最終話 初めてのキスと二度目のキスの味はどうでしょう

 

 ◇◇◇



 ──同時刻。リーガル帝国では。


「ヴァイオレット、ここにいたのか」

「シュヴァリエ様……! どうしてこちらに……」


 妃教育の休憩中、調合室の直ぐ側にある湖をぼんやりと見つめていたヴァイオレットだったが、シュヴァリエに呼ばれたことで振り返る。


 近くに控えていたシェシェは空気を読んでササッと下がり、シュヴァリエの後方に控えていたロンもシェシェに続く中、シュヴァリエはヴァイオレットの隣へと足を進めた。


「少し話したいことがあってな。貴女を探していた」

「お手間をかけさせてしまって申し訳ありません。妃教育の休憩の間に調合をしようかとここに来たのですが、あまりに湖が綺麗でしたので眺めておりました」

「確かに、太陽の光が反射して水面がとても美しいな」


 ちらりとこちらを見ながら言ってくるシュヴァリエに、ヴァイオレットはかあっと頬を赤く染めた。


(な、何で照れているの、私は……! シュヴァリエ様は湖が綺麗だって言っているのに……!)


 まるで自分が綺麗だと言われているみたいで恥ずかしくなったなんて口が裂けても言えそうにない。

 ヴァイオレットはバレないように少し顔を伏せるが、どうやらシュヴァリエは一枚上手らしかった。


「……まあ、ヴァイオレットの方が綺麗だがな」

「〜〜っ!? お、お褒めいただきありがとうございます……! それで、用とはなんでしょう……っ?」

「……ん? 最近あまりヴァイオレットとの時間がとれていなかったから会いたかったのと、聖女マナカの処遇について先程連絡があったから、伝えたくてな」

「…………!!」


 実は、一週間前にダッサムとマナカがリーガル帝国に来てからというもの、ヴァイオレットとシュヴァリエは仕事に追われていた。

 おもに、リーガル帝国とハイアール王国の今後についての会議と、それによる各地への連絡、書類作成等である。


 ダッサムがリーガル帝国の民を危険に晒すところだったのだ、このままの関係というわけにはいかなかった。


 そして、両国についてはようやく昨日話がまとまったのだ。


「それで、マナカ様は……!」


 ダッサムの処遇については聞き及んでいたヴァイオレットだったが、ずっと気がかりだったマナカのことを聞くのはこれが初めてだった。


 不安げに眉尻を下げてシュヴァリエを見つめると、彼はふっと微笑んだ。


「一週間の謹慎と、一ヶ月間、王城内の奉仕作業に当たることになったらしい。それが終われば、聖女として国民の為に働きながら、マナーや勉強を教わる機会も与えられるそうだ」

「……っ、良かった……」

「これも全て、ヴァイオレットのおかげだな」


 ここ数日仕事に追われる中で、ヴァイオレットはマナカに温情を与えてほしいということと、彼女に勉強をする機会を与えてほしいという旨の嘆願書を書いていた。


 そこには、ダッサムに良いように利用されていたことと、ダッサムにどれだけ命じられようと、集団魔力酔いの悪事に加担しなかったことも、もちろん記載した。


 それを早馬で届けてもらい、マナカの処分はどうなるのだろうかと、ヴァイオレットはずっと心配していたのだ。


「本当に、良かったです……っ」


 マナカがハイアール王国でダッサム以外の拠り所を見つけ、自身の足で立てるようになってほしいとヴァイオレットは心から願い、胸の辺りで両手を握り締める。


 それから、凛とした笑顔を見せるヴァイオレットに、シュヴァリエは声を掛けた。


「ヴァイオレット」

「はい」

「聖女マナカのことはさておき……そろそろ俺たちの話をしたいんだが。あのときの続きを、聞かせてくれ」

「……っ、そ、それは……」


 再三だが、この一週間、ヴァイオレットとシュヴァリエは忙しくてゆっくり話す時間がなかった。


 だから、もちろんシュヴァリエの告白に対する返事も、まだ保留のままだったのである。


 とはいえ、一週間前のことを思い出せば、保留とは名ばかりで答えは出ているようなものだ。

 シュヴァリエもそのことは分かっているのだろう。酷く余裕そうな笑みを浮かべて、ヴァイオレットをじっと見つめている。


(好きだってバレている相手に好きだって言うのは、まるで拷問だわ……っ!)


