えらがはえた

真岸真夢(前髪パッツンさん)

えらがはえた (読み切り)

俺はどうやら両生類だったようだ。両生類と言ってもカエルみたいな奴じゃない‥‥と思いたい。何が悲しくて自分の誕生日にゲコゲコぴょんぴょん跳ね回る緑色の生物にならなきゃいけないんだ。生憎、俺はまだ緑色でもヌメヌメでもない‥‥だけど首の脇に入った赤黒い切り込み…これは…どこからどう見ても「えら」だった。

 

両生類は子供から大人になるとえら呼吸から肺呼吸に呼吸方法が変わる。なら俺は逆に18歳を迎えて子供から大人になったことで肺呼吸からえら呼吸に呼吸方法が変わってしまったのだろうか?いや今も普通に呼吸が出来ているのだから、俺は両生類ではない?まぁそこはあまり大きな問題ではないだろう。俺が両生類で有るにしろ無いにしろ、純肺呼吸生物…普通の人間でないことに変わりはないのだろうから。

 

しかし、えらがはえた…これは平日の塾を欠席する正当な理由になるだろうか?…否、認められないだろう。もしかすると、「精神疾患を来したことによる病欠」として扱ってもらえるかもしれないが、それは絶対に避けたい。とりあえず岸と連絡を取ろう。俺の唯一の友達で、要領の良いあいつなら先生への良い言い訳も思いつくかもしれない。


〜携帯のメールツール〜


「岸、ヤバい。」

『どした、カジカ?』

「(えらの写真)」

「えら生えた」

『(笑)』

「いや(笑)じゃないんだよ(怒)」

『いや、まだエイプリールフールは早いぞ(笑)』

「(多方面から撮影したえらの動く動画)」

「この動画を見ても雑な嘘だと思うのか?」

『……』

『ごめんなさい信じます🥺』

「その顔、キモいな…」

『えーっ、カジカぴえんマーク知んないの?』

「お前がその顔文字使っているって行為がキモいんだよ(怒)」

『🥺』

「使うなって、脱線しただろ。今は俺のえらの話してるんだよ。」

『すまんすまん』

『とりま、放課後にいつものとこにこい』

「嗚呼、あそこだな」………








 来ない…いくら待っても岸が来ない。もう約束の時間を15分はオーバーしている。何たってこんな大事な用事をアイツは忘れているんだ…


プルルルルルル プルルルルルル


ケータイに着信が来た。

「誰だよ…って岸じゃん」


「もしもし」

『カジカ今どこにいんの?』

「お前こそどこにいるんだ?」

『どこって、部室』

「そっちか、いつものとこって言ったら此処かと思ったのに。」

『あ、もしかしてだけどカジカ、今屋上にいるのか?』

「正解。」

『あーっ、そっちかー。』

「確かに水があるそっちの方が今の俺には良いかもしれないな。俺が今からそっちに向かうよ。」 

『なら俺もそっち行きたい。』

「すれ違ったらどうするんだよ。」

『なら、俺らの教室の前に集合しようぜ。あそこなら丁度、屋上と部室の間くらいにあるしさ。俺今日結構冴えてね!』


確かにこの方法ならすれ違いは起こらないだろう。


『そうだ、電話切らずに行こうよ。』

「何でだよ。」

『いや、だって夜の学校って何か不気味じゃん!』

「夜って…まだ5時半だろ。」

『良いだろ!暗くなったらもう夜で良いんだよ!』


確かに岸の言うように空の半分ほどは、澄んだ青墨色あおずみいろに染まりつつある。


「確かにもう夜と言っても良いかもな。」

『だろー。』


通話を切らずに互いのいる場所に向かう。


『それにしてもカジカ、なんでえらなんか生えたんだろうな。』


そんなことこっちが知りたい。


「さあな。」

『いやー気になるじゃんかー。』


当事者じゃぁない岸は何とも呑気なもんだった。


『『あっ、おーいコッチコッチ!』』


不意に携帯端末から伝わる声と空気を震わせ直に伝わる声とが重なった。


バタバタバタ


『いやー、さっきは1人っきりで凄く心細かっ…カジカ、お前ヤバいぞ。早くプールに行こう。』


「何お前慌ててるんだ?」


さっきまで呆れるほどに呑気なトーンで話していた癖して…


『カジカは自分の首見れないから分かんないんだろうけど、えら、LINEで見た時よりくっきり浮かび上がってきてるぞ。』


「えっ。」


そうなのか!? 


