第26話.転生
「最悪だ……。儀式が滅茶苦茶だよ」
虫の息になった霊媒師の襟首を掴んでいた手を乱暴に離した。
後頭部が鈍い音を立てて床にぶつかる。
顔にはケロイド状になった重度の熱傷。
ワイシャツは裂けた皮膚からの出血によって赤く染まっている。
「今の私の気持ちが分かるか……? 霊媒師……。これまでどれだけの痛みに耐えてきたと思う? どれだけ身を削ってきたかお前に分かるか?」
拷問の結果、羽宮から霊媒師について情報を聞き出すことには成功した。
羽宮がこのコンビニを見つけた経緯、ここに来るまでの経緯、彼が知っていることについて洗いざらいのことを全て吐き出させた。
非公式の国家組織である霊媒師は警察に属する治安維持機構。
警察しかり、上意下達が旨とする霊媒師たちの間では、すでに異界が形成されたという事実が共有されていた。
当初、病沢と羽宮との会話の中では、事の緊急性から、準備を終え次第、すぐに救助に来てくれるということだった。が、実際には上司はおろか組織そのものに報告書まで提出。組織全体に異界の存在と怨霊の存在が知れ渡ってしまった。
現実にいる他の霊媒師たちが自分の正体を嗅ぎつけるのは時間の問題であった。
今回、デイリーエイトに入ってきた霊媒師二人。
その内、一人は既に死んでいる。
話では羽宮たちは救急車に扮した車両で横になっているとのことだった。
バイタルを監視している隊員が逐次報告を行っている。
報告は即座に行われただろう。
これはノウマンにとって非常に由々しき問題である。
今はまだ病沢光博が黒であることから疑惑が逸れている。だが——。
病沢は死んだ。
そのたった一つの事実を思い出してしまった時点では、まだ儀式成功の見込みはあった。エネルギーは十分備蓄できている。あとは自分がその事実を忘れているという儀式の条件を満たすことができたのなら、確実に自身を蘇生することができただろう。
だが、時間が足りない。
いくら忘れることが可能だとは言っても、それだって毎日を数十回繰り返す必要がある。
自分たちの存在を霊媒師に感知された時点で黄色信号が灯っているというのに、これ以上、意識をこちらに向けられたら儀式は失敗に終わってしまう。認識されてしまったということが最大の問題だ。
「どうすればいい……ここまで来て諦めるなんて——」
ノウマンは店内をせかせかと歩き回りながら考える。
こうしている間にも、現実にいる霊媒師たちが何か行動を起こすかもしれない。
デイリーエイトという異界に穴はない。
ノウマンがロックを解除しない限り、ここには入ってこれないだろう。
問題なのは意識そのものを異界に向けられるということにある。
意識が集中すれば、必然的にその意識の一部が病沢という男に集中する。
怨霊の正体がバレてしまったら、儀式は完全に失敗するだろう。
危うい。非常に危うい。
「クソがぁ……!!」
近くの壁や棚を滅茶苦茶に殴る。
怒りのあまり、つい力が入ってしまい。手を振り上げる度、周囲のものが浮き上がり、あちらこちらへと高速で飛ばされた。
『一か八かやっちゃえ!』
ノウマンの行動を見かねてルーが声をかける。
「だが……それだと確実じゃない!!」
今のルーの発言は儀式をこのまま強行してはどうか——という意味での発言だ。
当然ながら儀式の条件を不完全なまま行ってしまえば、どのような結果をもたらすかは分からない。当初の予定通り、生き返ることができるかもしれないが、望んだ結果とは別の結果をもたらすことも当然ありえるのだ。
生き返ることができても、コンビニでバイクに引かれた直後に意識が戻った。
生き返ることができず、霊となって現世を放浪することになった。
あるいは、そもそも自分の存在すら世界から消え去るかもしれない。
もしくは、ノウマンとルー。どちらかしか生き返ることしかできなかった——。
当初、自分が望んだ”コンビニの事故に巻き込まれた犠牲者は生きていた”という結果に辿り着くことができなくなってしまう。
『うーん……成功率は半々ってところですかねー』
レジ台の液晶画面。本来なら酒類やタバコを買うときに年齢確認を行うためのタッチパネルに数字が56%という数字が表示された。
『さっきから数字が徐々に下降気味です。決めるなら早くしたほうが……いいんじゃない?』
