第29話 向日葵のように咲いて

「毎度~」


 真登香に見送られて、夏斗と澪は駄菓子屋を後にする。

 澪の左手には、たくさんの駄菓子が詰められたビニール袋が握られていた。

 気になったものを片っ端から、いわゆる大人買いというやつである。


「それで、次はどんな場所に行くの?」

「俺、この田舎には好きな場所がいっぱいあるんだけど。そのなかでも、3本の指に入るくらい気に入ってる場所に案内しようと思ってる」

「夏斗くんが好きな場所のTOP3……」

「そう。今から行くのは、そのうちの1つだけなんだけどね」


 蝉の合唱が耳に響くなか、あと1ヶ月少しで収穫を迎える田んぼ道を2人並んで歩いて行く。

 頭の上、青空では、とんびが輪を描いて舞っている。

 まるで都会とは別世界の風景に、少しずつ澪も慣れてきてはいるが、それでもやはり新鮮な気持ちの方が大きかった。

 そうこうして10分ほど歩いたところで、夏斗がふと足を止める。

 それに合わせて、澪も歩くのをやめた。

 田んぼ道を抜けはしたものの、周りには緑が広がっているだけだ。

 のどかで良い景色ではあるが、正直に言って他の場所とあまり変わり映えがしない。


“ここが夏斗くんのお気に入りの場所……?”


 辺りを不思議そうに見渡す澪に、夏斗が言った。


「澪、ちょっと目を閉じててくれる?」

「えっ? どうして?」

「何ていうか……もうすぐ目的の場所なんだけど、何も見ないで行っていきなり目を開けた方が感動すると思うから。その気持ち、澪に味わってほしい」

「分かった」


 澪は夏斗の言葉を信じて、そっと目をつむる。

 自分の方へ向けて目を閉じた澪の顔は、まるでキスを待っているかのようで、夏斗は一瞬だけドキリとさせられた。

 しかし、何とか平静を取り戻すと、そっと澪の右手を取る。

 手を繋ぐことに、ドキドキしつつも躊躇が無くなってきている2人。

 男女の友情と言うにはあまりに親密で複雑で、かといって恋人でもない。

 微妙な距離感の中で、夏斗は優しく澪の手を引いた。

 導かれるように、澪はゆっくりと歩き出す。


“目を閉じて歩いてるのに、夏斗くんの温かい手のおかげで何も心配ない……。それに手を握ってくれるの、不思議なくらい幸せな気持ちになる……。”


 そんなことを考えながら、澪は言われた通り忠実に目を閉じて歩き続ける。

 少しだけ坂を上って、そして少しだけ坂を下った。


「ちょっと段差あるよ」

「うん」


 夏斗の言った通り、数センチの段差がある。

 その向こう側へ足を踏み出すと、舗装された道とは異なる感触があった。

 草と土、大地を踏みしめている感覚。

 そしてさらに数メートル進んだところで、夏斗のリードが止まる。


「はい、到着」

「もう目を開けても大丈夫?」

「うん」


 夏斗の手を握り返したまま、澪はゆっくりと目を開ける。

 太陽が眩しい。

 少し視界がぼやける。

 しかしそれは、どんどん鮮明になっていく。


「わぁ……」


 目の前に現れた光景に、澪は感嘆の声を漏らした。

 一面、黄色。

 青空と白い雲の下で、黄色い花が太陽へ向けて揺れている。

 見渡す限り、どこまでも続いていきそうな、そんな圧巻の向日葵畑だった。


「すごい……」


 10本、20本なんてレベルではない。

 数百本の向日葵が、どこまでもまっすぐに伸びている。


「ここが、夏斗くんのお気に入りスポットのひとつなんだね……」

「そう。何ていうか……圧倒されるでしょ?」

「うん……」


 澪は呆然としながら、向日葵畑を見渡す。

 しばらく2人の間に沈黙が流れた後、夏斗が小さな声で呟いた。


「やっぱりすごいな……」


 澪は向日葵から、隣に立つ夏斗へと視線を移す。

 夏斗はそのことに気が付かず、まっすぐに向日葵畑を見つめている。

 その横顔、特にその目を、澪はひそかにじっと見つめた。


“夏斗くんみたいだね……なんて言ったら、変な人だと思われちゃうかな……。”


 青空へと、太陽へと、まっすぐに向日葵が伸びているように。

 夏斗もまっすぐに澪のことを見つめて、まっすぐに澪に向けて手を差し伸べてくれる。

 澪の中で、目の前の夏斗と向日葵が重なった。


“私も夏斗くんみたいになりたいな……。いつか夏斗くんが大変な目に遭っても、まっすぐに助けてあげられるような人に……。”


 向日葵の花言葉のひとつに「憧れ」がある。

 澪が夏斗に対して抱く複雑な感情の中に、憧れがあることは間違いなかった。


“でも今は、まず私が変わらなきゃ……。”


 目をつむってからというもの、澪はずっとその右手に夏斗の温もりを感じ続けている。

 その手に少しだけきゅっと力を入れると、夏斗が優しく笑ってこちらを見た。


“私も夏斗くんみたいに笑いたい……。”


 夏斗と触れ合っている幸せを感じながら、澪は口角を上げてみようと努力する。

 それでも上手くいかない。

 しかし、今回の澪はがっかりすることはなかった。


“夏斗くんといれば、ちゃんと笑える気がする。”


 十年以上も『氷姫』として生活してきたのだ。

 それがあっという間に、思い通りに変化することはない。

 それでも間違いなく、氷は解けてきている。

 夏斗がまっすぐに手を差し伸べてくれるから、澪もまっすぐに太陽のような向日葵のような夏斗に自分の手を伸ばすことができる。


「夏斗くん」

「ん?」


 澪は不器用な表情のまま、向日葵畑の真ん中で言った。


「きっと見た目では分からないと思うけど……私、今笑ってるよ」


“心の中では。”


「うん」


 夏斗は嬉しそうに頷く。

 ちゃんと表情に出して笑えるようになりたい。

 そしてその顔を、誰よりも夏斗に見てほしい。

 そんなことを考えながら、澪は再び向日葵畑を眺め始めたのだった。

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夏休み限定で『氷姫』と呼ばれるクラスメイトの執事になったんですが、どうやら永久就職することになりそうです。 メルメア@『つよかわ幼女』発売中!! @Merumea

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