20勘違い

「私、透さんとお付き合いしてるんです。彼は私に保護犬を見せてくれただけ。あとは私一人で、ここまで来ました」 百田はゆっくりと後ろへ下がった。

「フッ、あのチャラ男と? あの鉄板も星野が持ち上げたのね」

「いいえ、無関係です。その時間、彼はランチタイムで多忙でしたから。侵入したのは私だけです」

「……そういうことにしておきましょう。忠告したのに、なぜ会いに来たの?」

「太郎の口から、本心を聞くためです」

「それなら行ったほうがいいのでは? 撮影が終わってしまうわよ」


照子は壁を見た。壁掛け時計は16時。本来なら公開収録の終了時刻である。


「写真の説明を。なぜ白衣なの?」

「ああ、それはね。ここの警備ドローンはあまり頭が良くなくて、定期的に部屋の主を忘れてしまうバグが起きるの。学習させるために白衣の写真を掛けているのよ。面白いでしょう?」

「太郎のことよ。あなたは、なぜ彼を危険に晒す真似を?」


変身した太郎の写真を人目に晒して、正体が絶対にばれないという保証はない。


「あら……あなたって、本当に面白い方!」


照子は目を細めて笑うと、研究室のドアを開けた。土臭い地下の空気が入り込んでくる。外へ出ると、百田を手招きした。

「こちらへいらっしゃい」


言われるがまま地下道へ出ると、左奥には重厚な金属製の扉。漆喰壁には例の写真があり、生体認証カメラの奥には、仏頂面の軍人の額縁が並んでいる。


「彼の名は森太郎。ここで働いていたの」

写真には白衣を着た太郎と照子が、仲睦まじく並んでいる。

「……は? 何ですか、その平平凡凡な名前」

「そうね、美男子なのに、残念な名前」

「冗談はやめてください。私は真剣に聞いています」


百田が再びスタンガンを取り出すと、照子は怪訝な表情で溜息をついた。

「真剣よ。本名なの」

「元の飼い主が、森さんということですか」

「彼は、ここの元研究員よ。この写真は最初からここにあったの。まさか……あなた、彼を柴犬だと思っていたんじゃないでしょうね?」

「え……だって、耳が」

「手術の副作用で、変身できるようになってしまったのよ」


「……人間には変身できるけど、柴犬になるには、自然に戻るのを待つしかないって」

「逆よ。デフォルトが人間で、副作用が出ると柴犬になってしまうの。調子が良ければ、元の姿に戻れる」

「でも、ドッグフードを食べて、散歩していたわ」


耳鳴りがして、彼女の言葉が理解できない。


「それは記憶を上書きしていたから。あなたが急に犬になったら、正気でいられる? 精神を保つためには、人間であることを忘れる必要があったの」

「でも、首にチップが」

「譲渡の際に登録証が必要で、埋め込んだのよ。術後は副作用が強かったのでしょう。人間に戻れると分かったら、譲渡しなかったわ」

「そんな……まさか」


「記憶がなくても、人の姿に戻れば、人として行動していたはずよ。寝食を共にしていて、おかしいと思わなかった?」

「……」


鼓動が耳に響く。違和感は、ずっとあった。でも、それを願望だと思い込んでいた。


「彼は人間に戻るために、真壁志乃の元へ戻ったの。でも手術が成功するまでは、あなたに会わないつもりなのよ」

「どうして……」

「症例が他にないもの。再手術で、症状が悪化して、本当に犬になってしまうかもしれない。あなたに告げないのは、失敗した時、あなたが自責の念に囚われることを恐れているから」


照子はスマートフォンを取り出し、操作した。

「あの……私、もう行きます」

「ここからなら、地上へ出たほうが早いわ」

「でも、透くんが……」

「私から話しておくわ。ゲストパスをこちらへ」


額縁と額縁の間、約一メートルの壁が開き、ガシャリと音を立ててドローンが現れた。金属製の両腕と、顔のようなパーツが見える。

「彼女を地上へお連れして」

『承知しました』


ドローンは螺旋階段を登り、入口の鉄板を軽々と持ち上げた。

ギイ、と音がして陽の光が差し込み、風が吹き込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

隔日 22:00 予定は変更される可能性があります

Over the Rainbow  ― つゆ花の記憶 ― 翔鵜 @honyawan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