第9話 広い川の岸辺(2)

 パレードが通り過ぎて行く。小学校のマーチングバンドの次はフラダンスのチーム、そしてどこかの学校の長刀なぎなた部のパフォーマンス……。

 長刀の後ろは少し間隔が空いた。

 やがて音楽が聞こえて来る。

 さっきの瑞城ずいじょうのマーチングバンド部に似た音だけど、音のパワーも、音のそろいかたも違っていた。

 すさまじい緊張感が、びん、と響いて来る。

 プロの演奏家たちなのだろう。

 音楽の世界では、プロと学校の部活動のあいだにはそれほどの格差があるらしい。

 水泳ならば、高校生でも歳上と対等に渡り合えるのに。

 そのプロのマーチングバンドが近づいて来る。

 大太鼓はもちろん、ラッパの音が起こす振動も、音としてというより、振動としてじかに茉莉まつりの体に伝わって来る。

 この感じ……。

 知ってる!

 空間を自分が支配し、その空間が自分を導いてくれている、あの感覚だ。

 その感覚を、このバンドのメンバーは一人ひとりがいま感じているだろう。

 目の前のバンドがぴたっと音を止めたので、茉莉ははっとした。

 一糸いっし乱れぬ、という感じで音を止めたバンドは、その歩みもぴたっと止めた。

 どうしたのだろう、と思う間もなく、バンドの隊列から、背筋をピンと伸ばしたきれいな姿勢で、トランペットを持った女のひとが前へと歩み出る。

 あれ?

 若い?

 自分と同じ年頃、ちょっと上ぐらいに見える。まだ「少女」という歳だ。

 茉莉の前で、その少女はトランペットを構えた。

 一瞬の後、そのトランペットから音があふれ出た。

 トランペットの音が同心円を描いて広がっていく様子が目に見えるようだ。

 衝撃。

 圧倒的に美しく、力強い。

 まわりのみんなも動きを止めて、そのトランペット少女に目を奪われている。

 さっき綿菓子を買ってそれをかじりながら歩道を下っていた子たちも、足を止めて、綿菓子をなめるのもやめて、というより忘れて、トランペット吹きの少女をじっと見ている。

 広い道の向こう、どこかのビルから、女の子が二人、慌てて走り出てきた。

 茉莉がその二人に気づいたのは、二人とも瑞城女子高校の制服を着ていたから。

 トランペットの演奏は続いている。

 少しも雑なところのない、完璧な、美しい演奏。

 それが持続して行く。

 一瞬気を抜いただけで負ける水泳の勝負で、注意力を完璧かんぺきに保ってベストの泳ぎを続ける、あのときの感覚だ。

 茉莉はびくんとした。

 その感覚で、広い道の向かい側で、その演奏を見ている瑞城高校の生徒の一人がだれかがわかったから。

 李津子りつこ

 もう一人はわからない。たぶんマーチングバンド部の先輩なのだろう。

 李津子の向かい側には茉莉がいるのに、李津子は茉莉に気づかない。

 李津子は、上半身を乗り出して、どんな細かい動きも、どんなに小さな楽器のきらめきもとらえてやるというくらいに、じっとそのトランペット吹きの少女を見ている。

 茉莉がそこから走り去らなかったのは、その様子を見て腰から力が抜けてしまったから。

 それに、あの日と同じように走り去って、李津子に背中を見せたくなかった。

 李津子が好きなのはこの感覚だ。

 一瞬気を抜いただけで失敗するという、緊張感。

 それを李津子はずっと水泳に求めて来た。でも、いまの李津子は、同じ緊張感を楽器を吹くことに求めている。

 だから、李津子はもう戻って来ない。

 李津子はこの音を追い続けるだろう。

 この音を自分のものにできるまで、追い続けるだろう。

 そして。

 李津子は、人間の体はもともと楽器を奏でながらマーチングするためにできているのだ、と思わせるような、そんな演奏をする。

 きっと。

 遠くない将来。

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