ノウマンは思わず頭を抱えそうになった。
「なんでだ……!! なんでこう上手くいかない!!」
怒りと悔しさが入り混じった震え声で叫んだ。
『仕方ないですよ。運が悪かったんです……」
「認めないぞ……! そんな簡単に諦められるか!! これまでどれだけ頑張ってきたと思って――——すまない、ごめんよ……ルー……」
ノウマンは唇を噛む。
「俺のせいだ……。もっと気をつけてここの構造を組み立てていれば、外界に影響を及ぼすこともなかったのに——。クソ……。俺は、なんで、いつも——」
『過ぎたことを気にしては駄目ですよ……。元から「ダメ元でやってみよう」って始めたんじゃないですか? ここまで上手くいっただけで十分ですって。もっと顔を上げて誇ってもいいんじゃない?』
いつもと同じ声音に聞こえる。
だが、ルーの声をこれまで聞いてきたノウマンには分かる。ショックを押し隠し、泣きたいの必死に抑えている声音。いつもよりもやや低い声はその証拠だ。初めて、彼女と会った時と同じように——。
それが分かってしまうからこそ、今度こそノウマンは自身を落ち着けることなどできなかった。
こんな結末など到底受け入れることはできない。
自分は怠惰な人生を送ってきたとはいえ、この歳まで長生きできた。
だが彼女は——天野瑠衣の人生はまだこれからだった。
イラストレーターになるという夢にすら挑戦することができずに彼女は殺されてしまった。たった一人の狂人が全てを狂わせてしまった。
怒りの矛先は息も絶え絶えになっている霊媒師へと向けられる。
「コイツら……」
殺してやろうか。
初めて自分を殺した狂人を殺した時と同じくらい黒い感情が湧き上がる。
「そもそも何だよ……!! この国は!! 何で俺たちの邪魔ばかりしやがる!! ただ普通に生活してただけなのに、普通に生きていたいだけなのに、どうして国の連中は俺たちの邪魔ばかりしやがる!! 人の足を引っ張ってんじゃあねえ!! なぜ犠牲者を助けない!! 儀式に協力しない!! なぜ排除しようとする!! 俺たちは生きているんだ……!!」
今になって思う。
自分を殺したあの狂人。
社会福祉が昔のように機能していたら、政府が移民の受け入れをしなかったら、空き家の数がもっと少なかったら、少子化がどこかで改善の兆しを見せていれば、派遣労働者の規制緩和をしなければ、治安が悪化していなければ——あの人は狂わなかったのではないのか? 自分たちは事故に巻き込まれずに済んだのではないか?
だが、どんなに原因を探しても起こってしまったことは現実だ。
とどのつまり、ルーの言った通り”運が悪かった”のだ。
『そんなに落ち込まないで。私はもう十分です』
「そんなことを言わないでくれ……。何が十分だ!! 俺たちには生きる権利がある。なんで他人のせいで俺たちが——」
『大丈夫です!! うまく行きますよ!!』
怒鳴り声を上げたかった。
だが、自分と同じ境遇のルーに向かってそれをすることは許されない。
『ここまで長い夜でしたね。でも、嫌いじゃありませんでしたよ? 儀式を初めて間もない時のこと覚えています? わたしいきなりドアを勢いあまって壊してしまったんですよ? そしたら怖がる前に、いきなり病沢さん死んじゃって——』
ルーはいつものように明るい。
「……覚えてるよ。儀式をする前は二人でいろいろ考えたよな。『ポテチの袋を爆発させたらどうだろう』、『鏡にいきなりヒビを入れたら』、『電子レンジから人の顎が出てきたら』……全部二人で考えた」
『わたし結構楽しかったですよ? お化け屋敷を運営しているみたいで。二人でいろいろ考えて、病沢さんが驚かすのも楽しかったです。辛いこともあったけど、わたしにとっては楽しいことの方がたっくさんでした!! だから、わたしのことをこれ以上気遣うのはやめてください』
噛んだ唇から赤い水滴が滲みでる。
『元から、成功するかどうか分からなかったじゃないですか? 希望が持てただけでわたしは十分です。失敗したら失敗したらで、元から死を受け入れて成仏するって決めてましたから。だから、もう気持ちの整理はとっくについています。もう迷うことなんてありません!! 儀式やっちゃいましょうよ!!』
ノウマンは涙を拭う。