『もしかして、カジカ朝よりも魚化が進んでるんじゃないか。』

「俺は両生類化だと思ってるんだけどな。」

『そんなこと今どうでも良いよ!息苦しくなったりしてないか?』

「多分大丈夫だ…でも言われてみれ ば確かに、苦し い よう な?」

『全然大丈夫じゃないよ!』

「ゲホッケホ。」

『ヤバいじゃん!』

「いや、今のはただのどたんが絡んだだけで…」

『良いから行くぞ!』

「大丈夫だって言うのに。」



岸に手を引かれ俺は薄暗い校舎の廊下を走った。さっきとさほど変わらぬ教室から部室もといプールまでの距離が、やけに遠い。走っても走っても まだ何メートルも進んでいないような錯覚まで憶えてしまう。


岸には大丈夫だと言ったが実際は全っ然平気ではない。とても気だるい。岸と合流する前から少しばかり息苦しさを感じていたが、今はもう呼吸によって体内に入ってきた酸素は全てどこにも取り入れられず、えらから体外へ放出されているのではないかと言うほどに、苦しい。熱い…。嘘なんて..つく…もんじゃ無いな…何だか…意識が..朦朧もうろうとして………






『…ぃ。』何か…聞こえる…『…ぉい。』岸か?…『おい!』…声がとても近くに聞こえる…


『プール着いたぞ。』


そうだ、確かあのあと俺は、走る途中に倒れてしまったはずだ。今の状況からするに岸が倒れた俺を背負ってきたんだろう。


『自分でプール入れるか?』


と問われる。だが残念ながら俺にはもう指一本動かす気力も無い。


「....ぃ…。」


【無理】そう口にしたつもりだった。だがその声は自分の耳にさえ届かなかった。


『……分かった。じゃあ落とすぞ』


俺の声が聞こえたからか、俺が返事を出来ないのを見て判断したのかは皆目かいもく見当つかなかったが、岸が俺の背を押した。背中に当たるこわばった手の感触のあと、俺はキンっと張り詰めそれでいて何処か包み込むような、冷たくてあったかい何とも言えない不思議な感覚に陥った。


大きく息を…いや水を吸う。躊躇ためらいの意など全く抱かなかった。水中で呼吸する。それが至極しごく当たり前の事であったように俺の体は、えら呼吸で得た酸素を体の細部にまで行き渡らせた。


そして俺は、無意識のうちに水の僅かな流れに身を任せ、いて、蹴って、捕らえて、泳いでいた。水泳同好会会員でありながら、バタ足すらままならなかった俺、しかも着衣のままとは思えないくらいに自然な動き。これもこの首にはえたえらのおかげなのだろうか。少しばかり興奮を覚えもう一度大きく呼吸をする。


人は何かに没頭すると他のことを何から何まで忘れ、ぼうっとするような感覚に陥ることがある。今の俺もその状態に近いのか、ぼうっとしてきてしまった。さっきの息が詰まった時とはまた違う感覚だが意識が朦朧としてくる。ずっとこうして水を掻いていたいと思ってしまう。

 

 …本当にそうか?


 …俺は何か大切なことを忘れちゃぁいないか?


 …この恍惚とした今を差し置いてでも思い出さなきゃいけない何かが!


(バシャンという水中から出てくる音)


「カジカ!!」


俺は水面から顔を出し、息を吸..「ッんぐ!!」 吸えない!息を大きく吸おうとした瞬間、喉に焼鏝やきごてを突っ込まれたような激痛が走った。もちろん焼鏝なんて喉に突っ込まれた事は一度もないが、そんな心地だった。


慌てて鼻から下を水中につけて喉を潤す。目の前にはライトをつけたスマホを持って少し涙目になった岸がいた。


『おまっ、ほんっと怖かったんだからな!どんどん空は暗くなるし、消灯時間でプールの照明消えるし、お前ずっと水から出てこないし、でも無理に引き上げたら息出来なくなるかもしれないから引き上げれないしで、ほんっと心配だったんだからな!』


アナウンサーも吃驚びっくりのノンブレスマシンガントーク。しかも途中からは怖かったことではなく、心配だったことに話題が切り替わっている。こんなにも岸が俺のことを心配してくれていたとは。心配されるってこんなに嬉しいことなんだな。特に相手が俺のことしか考えられないってことがとても愉快だ。だけど……そろそろ流石に煩くなってきた。


『何か言えよ!!』


いや、今俺喋れん。身振り手振りでそのことを伝えてみようとするも


『本当に心配したんだからな!』 


岸は喋るばかりで一向に俺のことを見ない。しかもそれはさっきから何回も聞いた。 


『何か言えって!』 


それもついさっき聞いたな。

痺れを切らして俺は岸にプールの水をパシャリと引っ掛けた。


『うわっ、冷たっ。人が本気で心配してるってのに何すんだよ。』


心配するのもいいが、まずは俺を見ろ!


