第26話 終わりと始まり

 ネフェルタリは、うっすらと目を開けた。


 痛くはないし、苦しくもない。生気をうばわれるというのは、こんなにも楽なのだろうか。


 ふと、見覚えのある服の模様が視界に入る。父王ライール三世がよく身につけていたローブにほどこされていた、ししゅうと同じガラだ。しかもそれは、父王が火そうされた時にも着せられていた服だった。


 うす黄色に光るその模様は、ネフェルタリを守るように包んでいる。


『すまなかったネフェルタリ。ふがいない私を許せ』


 なつかしい声が聞こえた。父王の声だ。


 ネフェルタリは顔を上げた。服と同じ、うす黄色に光る父王ライール三世が、優しい眼差しでネフェルタリを見下ろしていた。

 ここでネフェルタリはやっと、父王のタマシイにいだかれているのだと分った。


 怨霊は父王のタマシイにはばまれて、ネフェルタリに手を出せないでいた。足元で横たわっているウィーダは、すでに怨霊におおわれてしまっている。かろうじて見えている右手の薬指が、苦しんでいるように曲ったりのびたりをくり返している。

 ぞっとしたネフェルタリは、怨霊まみれのウィーダから一歩しりぞいた。


『怨霊たちよ、そなたらからの、えん軍ようせいを退けたのは、むすめでなく私だ。私を連れて行け!』


 ライールが怨霊にさけんだ。


 怨霊がまた、遠吠えのような声を上げた。ネフェルタリをさけて、ライールをおおいはじめる。


「だ、ダメ! 父上、父上!」


 ネフェルタリはライールを助け出そうと、ドロ水の中に手をつっ込んだ。しかし後ろから体を引かれ、ライールからはなされてしまう。


 ネフェルタリを引っぱったのは、トトだった。


「はなれて! 怨霊が昇華しょうかする!」


 必死にネフェルタリを後ろに引きずりながら、トトが言う。


 怨霊がどろ水色から、徐々に黄土色へと変化してゆく。そして、うすい黄色に変わり、続いてシンジュのような白になった。最後に、目を焼くほどの強いかがやきを放ったかと思うと、大きくはじける。

 

「ふせて!」


 トトがネフェルタリに、おおいかぶさった。

 強い熱風が、二人をおそう。


 ネフェルタリはトトのうでの中から、うらみが消えた多くの怨霊と共にうすれて消えてゆく、父王ライールとウィーダのタマシイの姿を見た。


 ★


 二週間後、ペラではネフェルタリのたいかん式がとり行われた。

 通常は国庫が解放され、三日三晩の大盤ぶるまいとなるのだが、国の厳しい情勢を考えて、おひろめだけの式となった。民への内祝いはたった一食分、配給に干し肉が足される程度だ。

 それでも、たいかん式が行われた大神でんの前には、ネフェルタリのそくいを祝おうと、国中の人々がおし寄せた。


 神殿の大階段の一番上でひざまづいたネフェルタリの、明るい茶色のかみの上に、大神官が金のかんむりをそっとかぶせると、大地をゆらすようなかん声が起こった。


「――この日は、この国を支えてきた多くの先王そして、ここに集うみなのためにあります」


 女王が演説を始めた。

 民衆は静まり返って、若い女王を見守る。


「わたくし、ネフェルタリは、ここにちかいます。この大陸に栄える国々を導いてきた多くの気高き魂の名のもとに。先王たち、また、父ライール三世がそうであったように、女王として、この命ある限り、かならず民を導き、守り続けると」


 まばゆいばかりの新女王が無事演説を終えると、また、大きな歓声がひびいた。

 どこから集めて来たのか、色とりどりの花びらがまう。


 ネフェルタリはハクシュでむかえられながら、ゆっくりと階段を下りる。階段を下りた最前列には、ネフェルタリと親しくしていた者達が集められていた。


 マナナは立派なワシ鼻の下にハンカチをあてて、感動のなみだを流している。しかも、昨晩からずっとだ。

 

