【8】たそかれどき

 ◇


「あれ?」


 洞窟を出て広がっていた光景を、時矢は訝った。


 空は鮮やかな朱色に染まり、西日の残照抱く金色の雲が、その熱を惜しむように浮かんでいる。東の果てからは夜の始まり。薄紫に滲みだした誰そ彼時の狭間には、細い三日月が輝いていた。


「どうした?」


 少し先をいっていた着物姿が振り返る。長い長い影が、その足元から、白い砂地に這うように伸びていた。


「いや、だって、さっきまで――」


 彼は誰時の薄明りに、有明の月がかかっていたはずでは――。


「なにか、おかしいところがあるか?」


 いつになく柔らかい声音に鼓膜が震えて、くらりと、時矢は眩暈を覚えた。


 朱色の夕陽のさざめきが、ふわふわと、見つめる着物姿の彼の周りを、揺れる灯し火のように彩っている。だが、影になって、顔は見えない。


(あれ……? 俺は、誰と……?)


 頭がじわりと痛んだ気がした。なにかがはっきりとしない。朧にかすんでいく。けれど――


「そんなことより、ほら、そろそろ見ごろだ」


 釈然としなさに混迷する時矢へ、気を紛らわせようとするように、声がかかった。その指先は、高く島を見下ろす山の方を指示している。ちょうど山の中腹、鳥居のあるあたりに、灯りがともっていた。暮れゆく夕闇の中で、山の緑をぼんやりと朱色に彩っている。


「今日から社の夏祭りだろ」

「ああ……そうだ。――そうだったね」


 灯る提灯の火。祭囃子の音――。この島の夏の始まりを告げる色と音が、時矢の身体のうちに、染み入ってくる。


「今年は一緒に、うちから社の灯りでも眺めるか」

「ああ、いいね。最近、君と見物してなかったから」


 心躍る提案に笑って返して、時矢は友の隣へと歩み寄った。なにかを気にかけていたような心地もするが、よく、分からなくなってしまった。


 社を飾る風鈴の音が、山風に乗って耳元をくすぐっていく。


 ――こんな海まで?


 そう、刹那過った疑問は、形になる前に泡沫と消える。


「この夏休み、また世話になるよ」

「ああ、また、な」


 笑いかける時矢へ、笑んだ声音が低く優しく答える。その口角を、ちろりと赤い舌先が、舐めて掠めていった。





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ウロボロスの夏 かける @kakerururu

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