第27話.エピローグ


 喉が裂けそうなほど、喉が破裂しそうなほど——羽宮は叫んだ。

 脳裏に焼きついているのは恐ろしい一体の化物。

 異界の中で対峙した怨霊の存在は、羽宮の人生に大きなトラウマを植え付けることになった。


 毎晩、悲鳴をあげてベットから飛び起きる。

 ベットのシーツはぐっしょりと汗で濡れていて、飛び起きた時には必ずパニックなる。酷い時になるとベットから転がり落ちて、バタバタと地面を泳ぐように前後不覚になることもあった。


「ハア……ハア……」

 

 悪夢にうなされる度、羽宮はバスルームの鏡の前に立つ。

 睡眠薬を飲むため。

 そしてあの出来事が遠い過去にあったことを自分に言い聞かせるために——。


 羽宮は鏡に映った自分の顔を触る。

 そこにあった顔は火傷によって皮膚がケロイド化していた。

 街で誰かとすれ違えば視線を集め、羽宮と目が合った者は慌てて目を逸らす。

 そんな顔だった。


 鏡の前でこの顔を見ると安心する。

 顔を触れば痛みと醜さから、今いるのが現実であると実感することができるからだ。この傷跡があることで、異界で起きたことが過去の出来事であったことを実感することができる。


 あの夜——春までもう少しという時期に起きた異界の発生。

 上司である金満と羽宮は、異界の怨霊を除霊すべく、魑魅魍魎の世界に足を踏み入れた。


 結果は——



「羽宮さん!! 羽宮さん!! 起きて!!」


 けたたましい無数の機械からアラームが流れている。

 耳の中がキーンと強い耳鳴りが響き、横になっている羽宮に話しかける隊員の声が聞こえない。

 

(俺は生きているのか……?)


 天井には見覚えがあった。

 狭い車内には壁から機材の配線やモニターが備え付けらえているからだ。天井の病的な光と各種機材のアラームや電子音。


 ここは救急車の中だ。


 ふいに天井の病的な光を遮った。

 救急隊員の服装をした男。

 見覚えがあった。

 確か、異界に潜る前に薬の話をした——胡桃沢。


 その隊員は羽宮の頬を強く叩いた。

 痛みと衝撃で、ボンヤリとした頭に思考力が戻ってくる。


「なにが……おれはいきて——」


「いいから!! 早く車を降りて下さい!! ここは危険です!!」


 その時、羽宮のバイタルを表示していたモニターが割れた。

 次々と電子機器が火花を散らし、煙を吐き出している。


 隊員は羽宮の体に繋がっている拘束と配線を引きちぎる勢いで外していくと、車の外へ出るように促した。

 脱いだ上着はそのままに、開けたままにしておいたシャツはボタンをかうこともなく羽織ったまま。

 隊員に促されるまま、訳も分からずに肩を貸される。


 自分の隣で横になっていた金満は放置されたままだ。

 接続された機械のモニターに映っているバイタルは止まっている。


「向こうで何があったんですか! エンジンがいきなり停止して——」


 彼が何かを言おうとした。

 だが、社外に出た途端、羽宮の霊感が強い悪寒を覚えた。

 

 ガソリンの匂い。

 実際に匂いがした訳ではない。

 ガソリンの匂いをなぜか思い出したのだ。

 

 羽宮は咄嗟に彼に肩を貸している隊員を突き飛ばした。

 救急車の外に出た直後のことだった。

 吸引した薬品のせいでフラフラとしていた。本来ならば、自分もその場から身を守るため、体を低い位置に持っていっただろう。だが、覚醒して間もない羽宮は反応することができなかった。


 そこから覚えていることはほとんどない。

 一際、閃光が発生したと思う。

 