 マナナのとなりには、と畑を作ってきた一家が並んでいた。幼い女の子と男の子がネリの名を呼んで手をふり、その両親は深くおじぎをする。

 彼らが畑にまいた麦は無事に芽ぶき、成長しているらしい。他の農民たちも夫婦のやり方を見習って、土づくりを学び始めたという。


 ネフェルタリはまず夫婦におじぎを返すと、子供達二人に小さく手をふり返した。


 次に、ハバス将軍がネフェルタリに敬礼する。ネフェルタリは左胸に手を置いて、礼を返した。


 続いて、異国の服をまとった三人組があらわれる。

 のばしっぱなしのかみの毛に加えて、ボロボロのシャツとズボン姿だったハルディアら三名だったが、ハルディアのかみはきれいに結われ、シェンとコンもさっぱりとした短ぱつになっていた。さらに、マナナや女官達のがんばりで、エレルヘグ風の流れるようなシシュウをほどこした正装があつらわれ、それを着た三人は、すっかりエレルヘグの殿方だ。


 ハルディアは左胸に手を当てて美しいおじぎをすると、「女王陛下に、心からの祝福を」とかしこまった口上をのべた。


 ネフェルタリも真面目に応じようとしたが、ガマンができず、おじぎの途中で笑いだしてしまう。


「失礼なやつだな」


 文句を言いながら、ハルディアも破顔する。


「まあいいや。これからもよろしくたのむぜ、ネフェルタリ」


「こちらこそ」


 今後、国のトップとして付き合いを続ける予定の二人は、意味ありげにほほえみ合った。


 おくの方から、ざわめきが聞こえた。

 人ゴミが割れ、その中から、黒衣の集団が現れる。人々がざわめきたっているのは、黒衣の集団が大きなクモを連れているからだ。


 それが葬送人の正装なのだろう。みながみな、いつもと同じ服に、彼らのひとみの色と同じ青い石を散りばめた額かざりと帯かざりを身につけている。


 先頭にいるのは、イサだった。


 ネフェルタリはイサの前まで来るとひざまずき、首を垂れる。


「みなさんには、どう感謝していいか」


「君はこれからだよ。これから、心もタマシイもみがいていくんだ」


 そう言ったイサは、右手を差し出してネフェルタリを立たせた。イサの左うでは、ひじの下から半分が無くなっており、白い包帯が巻かれている。

 他にも数名が、うでや頭に包帯を巻いていた。キセキ的に死者は出なかったが、砂ばくでの戦いで負傷したのだ。


 これまでイサの首にあった指令笛は、後ろにいるルウの首にかかっている。馬を操りながら杖を使う事ができなくなったので、怨霊集めの司令塔役を交代したのだ。


「あなたのうでに報いるものはありませんが……願いを言ってくださいませんか。私にできる事なら、何でも」


 ネフェルタリからの申し出に、イサは「ありがとう」とうなづいた。そして、横にいたトトを前に出す。


「それでは、むすこをエレルヘグへの遠せいに同行させてもらえないだろうか」


 エレルヘグを取りもどす戦いでは、ケスタイ人にもエレルヘグ人にも、もちろんペラ人からも、必ず死者が出る。戦死者のタマシイを集めてとむらい、故郷に帰す役割として、トトが名乗りを上げたのだとイサは説明した。修行代わりだ。


 本来の修行ルートは、東の川沿いに南へ下り、西へわたってまた北上してくるだけだった。それを、大砂ばくをわたって、はるか北東にあるエレルヘグを目指し、南西へ下ってケスタイに魂を届け、また大砂ばくをこえて、ペラにもどってくる道筋に変えた事になる。

 道が悪い上に、キョリも倍以上。


「それじゃあ……」


 ネフェルタリの顔がくもる。


 トトは「うん」と静かに応じた。


「一年じゃ、ぜったい帰って来れないな。何年かかるか分んないや」


 けれどかならず生きてもどって来ると、トトはネフェルタリにあくしゅを求めた。


「おれも、ちゃんとみがいてくるよ。心とかタマシイとか、色々。いつか、父さんのあとをつぐために」


「うん――うん!」


 ネフェルタリは目になみだをためながら、トトの手を強くにぎり返す。


「せんべつのキスくらいしてやれよ。女王陛下!」


 ハルディアが大声でひやかしてきた。


 からかわれたネフェルタリとトトは、顔を真っ赤にする。


「――きゃっ!」


 とつぜん、こぶし大の丸いものが飛びこんで来たかと思うと、ネフェルタリの顔面にはりついた。シェム―だった。

 