 シュヴァリエに告白されたときならば、雰囲気と勢いで好きだと口に出すことが出来ただろう。

 しかし、いざこうなるとヴァイオレットは恥ずかしくて、口から溢れたのは「分かっているのにお聞きになるのですか……?」という言葉だった。


「はは。そんなふうに恥ずかしがっている顔も堪らないが……そうだな。俺は、貴女の口からちゃんと聞きたい。……愛しているよ、ヴァイオレット」

「…………っ」


 愛の言葉を聞きたいと、ほんの少し意地悪な声色で言われ、同時に愛の言葉を囁かれる。

 幸せ過ぎて頭がどうにかなりそうなヴァイオレットだったのだけれど、そのときはたと、とあることを思い出した。


「その前にシュヴァリエ様……! どうしましょう……! 両親とエリックは、この婚姻が訳アリなのだと思ったままです……!」


 シュヴァリエが実家に挨拶に来たときのことを思い出し、ヴァイオレットの表情には焦りが浮かぶ。


 ヴァイオレットは耳を塞がれていてはっきりとは聞いていないのだが、事前の話し合いではシュヴァリエは家族に対し、接吻したものと結婚しなければならないからという理由を話したはずだからだ。


 家族のことをとても大切に思うヴァイオレットは、今から今世紀最大の告白という試練に挑まなければいけないというのに、そのことで頭がいっぱいだった。


 しかし、焦るヴァイオレットの頬にするりと手を滑らせたシュヴァリエは、一切動揺する様子なく答えた。


「問題ない。実はあのとき、ヴァイオレットの家族には俺の本当の気持ちを伝えていたんだ」

「えっ……?」

「ずっと好きだったと、どうしても妻になってほしかったから、求婚したんだ、と」

「……!?」

「俺はヴァイオレットの負担にはなりたくなかったが、手放す気は毛頭なかった。だから、貴女の家族には本心を話させてもらっていた。ヴァイオレットには内緒にするよう頼んだがな」


 しれっと話すシュヴァリエに対して、ヴァイオレットは頭がぐるぐると混乱していた。


(えっとつまり、両親とエリックは、シュヴァリエ様の本当のお気持ちを知っていて……? だから、あのときニヤニヤしていたってこと? きゃ〜……!!)


 蓋を開けてみればなんて恥ずかしいのだろう。

 こんなことならば質問しなければ良かったと若干後悔したヴァイオレットだったが、そんな雑念は、次のシュヴァリエの言動にすぐさま消え去ることになる。


「ヴァイオレット、まだ他に気になることがあるなら何でも答えよう。ただ、貴女が俺への気持ちを言うまで、離す気はないが」


 そう言ったシュヴァリエが、力強く抱き締めて来るものだから。頬に触れる彼の胸が、心配するくらいに早く脈を打っているから。


(……シュヴァリエ様も、緊張しているのね……)


 自分ばかりが動揺しているのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 こんなにも余裕そうに見えるのに、ときおり意地悪そうになるのに、ヴァイオレットの気持ちなんて分かっているだろうに。


(それなのに、私の言葉を聞くのに、緊張しているのね……っ)


 そんなところがまた愛おしくて、愛おしくて仕方がなくて、ヴァイオレットは彼の背中に腕を回してギュッと抱き着く。

 すると、より早くなるシュヴァリエの鼓動にまた愛おしさが募って、それは言葉となって溢れた。


「……シュヴァリエ様、好き」

「……っ、ヴァイオレット……」

「好き、大好き、大好き……なんです」 


 溢れ出して止まらない愛おしい気持ち。何度も何度も伝えれば、ヴァイオレットを抱き締めるシュヴァリエの腕により力が込められた。


「〜〜っ、ヴァイオレットの口からその言葉を聞くと、破壊力が凄いな」

「……私も、シュヴァリエ様に言われたときに、同じことを思いましたわ? ……ふふ、幸せですね……」

「ああ。本当に、夢みたいだ……っ」


 それからどのくらい経ったのだろう。

 どちらからともなく互いに腕を少し弱めて顔を向き合うと、二人は気恥ずかしさを孕んだ穏やかな笑みを浮かべた。


「ヴァイオレット。俺はこれからずっと貴女を──貴女の笑顔を守ることを約束する。……だから、一生傍にいて欲しい」

「はい。私は一生、シュヴァリエ様のお傍におります。……絶対ですわ」



 ──ヴァイオレットの人生で初めてのキスは、未来の夫の命を救うための、ムードの欠片もない苦いものだった。


 ……けれど。


「ヴァイオレット、愛している」

「シュヴァリエ様、愛しています」



 ──二度目のキスは、また味わいたくなるくらいに甘いものだった。  



 二人はそれから何度も何度も唇を重ね、その甘美な甘さに酔いしれた。




 〜完〜

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接吻したら即結婚!?婚約破棄された薬師令嬢が助けたのは隣国の皇帝でした 櫻田りん @aihirona30

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