『ん?喉、バツ…いやダメか?』


そう、そうだ。


『まさか』


よし。


『まだ息できないのか!?』


違う!そうじゃぁ無い。こんな長時間息してなきゃぁ、俺はもうとっくに意識不明の大重症、もうしくは死体だ。俺は口をパクパクさせるジェスチャーとさっきと同じ出来ないの手振りをする。


『もしかして喋れないのか?』


そう、そうだよ! 俺は強い肯定の意を表すべく大きく縦に首を振った。 


『本当の本当に喋れない?』


だからそうなんだって。しばらくの沈黙の後、岸が口を開いた。


『じゃぁ、今のうちに謝っときます。』


きゅ、急に改まって何話そうってんだよ。ごくりと唾を飲み込む。


『この前借りた漫画ジュースこぼして汚しちゃって、そのまま本棚に戻しました。』 


おい。 


『あと、この前カジカの家にグラビア誌忘れて返ってそのまんまです。』 


最近母さんが俺のことをシラーっとした目で見てくるのはそのせいか。


『あとは…』 


まだあるのかよ。人が何も言い返せないからって好き勝手言いやがって!元に戻って喋れるようになったら覚えとけよ。


『あとは…俺はカジカに俺のこと名前で呼んで欲しいって思ってます。』


…え。


『カジカは俺のこと下の名前で呼べるほどにまだ思ってくれてないのかもしれないけど』


何言ってんだよ俺に友達なんて思えるやつお前くらいしかいねぇよ。


『俺はカジカのこと一番の友達、親友だって思ってんだ。』


おれもだが?


『他の奴らはちゃんと名前で呼んでくれる。』


それはお前が…


『名前で呼んでくれないのってお前だけなんだよ。』


コイツにそれは違うって言いたい。そんなこと無いって言いたい。もし、このままどんどん両生類化が進んで、本当にカエルみたいになってしまって、喋るなんて出来なくなったら…一生お前に誤解されたままになんのか?それは、嫌だ。


そんなことになる位なら俺は‥‥‥


今までで一番大きく口を開き水を吸い込んで勢いよく立ち上がる。


「お前のこと名前で呼ばなかったのは、お前がトシユキって呼ばれるのが嫌だと思ってたからなだっつーの!」


『カジカ喋れないんじゃ。』


喉がひりつく。


「昔お前自分の名前がキラキラネームで嫌いだって言ってたろ。」

『何年前の話だよ。もうそんな子供じみたこと思ってねーよ。』


声が掠れてしまう。


「あと俺もトシユキのこと自分の一番の親友だと思ってる。」


最後らへんはもう声が掠れ過ぎてしまってとても聞き取りにくくなってしまった。最後の言葉が一番大切なところなのに…


喉がこれでもかというほどに熱を持っている。体がもう限界だと悲鳴を上げている。もう言いたいことは全て言ってしまった。だからそろそろ水の中に戻っちゃぁダメだろうか。俺もう今日は結構頑張ったと思うんだ。早くえらにひんやりと冷たくて心地よい水をくぐらせたい。


膝の力を抜いて水面下に体を落とし大きく呼吸をする。


ゴポリッ


肺に痛いくらいに冷たい水が入ってくる。


ん?


肺?


えらじゃぁ…


無い。


気づいた時にはもう遅く肺いっぱいに真冬のプールの冷たくて塩素臭い水が侵入してきていた。


えらがあった時と違い思うように体が動かず、その姿を見て泳ぐなんて言葉が頭に浮ばないだろうという程に不恰好に俺は足掻あがいてもがいた。


1日の内にこんなに沢山死にかける事なんて、あるか?1回目は肺呼吸ストップによって死にかけて、2回目は喉の痛みで死にそうになって、今は3回目で溺れて死にかけている。……あれ?たったの3回?思ったよりも少ないじゃぁないか。いや、死ぬ事なんて一生に一度しか無いんだから十分に多いか。今日は変な事が多すぎて危機感覚が麻痺してしっまたようだ。


もしかして今の回想は俗に言う走馬灯だろうか。走馬灯を見ている時、現実世界では物凄く時が遅く流れることがあるそうだ。それなら俺はまだ溺れて間もないんじゃぁ無いのでは?いや、無理か俺泳げないし。意味無いか。


冷たいはずの水がとても温かく感じる。そしてポカポカしてくる……特に頬が。あれ?何かあったかいというか熱い気がする。(ペシンっ)熱い(ペシンっ)いや痛い!(ペシペシペシペシっ)痛い痛い痛い痛い!


