第35話 さあ、地獄へ落ちなさい

 

 痛みのせいなのだろうか。それとも普段脳みそを使っていないからだろうか。


 ダッサムはシュヴァリエの説明を一度では理解できなかったらしい。


「え? え?」と力のない声を吐き出すダッサムに対して溜息を漏らしたシュヴァリエだったが、致し方ないともう一度懇切丁寧に説明してやることにしたのだった。


「ヴァイオレットの活躍でワクチン──つまり魔力酔いを予防する薬は既に完成し、国民への配布は終わっている。全員経口摂取しているのも確認済みだ。……つまり、今聖女が魔法を使おうと、この国では誰も魔力酔いを起こさないということだ。……分かるか? そもそもお前の企ては、始めから失敗していたんだ」

「……え? じゃあ、私がやろうとしたこと、は……」


 もしこの場でマナカに魔法を使わせていたとしても、魔力酔いは起こらない。

 それなら被害は出ないはずだから、ダッサムの言動は何の問題もない。となるほど、世間は甘くなかった。


「結果はどうあれ、お前は我が国の民を危険に晒そうとした。王になることは疎か、お前は重罪人だ。さあ、この罪──どう償うつもりだ?」


 背筋が寒くなるほど冷たいシュヴァリエの声でそう問いかけられ、ようやく事の大きさを理解したダッサムの顔面からはさあっと血の気が引いていく。


 今までは何だかんだヴァイオレットが尻拭いをしてくれていたし、いざというときには甘い父に泣きつけば良かった。 


 だが、いくら愚かなダッサムであろうと、今回の件は今までと桁が違うのだと、謹慎や勉強程度では償えないのだと悟ったらしい。先程まで生きの良い魚のようにテーブルの上でピクピクと動いていたのだが、今やその面影はない。


 それからシュヴァリエは、追い打ちをかけるようにダッサムの耳元で言葉を続けた。


「さて、お前のことは直ぐに罪人としてハイアール王国へ送り付けるとして……。その首、いつまで繋がっていられるだろうな」

「ぎょぇぇぇぇぇぇ……!!!!」


 まさに自業自得、因果応報。

 ダッサムはこれから自身がどういう目に遭うか正確には分からなかったけれど、今まで当たり前にあったものがすべて無くなるのだろうということは理解でき、絶望に打ちひしがれて、周りが引くほど鼻水を垂れ流した。



「私、何であんな人が好きだったんだろう……」



 悲しいかな。恋の魔法のようなものが解けてしまったマナカは、ダッサムの姿に氷のような冷たい目を見せる。


 直後、「名前どおりダッサイ……」と呟いたマナカに、ヴァイオレットは力強く頷いて同意した。



 ◇◇◇



 それから、一週間が経った日のこと。


「食事が冷たい……パンが硬い……量が少ない……! 床は冷たいわ服はボロボロで薄いわ、足枷があって自由に動けんわ、何なんだこの、厳重な鍵はぁ……!!」


 ハイアール王国の王宮の地下牢。ここには重罪を犯した貴族や王族が収監されることになっている。


 食事は一日に一度。死なない程度に貧相な食事と水が鉄格子の隙間から配られ、厳重な鍵と足枷によって過去に逃げ出せた者は居ない。


 そんな地下牢の最奥には、数日前まで第一王子として誰もが羨むような生活をしていたはずのダッサムの姿があった。


「出してくれぇぇぇ!! ここから出せぇぇ!」


 叫ばずにはいられなかったダッサムだったが、遠くに見える見慣れた人影に目を見開く。


「陛下!! いや、父上……父上……!!」

「ダッサム……」


 ヴァイオレットを連れ戻しに行った日、ダッサムはシュヴァリエとヴァイオレットの迅速な手配によりすぐさまハイアール王国に帰還することとなった。


 そして、三日の道のりを経て、直ぐ様通されたのはこの地下牢だった。両親に取り次げと言っても話は通らず、周りには看守しか居ない状況に辟易としていたダッサムだったが、突然現れた父に希望を見出した。


(父上は私に甘い……! 反省をしている様を見せれば、ここから出してくださるかもしれない……!)