 シェム―は、ネフェルタリの頭から顔からクルクルはい回ると、ネフェルタリのほほにスリスリと頭部をこすりつける。ほおずりをしているようだ。


「シェム―もいっしょに来てもらうんだ。あっちで光グモの糸がなくなると、困るから」


 ネフェルタリをすっかり気に入ってしまったシェム―の行動に呆れながら、トトが言った。

 砂ばくをこえたエレルヘグやケスタイに、光グモは生息していないらしい。


「そう。あなたも元気でね、シェム―」


 右かたに乗っているシェム―に顔を向けると、くちびるの角にザリッとしたものが当たった。

 とたん、


「あーっ!」


 トトがものすごい形相でゼッキョウする。


 ネフェルタリへの口づけをやりとげたシェム―は、『バイバイ』とばかりにかたから飛び下りると、またたく間に人々の足の向こうに消えてしまった。ネズミや小鳥などの小動物をつかまえられるだけあって、流石のスピードだ。


「待てこのヤロー!」


 トトもシェム―を追いかけて、群衆の中に入って行く。


「あの子、どうしておこってるのかしら」


「そういえば、トトはシェム―がメスだってまだ知らなかったか……」


 首をかしげたナツの横で、イサがぽつりと言う。


「え! わたしもオスだと思ってた!」


 こうきしんおうせいなわりに、大変なはずかしがりで、人前ではあまりしゃべらないイトが、大声を上げた。


 盛大にふき出したネフェルタリが、お腹をかかえて笑いだす。

 そこにいる人々もつられて、笑いはじめる。


 ペラ始まって以来初の女王であるネフェルタリ一世のそくい式。その日は、たくさんの笑顔と笑い声に包まれた。


 ★


 五日後、ハルディア達は二万の軍勢をひきつれて、ペラを旅立った。

 結局ハルディアは、ハバスの他にも二人の名将軍を連れて行ってしまった。ではなく、だ。


 少々してやられた、というくやしい気持ちをいだきながら、ネフェルタリは城の最上階にあるバルコニーから、遠ざかってゆく大軍勢を見送る。

 

 戦争のしゅぼう者であるウィーダが死亡したとはいえ、エレルヘグをうばい返された軍事国家ケスタイが、そのままだまっているとは思えない。ネフェルタリもこれから、女王として備えなければならない事が山ほどあった。


 少し前を行く小さな三つの点は、ハルディアとシェンとコンにちがいない。

 トトはどこにいるのだろう。馬に乗っているはずだが、遠くはなれ過ぎて分らない。


 残念な気持ちで、ネフェルタリが小さくため息をついたその時、大隊の中で、緑色の小さな光が、一つ灯った。


「あっ――」


 思わず、手すりから身を乗り出す。

 緑色の光は、ゆっくりと左右にゆれている。まるで、こちらに向かって手をふっているように。


 ネフェルタリもそれにこたえて、千切れそうなくらい手をふった。手をふっていると、さびしさや不安が、どんどん小さくなっていく。


 やがて、緑色の灯が消える。


 ネフェルタリも、ゆっくりと手を下ろす。名残惜しくはあったが、心はずいぶん、晴れやかになっていた。


「そうよ。だいじょうぶ……きっとだいじょうぶ!」


 遠く小さくなってゆく盟友を見つめながら、ネフェルタリは力強いほほえみをうかべる。


 大隊はまだ見えていたが、ネフェルタリはくるりと向きを変えて、城の中に入った。よどみない動作で、大きなガラス戸をばたりと閉めた十三歳のしんまい女王は、政務にもどるため、さっそうとした足取りで、ろう下を歩いて行った。


〜完〜

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ネリとトトの川向こう みかみ @mikamisan

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