 次の瞬間、救急車は爆発した。

 車から発生した炎は羽宮の顔と体を焼いた。

 それは異界の中で感じた熱と同類。

 あの悪魔のような憎しみに満ちた怨霊が顔にかけたコールタールのようにドロドロと灼熱の液体のようで——


 再び、意識を失い、目を覚ました時は病院だった。

 意識が戻った日の夕刻。

 組織のお偉いさんから直接事情聴取を受けることになる。

 異界に行くことになった経緯。そして異界であったことを包み隠さず伝えることになった。


「……異界はどうなりましたか?」


 部屋の窓からは夕焼けのオレンジ色が差し込んでくる。

 窓際のベットで横になる羽宮は、名前も知らないお偉いさんを見る。

 窓からの光が差し込まない、入口付近の薄暗闇。

 そこに立っていた男は首を振りながら答えた。


「……駄目だったよ。あの異界は今もなお存在する。現在は封鎖中だ。日本で新たに異界が生まれてしまった」


「…………」


「だが、そう気に病むことはない――。おっと、失敬。君の上司だった金満だったな。気にするなというのが無理なことか……」


 男から、詳しい事情を説明される。

 幸い、その異界は付近に与えるは影響は限定的で、小規模な隠蔽工作と隔離措置で済んでいるらしい。

 しかしながら、念のため付近にあった病院は廃院することが決定。住民の減少に伴う移設ということで現在、別の地域に建て替えが決定されている。


「そう浮かない顔をするものではない。犬鳴村やきさらぎ駅のようにならなかったのは君たちの功績——ということにしておこうか。ともかく、今回は事態の収集がつきそうで良かった。金満くんのような貴重な人材を失ったのは痛いがな」


 そこには少なからず、独断で異界に侵入することを決定した金満を非難するニュアンスがあった。もっとも本人は死んでいるので文句を言っても意味はない。

 

 それに同行した自分も少なからず処分は受けるものと思って身構えていた。

 最低でも除名処分。今後二度と霊媒師としてやっていけないものと思っていた。

 お叱りの言葉は甘んじて受け取るつもりだった。しかし、黒服に身を包んだ上層部の人間は口にしたのは羽宮の予想にはなかった言葉だった。


「君を正式に刑事に昇格させる」


「何ですって?」


 思わず問い返した。


「そう意外に思うこともあるまい。霊媒師はただでさえ人手不足なのは君も知っていることだろう。私の推薦だよ。異界の状態を安定化させたのは君の活躍があったように思える……君の話が本当ならな」


「…………」


 羽宮は無言になる。


「そう。それでいい。君は金万くんと違って賢明だ。私欲に走ることなく治安の維持を優先している。事件の解決を何より優先するのは刑事にとって必要な資質だ。もっとも君は刑事として働いた経験はないから手帳を渡すことはできないがね」


「私はただ……」


 羽宮は言葉を呑み込んだ。

 日が沈み始め、太陽がほとんど見えなくなる。

 薄暗闇は徐々に色を濃くしていく。


「君が今回持ち帰った情報は非常に有益なものだ。しかも犠牲者はたったの一名で済んでいる」


 その男は微笑みながら囁いた。


「この成果は今後、我々にとって有益になるものだろう。特に、異界についての情報は——君が持ち帰った知識と文字は今後、我々を大きく飛躍させるだろう。この功績を持って君を昇格させるという訳だ。前任者は残念ながら、組織内の横領と機密情報の漏洩、越権行為の疑いがかかっている。現在調査中ではあるが、まあ十中八九すぐに証拠が上がるだろう。本人は死んでいるから責任の追及のしようはないがね」


 男は声を押し殺すようにクックックと笑う。

 

「君は今回の事件を経て、どこまで上がったかな?」


「…………」


「霊感の強さは霊的な経験を積めば積むほど向上していくものだ。異界はまさにうってつけの場所だ。文字通り死地を乗り越えた人間は大きくセンスが磨かれたはず——君はいくつまでいった?」


 羽宮はこの男が言わんとしていることが分かった。

 かつて病沢という男に説明したのと同じことを訊かれているのだ。


「かつは私の理解は6だったかと思います。今は——8はあるかと」


 それを聞いた男は満足げに頷いた。

 窓の外では太陽が完全に姿を隠す。

 病室は完全な暗闇に包まれた。

 

 上層部の男は用が済んだらしく、病室の入口を開けた。

 そこから眩い光が差し込んでくる。


「そうだ。言い忘れていたが君には頼みたい任務があるんだ。詳しいことは、後日、連絡するよ。今はゆっくりと体と精神を休めるといい」


 ドアが閉まった。

 真っ暗な暗闇が訪れたかと思った。

 

 不安に駆られそうになるも、窓の外から光が差し込んでくる。

 建物からの明かりではなく、雲一つない夜空で満月が輝いている。

 優しい月光を浴びながら、霊媒師はゆっくりとベットの上で目を閉じた。


 後日、羽宮は日本を揺るがす大きな陰謀に巻き込まれることになるのだが——それはまた別の話である。

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デッドマン ふたぁぐん @futagun

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