 そう考えたダッサムは、鉄格子の真ん前まで来た父に向かって華麗な土下座姿を見せた、のだけれど。


「父上!! このとおり私はとても反省を──」

「黙れ、ダッサム。お前の言葉はもう何も信じられん」

「……!?」


 ダッサムの謝罪の言葉は父に遮られてしまう。


 今まで向けられたことがない咎められるような父の目を見て、ダッサムは「え?」と間抜けな声を漏らした。


「お前が王宮に戻ってくるよりも前に、リーガル帝国からの早馬が来て、お前が何をしたか全て承知済みだ。謝罪に行くなどと嘘をつき……まさか自分が王座に座るためだけに他国の国民を危険な目に遭わせようとするとは……恥を知らんか!!!!」

「……っ、父上お待ち下さい!! けれど結局は何も……!!」

「阿呆が!! それは結果論だ!! ヴァイオレット嬢の聡明さと、シュヴァリエ皇帝陛下の手腕があったからこそ何も起こらなかっただけだ!!」


 フーフーと鼻息を荒くし、肩で息をする国王はその瞬間、膝から崩れ落ちる。

 この期に及んでまだ心の底から反省していないダッサムに、絶望したからであった。


「どこで……育て方を間違えたんだろうな……」

「ち、父上……?」


 そうポツリと呟いた国王は、懐から紙を取り出すと、それをダッサムに見えるように、鉄格子へと押し付けた。


 続いて、ダッサムはその紙を凝視する。難しい書面だったので読解に時間がかかったが、ようやく理解した、というのに。


「ダッサム・ハイアールは終身刑に処する? ……つまり、死ぬまで、この地下牢で、生活、する?」

「ああ、そうだ。これは決定事項だ」

「なっ、なっ、なっ!! 嫌だ!! 死ぬまでここに居るなんて嫌だ!! 出して!! 出して下さい父上……!!」

「……っ、お前は何をしたのか分かっているのか!! この決定がどれだけ温情を込められたものか、それも分からんのか!!」

「……!?」


 父が言う言葉の意味をはっきりとは理解できなかったダッサムは、「つまり……?」と恐る恐る問い掛けると。


「本来お前は、死刑に処されるはずだった」

「……!!」

「だが、それだけは勘弁してほしいと私が頼み込んだ。そして、とある条件を提示することで、お前は減刑され、終身刑となった」


 その時のダッサムの脳裏には、シュヴァリエの言葉が反芻した。


 ──『その首、いつまで繋がっていられるだろうな』


(ち、父上が居なければ、私はあの男が言っていた通りに……!!)


 死刑台に登ることを想像すれば、流石のダッサムでも体がカタカタと小刻みに震え出す。

 死を間近に感じることは、こんなにも恐ろしいことなのかと痛感したからだ。


(だっ、だが! これでやはり父上が私を可愛いと思っていることは分かったぞ!! とある条件とやらは気になるが……大したことではないだろう!)


 しかし、そこはダッサムというべきか。


 死を回避したのなら、この地下牢からも抜け出したい。父に頼み込めば、父が権力をかざせば、案外どうにかなるのかもしれない。


 そんなふうにダッサムは自身の都合の良いように物事を考え、又それを口にしようとしたのだけれど……その瞬間が来ることはなかった。


「ダッサムよ……私がお前の減刑を望んだのは……お前がこんな化け物に育った原因の一端が、私にあると思ったからだ」

「な、何を言って……」

「長子である自分とお前を重ね……私はお前が王になることを望んでしまった。そのためお前が何かをやらかしてもあまり重たく罪に問うことはなかった。……それが、お前をここまでの化け物にしてしまったんだな……」

「あ、あの? 父上……? 話がよく……」


 分からない、と言おうとしたダッサムだったが、そのとき、父の頬に涙が伝うのを見て、一瞬言葉を失ったのだった。


「だから、私もお前と共に罪を背負おう」

「……? と、共に?」

「そうだ。お前の減刑の条件として、私も死ぬまでこの地下牢に入ると約束した。私は決して優れた王ではないし、お前を王にしようとした愚かな人間だ。誰も止めなかったよ」

「なっ、ななな!?」

「もちろん、ナウィーがもう少し大きくなるまではこの国のために身を粉にして働くつもりだ。まあ、だが、ナウィーは私やお前と違って聡い……きっと直ぐに私のことなどいらなくなるだろう。そのときは──」


 国王はそう言うと、涙を拭ってダッサムに背中を向ける。そして、悲しそうに微笑んだ


「私とダッサム──二人で、この地下牢で死ぬまで自らの罪を猛省しよう。それが、私たちにできる唯一の償いだろうからな」


 その言葉を最後に、どんどん小さくなっていく父の足音。


「父上っ、待って……! お待ち下さい……!! 嫌だ!! ここから出して!! 助けてよぉぉぉ!!」


 ダッサムは、ガシャン! と力強く鉄格子を掴みながら、しばらくの間そうやって叫び続けた。

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