これが精一杯やった結果ならば受け入れるしかない。
成功するにせよ失敗するにせよ、儀式の結果を胸を張って受け入れる。
「——う。やってやろう!! 俺たちの人生はまだ始まっちゃいないんだ。儀式を完成させる。そしてもう一度人生を謳歌する!!」
『その意気です!! ルーちゃんも張り切って参ります!! えー、ラジオをお聞きのリスナーのあなたにお伝えします。長らく、放送してきたルーチャンネルですが、本日はそのお役目を終えまして、えー、今回が最終放送となります。それでは最後にお聞き下さい。リスナーのあなたのお気に入り。最後のリクエスト曲——”トワイライトダークネス”』
店の中にBGMが最大音量で流れ出す。
ノリのいい曲だ。
何を隠そう、このBGMはゲームのメニュー画面にある時に流れる曲で、初めてルーにリクエストした曲だった。元から音楽関係に疎い病沢はろくな曲を知らなかった。従って、リクエストするのは頭の中の記憶にあるゲーム音楽。それがこの曲だった。
『その霊媒師はどうします? 殺します?』
「放っておこう。今さら殺しても儀式には影響しないさ」
店の中で倒れたままの羽宮をそのまま放置し、ノウマンはゆっくりと外に出た。
自動ドアのガラスを踏みしめた時、背後からベルの入店音が聞こえる。
『コホンッ! お客様にお伝えします。ご来店、誠にありがとうざいました。当店、Daily 8は24時間365日休まず営業しました……が! 誠に勝手ながら本日を持ちまして閉店とさせていただきます。長きに渡るご利用ありがとうございました。それではHave a nise new day♪』
店の明かり落とされていく。
背後にあるデイリーエイトの蛍光灯の明かり一つ、また一つと消えていくのが分かった。BGMが遠くで流れるのを聞きながら、何もない駐車場を歩いていく。
店明かりがほとんど消えた。
今、ノウマンが目指すのは電飾看板の光。
暗い世界をただ一つ照らすデイリーエイトの電飾看板だった。
薄暗い駐車場を歩くノウマン。
ふと話しかけられた。
「ねえ、病沢さん。成仏したら生まれ変わりってあると思いますか?」
「さて、どうかな。霊媒師ですら知らないって話だ。生まれ変わりは存在しなくて、死んだらそれっきり無の世界かもしれない」
「えー、夢がないなー。そういう現実的なところ女の子と話す時には辞めた方がいいですよ?」
ハッハッハ、とノウマンは軽く笑って答える。
「お互い幽霊だしな。確かに現実も何もあったもんじゃない」
「そうですよ! わたしは生まれ変わりってあると思いますよ!! そう思ってた方が楽しいです♪ 何より夢があります!」
「夢?」
「夢ですよ。生まれ変わったら、またどこかでお互い会えるかもしれませんよ?」
「うーん、ルーに言われるとそんな気がしてきた。根拠はない——いや、あるな」
「えっ! それ本当ですか!」
「だって、ほら——明日は新年だ。新年ってのは”誰もが一度は生まれ変わる日”なんだろ? だったらきっと生まれ変わりもあるって」
「あー! それわたしのセリフ!! パクりやがったなー!」
電飾看板まで来た。
眩しい。
真っ暗な暗闇の中でただ一つ光る電飾看板。
人口的に作り出された光。
コンビニのトレードマークであるデカデカとした8の数字——親の顔より見た。
看板の中の電球はもう切れかかっていない。完全な光が一杯だ。
「ルー」
最後に彼女の名前を呼んだ。
「はい!」
「いくよ」
「——いってらっしゃい」
電飾看板に手が触れた。
途端、電飾看板に向かって眩い光が差し込む。
上に目を向けるが太陽よりも強い光量を持つ、光の柱がノウマンがいる場所に降り注いだ。
直後、ノウマンの魂は異界から引っ張られ外へと導かれる。
深くて遠く、冷たい闇の中を流れる光の大河。
その大河の中をノウマンの魂は流れていく。
自分を必要としてくれる者たちの元へ。
そして約束を果たすためのノウマンの旅が始まった。
やがて光の大河を流れるノウマンを呼ぶ声が聞こえた。
彼の魂は大河の流れから逸れ、やがて——。
——目が覚めた。ここは一体どこだ?
彼は目を覚ました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます