少女と婦警

飛鳥休暇

少女と婦警

 机と椅子だけが置いてあるシンプルな取調室の中にひとりの少女が腰掛けている。

 長く伸ばした髪を明るい金色に染めているが、つむじのあたりは元々の髪色である黒い部分が覗いていた。

 タンクトップにスカジャンという一昔前の不良のような服装ではあったが、緊張のためか両手を太ももに挟んで小さくなっている。


立花美佳たちばなみかさんね」


 わたしは努めて優しい声色で彼女に声を掛ける。その声に反応するかのように少女はわずかに顔を上げた。年の頃からいうとまだ高校生であるその少女の目は、どこか濁っているようにも見えた。


「大丈夫、この部屋にはわたしとあなたしかいないから安心して」


 そう言って微笑むと、彼女もふっと息を漏らした。


 昨日、繁華街のとあるバーで半グレ同士の抗争が起きた。

 法の外にいるようなその集団たちの衝突は凄惨な結果をもたらした。

 死者三名、重軽傷者二十余名。

 そんな現場の物陰に隠れるようにして、彼女――美佳は発見された。

 幸いにも怪我は無かったようだが、発見当時の彼女は頭を抱えて震えていたらしい。

 そんな彼女の年齢と精神面を考慮して、今回の取り調べは生活安全課の女性警察官であるわたしに白羽の矢が立ったのだ。


「それじゃあ、昨日あの店で何があったのかを教えてもらえるかな? できれば時系列に沿ってもらえると嬉しいんだけど」


 わたしはバインダーを開き、ボールペンを手に取る。

 美佳は記憶を辿るように目を上の方に泳がせた。


「えっと、わたしは、昨日龍二に飲みにいくぞって誘われて、あのお店で飲んでたら突然何人もの男の人たちが怒鳴りながら入ってきて」


 当時の状況を必死に思い出しながら話す美佳の声は、見た目よりも可愛らしかった。


「そこからは、わたし、よく覚えてません。怖くて、奥に隠れていたので」


 そう言うと再び目線を落とし、両手を太ももに挟み込んで固まってしまった。

 恐怖体験から心を守るための防御態勢だとわたしは分析する。


「大丈夫よ。ここは安全だから」


 そう声をかけると、美佳はほんの少しだけうなずいた。


「あの店にはよく行っていたの?」


 問いかけに美佳はこくんとうなずく。


「あそこは、兜武死かぶとむしの人が経営してるから」


 兜武死。近年県内で幅をきかせている半グレ集団の名前だ。

 恐喝や売春、違法賭博に最近ではドラッグの売買の噂まである凶悪な連中である。

 美佳の彼氏である白郷龍二しらさとりゅうじはその中心メンバーのひとりであった。


「そうだ、龍二は? 龍二はどうなったんですか?」


 美佳が思い出したかのように身を乗り出して聞いてくる。

 わたしは逡巡した。今回の事件で死亡した三名、その中に彼女の恋人である龍二が入っていたからだ。

 事実を彼女に伝えるべきか。

 しかし、そんなわたしの反応に何かを感じ取ったのか、美佳は力なく椅子に身体を預けた。


「そんな。……龍二」


 両手で顔を抑えたその手の隙間から、彼女の湿った声が漏れる。


「立花さん、気を強く持って。とにかく、この取り調べが終わったら家に帰れるから」


 慰めの声をかけるわたしに、彼女が強く首を振る。


「帰る家なんてない!」


 そう言って泣き続ける彼女が落ち着くまで、わたしはしばらく待つことにした。


――帰る家。


「そういえば、あなた二年前まで楓学院かえでがくいんに通っていたみたいだけど、それがどうしてあんな連中とつるむようになったの?」


 わたしの問いかけに、美佳の動きがぴたりと止まる。

 楓学院は県内でも有数の進学校で、いわゆる旧帝と呼ばれるような日本有数の大学にも毎年現役合格者を多数輩出しているような高校だ。


「……どうして、それを?」


 彼女は顔を隠したまま聞く。その声にわずかな冷たさをわたしは感じた。


「ごめんなさい。ここに来るまでに少しだけ調べさせてもらったの。あなたは楓学院を一年生のときに中退して、そしてそのまま家出した。ご家族も心配されてたわよ。今日迎えに来るって――」


 わたしの言葉が終わるかどうかのタイミングで美佳は顔を上げた。それはついさっきまで泣きべそをかいていたとは思えないほど冷めた表情であった。


「あいつら来るの? ……余計なことを」


 吐き捨てるように言った彼女にわたしは違和感を覚えた。先ほどまで目の前にいた子猫のような少女が、どこか大人びた目で机の一点を見つめている。


「ねぇ、立花さん。あなたはまだやり直せるわ。楓学院にいたってことはとても優秀な人間のはずでしょ? 二年のブランクがあってもあなたならきっと簡単に取り戻せる」


「あんたに何が分かるの?」


 低い声とともに突き刺すような目線を向けてきた美佳に、警察官であるわたしですら背筋に冷たいものを感じた。


「どうして? このままあの連中と一緒にいるとあなたの人生もめちゃくちゃになるわよ?」


 少し強い口調になってしまったわたしに対し、美佳はふっと鼻を鳴らした。


「あんたには分からないだろうなぁ」


 そう言うと美佳は机に両肘をつき、少し前のめりになった状態で挑発的な視線を向けてきた。


「どういうこと?」


「自分より馬鹿な人間が、それと知らずに自分を馬鹿にしてくる快感」


 美佳がふふふと笑みをこぼす。その目はどこか悪魔的に思えて、わたしは少し身構える。


「あいつらを操るのなんて簡単。何も知らないフリして甘ったるい声を出してれば思うように動いてくれるんだから」


 そう言うと美佳は両手を頬に当てて「え~、ミカわかんな~い」とぶりっこの動きをした。


「そしたらさ『お前はほんとバカだなぁ』なんて言ってなんでも許してくれるの。ウケるよね? わたしより遙かに知能の低い人間がわたしのこと馬鹿にしてくるんだよ? これが最高に気持ちいいの」


 わかんないだろうなぁ、と美佳は再度口にする。


「そんな理由であんな連中と?」


「そんな理由?」


 今度は堪えきれずに手を叩いて笑い出した彼女に、どこか怖さを感じてしまう自分がいた。


「なにがおかしいのよ」


「だっておばさん、ほんとに何も分かってないんだから」


「お、おばっ」


 瞬時に沸点に達しそうになった頭を必死に抑える。勤務中で大人しめのメイクをしているからと言って、わたしはまだ二十六歳だ。おばさんと呼ばれるにはまだ抵抗がある。


「あ、あなたはまだ若いから、短絡的な快楽に身を任せているだけよ」


「なに? わたしがガキだって言いたいわけ?」


 美佳が鋭い視線を向けてくる。情緒不安定なのだろうか。先ほどからころころと表情が変わるなと思った。


「もしそのガキの定義が『経験が少ない』ということだとしたら、きっとガキはあんたのほうだよ」


 美佳がその細い指でわたしを指してくる。


「そんなわけないでしょ」


「そんなわけあるよ。おばさん今まできっとクソ真面目に生きてきたでしょ? 窃盗、ドラッグ、3P。……ほら、わたしのほうが経験豊富」


 指を折りながら物騒な単語を楽しげに数える美佳にわたしはあきれる。

「そんな経験なんてしたくもないわ」


「違う。『できない』の間違い」


 だから、と美佳が続ける。


「だからわたしは高校を辞めた。この先、くそつまんない連中とくそつまんない人生を送るのが嫌だったから」


 彼女の言っていることが理解できなかった。そのまま真面目に学校に通っていればそれなりの大学にはなんなく合格できたばずだ。有名大学のネームバリューを持ってすれば就職先だってそれなりに選べる。そんな人生を捨ててまで非行の道に進む気持ちが何一つ理解できなかった。


「でも、それじゃあこれからどうするの? あなたの恋人は今回の抗争で犠牲になった。もう帰る場所もないじゃない」


「大丈夫。帰る場所は自分で作るから」


 そう言うと美佳はにやりと笑った。いたずらを仕掛ける前の子どものような笑顔だと思った。


「どういうこと?」


「例えば。あくまで例えばの話だよ?」


 美佳がわたしの目を見て一呼吸置く。


「今回の事件現場となったバーが兜武死のアジトのひとつで、そこに非合法なお金を隠した金庫があったとする。それを知っていた誰かがわざと対抗組織をけしかけてそこを抗争の現場とする。そのお金のありかを知っていた人物がその騒動に乗じてお金を丸ごとどこかに移してしまう」


「あなた、まさか」


「やだぁ、目が怖いよおばさん。あくまで例えばの話でしょ?」


 蠱惑的な笑みを浮かべる彼女の顔を見て確信した。いま彼女が話したことはすべて事実だ。


「三千万くらいはあるのかなぁ。それだけあれば、もっと大きなお金を掴むチャンスもきっと出てくるよね」


「立花さん。今ならまだ間に合うわ。全部話して、罪を償って、そして更生しなさい」


「罪? ねぇ、おばさん。わたしが何か罪を犯した? わたしを何罪で捕まえるつもり?」


 勝ち誇ったように言い切るその口調からは自信がみなぎっていた。


「くっ。……いいわ。これからはわたしがあなたを見守る。そしてきっと更生させてみせる」


 わたしは強く決意表明をする。この子は危険だ。そしてそれ以上に未来がある。これ以上道を外れる前に、わたしが必ず止めてみせる。


「更生。更生。更級日記さらしなにっきの『更』に『生きる』と書いて更生。……大層な言葉だね」


 こんな時にさらりと「更級日記」という単語が出てくることこそが彼女の知能の高さを表している。

 やはり、彼女は悪の道に進むべきではない。


「いいよ。じゃあ、勝負だね」


「勝負?」


「そう、わたしがわたしの人生を成功させるのが先か、お姉さんにしっぽを掴まれるのが先か」


 いつの間にかわたしの呼び名が「おばさん」から「お姉さん」に変わっていた。それは敬意の表れか、それとも。


「必ずあなたを止めてみせる」


「うん、楽しみに待ってるよ」


 不思議と心が躍っている自分に気がついた。忘れかけていた警察官としての熱意が燃え上がっている。

 必ず彼女を正しい道に連れ戻す。そのためにわたしは警察官になったのだと思えるほど、使命感に燃えていた。


 狭い取調室のなかで少女とふたり。

 恋人にするそれのように、目をみつめて微笑みあった。



【完】

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少女と婦警 飛鳥休暇 @asuka-kyuka

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