第10話 遙かなる水路

 屋内プールの時計は七時三〇分を指している。

 プールには、水着に着替えた茉莉まつり一人しかいない。

 今日は、一日じゅう、水泳部がこの五十メートルのプールを借りているので、水泳部員ならいつ使ってもいいのだけど、この時間から練習に出て来るほどここの部員たちは熱心ではなかった。

 せっかくの五十メートルプールなのに。

 まあ。

 部活といっても、お嬢様学校のお嬢様たちの「余技よぎ」だから、しかたないか。

 茉莉は、もういちどプールの時計の下を確かめた。

 高い窓から射し込む朝の光は、太陽の色よりも青空の色で、涼しげに見える。

 その光を浴びながら、そこに李津子りつこが座っていてくれれば……。

 水着姿ででも、制服姿ででも、李津子が座って茉莉の泳ぎを見ていてくれたなら。

 どう声をかけよう?

 でも、そんなことはない。

 そのプールの建物の外からは楽器の音が聞こえている。何というのか知らないけど、低い音を出すラッパらしい。

 いるとすれば、李津子はそこにいるのだ。

 茉莉の体から力が抜けた。

 でも、いまはそれでいい。

 軽くプールの水を自分の体の前にかけ、力が抜けたまますっと水にすべり込む。

 足は着かないので、頭が完全に沈むまで潜る。

 浮き輪から手を放して垂直に沈んだ、あのときの感覚だ。

 でも、いまの茉莉は、そこから自分で水をって浮かび上がることができる。

 プールサイドにはつかまらずに、立ち泳ぎで勢いをためてから、泳ぎ始める。

 いちばん得意なクロールで。

 それほど力も入れていないのに、茉莉の体はぐんぐんと前に進み始めた。

 自分の泳いでいる姿を上から見下ろしたらどう見えるか。

 いまの茉莉は想像できる。

 人間の体は、陸を歩くのではなく、こうやって泳ぐためにできている。そう感じさせるような泳ぎだ。

 向こう側のプールの壁が近づいてくる。もうすぐターンだ。

 でも、茉莉の前には、どこまでも、どこまでも水路が続いている。

 そう感じた茉莉は、力をセーブすることなくペースを上げて、その水路へと突き進んで行った。


 (終わり)

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広い川の岸辺 清瀬 六朗 @r_kiyose

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