朦朧もうろうとして何処か遠くへ飛んで行っていた俺の意識は、怒涛のビンタによって現実に引き戻された。痛い。トシユキが何か叫んでる。


『うわぁー、どうしようどうしよう!カジカ死んじまったかも!』


いや生きてるな。


『俺がもっと早く引き上げとけば!』


トシユキがプールから引き上げてくれたのか。確かにトシユキも俺と同じでビシャビシャだ。


『まだ、カジカの教科書に落書きしたこと謝れて無いのに。』


おい。まだあったのかよ。まぁいいか。ペシペシは弱くなったし、とても今疲れている。心配してくれてるトシユキには悪いがもう少しこのままぐったりしていても…


『どうしよう起きないよ!もっと強く頬を叩いた方が良いのか?いやAEDを持ってくるべきか?もういっそ人工呼吸を。』


…眠ってる場合じゃないな。


「もう、大丈夫だ。」


あんなに痛かった喉は嘘みたいに癒えていた。


『さっきもそう言って大丈夫じゃなかったじゃ無いかぁ!』

「俺の漫画汚したり、家にエロ本爆弾投下したり、教科書に落書きしたのは誰だったかなぁー。」『もう大丈夫みたいだね(キラキラオーラ)。』


全く調子のいい奴だ。

 

「『ぶえっクショィ!!』」


そうだった今は12月の真っ只中。プールが凍っていないことが不思議なくらいの寒冬である。このままだとよくて風邪、悪くて肺炎を拗らせるかもしれない。


『何か他のもんに着替えよう。』

「俺着替え何も持ってきて無いんだが。」

『まじかー、なら俺のジャージ貸すわ。』

「俺にジャージ貸すんならお前何着るんだよ?」

『部室にある自分の水着?』

「いやなんでお前まで疑問系なんだよ。しかもお前の水着ブーメランタイプだろ!それはもうただの変態だぞ。」

『じゃあ何着ればいいんだよ。』

「お前がジャージ着て俺がお前の半袖体操服着れば良いんだよ。」

『半袖じゃ寒くね?』

「水着よかマシだよ!」


流石に人のズボンはノーパンで履く訳にはいかず。履いてきたズボンを絞って履いたため体操服に学ランズボンという少々チグハグな格好をして俺はトシユキと家路についた。


『突然なんだけどさ。昔は俺この名前嫌いだったんだよな。』

「お前の母さんに何でもっと他の漢字を当ててくれなかったんだって、よく言ってたな。」

『いや、だって大晦日って書いてトシユキって読むんだぞ。2.3年生まではあんまし気になんなかったけど、小学生高学年になって大体の日常漢字がわかってくるとキツかったな。今はそんなに気にならなくなったけど、俺も大人に成ったってことかな。』


「いやお前の18の誕生日はまだ来てねぇだろ。」

『精神面の話だよ。』

「俺でさえまだ全然大人に成ったって実感湧かないってのに、お前わかるのかよ、大人の実感が。」

『いや、お前と同じく全然わからん。』

「分かってないじゃねぇか。」

『いいじゃん。どんだけ年取ったてこんなのが大人かって思えちゃうような大人だって世界にはいっぱいいるんだし、まだったった18のお前とか17の俺がそんな大人ぶることないって。たかが法律だよ。』

「たかがって…法律だぞ。」

『いいのいいの』


確かにそうかもな、俺たちはまだそんな大人とか子供とか深く考えなくてもいいのかもしれない。


俺たちはそれぞれの家に帰って、寝て、翌日仲良く風邪を拗らせた。まぁそのお陰で今日塾を休んだ言い訳を考えなくて良くなった訳だからよしとしておこう。




 

今日は12月31日、俺にはえたえらが消えてもう一週間が経った。結局あの日の出来事が何だったのかは解らず仕舞いだ。俺の首筋に入っていたあの赤黒い切れ目はもう跡形も無く消えている。自分でもトシユキのLINEに送ったえらの写真と動画が無かったら、あの日のことを自分の可笑しな妄想だったと一蹴いっしゅうしていたかもしれない。


あの日トシユキがなぜ俺にえらがはえたのかが気になると言ったのを俺は「さぁな」の一言で済ませてしまったが、当事者でなくなった今なら事の真相を知りたいと思う気持ちは確かに分かる。


「まぁ、夜の学校のプールで自在に泳げたのはちょっと楽しかったな。またあんな風に気持ちよく泳ぐことができるなら、えらも悪く無いかもな。」


ピコンッ


「ん?トシユキか」


〜携帯のメールツール〜

『なぁ、カジカ。』

「どうしたトシユキ?……嗚呼、18歳おめでとう。」

『そうなんだけど、そうじゃ無くて。』

「ん?」

『ヤバい。』

「…まさか。」

『どうしよう。』

「マジかよ…」

『えらはえた。』

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えらがはえた 真岸真夢(前髪パッツンさん) @maximumyuraku

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