か全国大会の権利も取ったが、結局良い成績は残せなかった。

 そのうちコロナが流行って、家にいても何も言われなくなって、数少ないカードゲーム仲間とも少し疎遠になって、今に至る。


 人は、ホンモノを前にして、向き合わなければならなくなる。その人と、そして何より、自分の人生と。


 俺はポケモンカードが好きだ。最初に発売されたスターターデッキを、デパートで母に買ってもらったことを覚えている。それからずっと、ポケモンカードが好きで、ずっと遊んできた。人生のうち少なくない割合の時間と金を、ポケモンカードにかけてきた。

 その結果、何が残った?何も。何も残っていない。大谷翔平は、たぶん俺がポケモンカードにかけてきた時間以上に、野球に人生をかけ、メジャーリーガーになっているのに。


 そんな大谷翔平に、ポケモンカードで、俺の人生をかけてきたポケモンカードで、もし負けたら。俺の人生に、なんの意味があったといえるだろう。


 今、ここで、唐突に、俺はそれを問われている。ホンモノと対面するということは、そういうことだ。


 大谷翔平にポケモンカードで負けたら。俺は、自殺するしかない。生唾が喉をとおり、俺の頭の中に異様に大きな音が鳴った。


 帰ってしまおう。そう思った。席につかなければ、少なくとも負けることはない。

 デュエルスペースに背を向けたとき、俺はカバンを落としてしまった。中から、カバンに入っていた荷物が散らばる。


 俺の選んだカード。集めたカード。引退するカード仲間から譲ってもらったカード。パックから奇跡的に引けた高額レア。ずっと使ってきたお気に入りのスリーブ。プレイマットはいつかの全国大会の会場で買ったやつだ。


 俺はカードを拾い集め、ケースに戻す。2重スリーブの硬い手触り。指先に伝わる感触。


 気がつけば、俺は大谷翔平の対面の席の、イスを引いていた。大会に来たら、席につく。いつもそうしていたからだ。


 大谷翔平はホンモノだ。彼にポケモンカードですら負けてしまったら、俺の人生に意味なんてなかったんじゃないか。そう思うかもしれない。

 でも、俺にだって、俺の人生があった。俺の時間があった。大谷翔平の人生に比べれば無価値でくだらないだろうが、それでも俺の人生だ。


 だから俺はテーブルにつく。

 相手が大谷翔平だろうと、負けたら自殺するしかなくても、ここまでこの人生で来てしまったからには、テーブルにつかないわけにはいかない。

 ホンモノを前にして、俺にできるのはそれしかない。


 俺はデッキを置き、大谷翔平を見た。


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