アイ・マイ・ミー
◆
「そう、笑っていたんですよ。信じられますか、シャオちゃん?」
狭いエンジニアルームに、静かな問いかけが響く。
私のものだ。
問いかけた当のシャオちゃんは「信じられるかっていうか」とゲーミングチェアの肘置きを盾に、可愛らしく口を尖らせていた。
「退院早々、そんなオカルト話を聞かされる身にもなってほしいんだけど」
「オカルトじゃないですよ。全部ファントミームのやったことなんですから」
「じゃあなに? 今のアンタはナギでもホエルでもなく? そもそも最初からナギとホエルを構成するものなんてなんもなくて? 人格なんて記憶から後天的に形成した認知バイアスによる錯覚だって言うの?」
「そ、そんな悪しざまに言わなくても……」
「そんくらい馬鹿らしいこと言ってるって自覚ないの? それとも二週間寝込んで、頭でもおかしくした?」
シャオちゃんの容赦ない指摘に、私はアームスリングに釣られていない右手を頬に添えて首を傾ける。
大橋さんにゲシュタルト・シュレッダーを打ち込まれたあと、私の意識は二週間ほど眠っていたらしい。あの爆発が直撃した衝撃と熱で左肩と脇腹は骨折し、左半身は大やけど、一部傷も残ってしまうと後に担当医師から聞かされた。目覚めてから三週間かけて療養とリハビリをして今日退院してきた私は、そのままシャオちゃんのエンジニアルームに訪れていた。
病院に籠っていた一ヵ月弱の間、海未さんに関わる事件は表向き完全に収束していた。
議員は議会に復帰し、被災者リスト流出の件について辞任の危機を何とか切り抜けたと、お見舞いに来た夫人がネットで噂になっている裏工作の噂と共に話してくれた。
というのも、監査部の部長が議員誘拐の容疑者として更迭されたのが現在のトレンドらしく、ネットの水面下では清廉潔白の議員がGCに裏のつながりを持っていたのではという、相変わらずな下衆の勘繰りが行われていた。
もちろんこれはフェイクニュースで、GCの工作によって大橋さんは尻尾切りされて、スペクターの存在もまた闇の中に紛れてしまったことを意味する。議員も幻捜課も、彼女らの存在を立証も逮捕もできる術を持たないまま、ゲシュタルト・シュレッダーを悪用して施設や捜査官見習いを攻撃した犯人一人と協力者であるGC職員数名を逮捕することで、事件の解決とするしかなかったようだ。
結果として、依然この街はGCの手のひらのまま回り続けることに、憤りを覚えないと言えば嘘になる。
それでも、この街が彼女の恐怖から生まれた事実は、何も変わらない。
「だいたい」と背もたれに体を押し付けながら、シャオちゃんは天井付近を指差す。
「その説が本当だとして、結局こうやって意識が分離してるんだから、アンタたちには当てはまんないじゃん」
差された指の先。
サバンナのジオグラフィックの地平線に、クジラが浮かんでいた。
《ねぇねぇナギサ! シャオ! これもワタシから作られたの?》
一メートルまでサイズアップしたセミクジラにまたがるホエルは、無邪気に目を輝かせていた。
「うん、そうだよ」
「いや、違うけど」
《じゃあこれもワタシなんだ! あはっ! 本当にいっぱいあるんだね!》
クジラにギュッと抱き着いて喜びを表現すると、半目のシャオちゃんが首を振った。
「病院でも思ってたけどほんとやかましいね、コイツ」
「今までリストを共有している人間しか見えてなかったから、見るものが全部新鮮なんですよ」
「ElWaISにブラックボックスなんて組み込むんじゃなかった……じゃなかったら、システムにここまで融和することなかったのに」
「私は感謝してますよ。こうして、ホエルを元気にすることができたんですから」
それに、と腕を広げてると、通していない白衣の袖が揺れた。
「ElWaISが電子的なダメージを肩代わりしてくれなかったら今頃、実体の私は死んでいたかもしれないんですから」
今の鯨寺ホエルはデータ上、私のElWaISアバターという扱いになっている。
ゲシュタルト・シュレッダーの光線の直撃を受けたのは、フルトラッキングによって表面に展開してたElWaISだった。そのおかげで私の生体プロトコルは損傷せず、ホエルは私のプロトコルではなくElWaISのシステムデータへオーヴァーレイすることになった。
そうしてElWaISの各種センサーを手に入れたホエルは、こうしていろんなプログラムを視認し、視認されるようになって、自分が折り重なってできた街を見て感動することができている。
思惑とは別の方向で、ホエルを救う形になったことは、自分でもなんだかむず痒い。
「それ言いに、わざわざここに?」
「それもありますけど……」
言葉を濁すと、シャオちゃんは何かを察したのか嘆息を漏らして、オーグギアのバイザーを展開した。
「大橋のことなら、気にしないでよ。縁切ってだいぶ経ってるし……姉妹っていったって、実際血は繋がってないからさ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」オウム返ししたシャオちゃんは鼻を鳴らす。
「さっき言った記憶のオーヴァーレイっていうのが本当ならさ……それにどう折り合いつけても、アタシはアタシなんでしょ? 心配しないでよ」
その寂しげな口元が追及を誤魔化そうとしていて、私はそうですかと納得してしまう。
「でも、なにかあったら何でも相談してください。なんといっても、私は幻影特捜課のカウンセラーですから」
白衣の襟を引っ張って豪語した私に、シャオちゃんの唇がゆるいへの字を描いた。
「どうしたんですか?」と聞くと。
「いや、なんて……いうかさ」シャオちゃんは首元に手を置いて、アームスリングへ頭を向けた。
「アンタ、そんな酷い目にあって……まだこの街で働く気なんだって、思って」
「まぁ、今回みたいなのはもうこりごりですよ……」
けど。私はホエルに微笑む。
「それ以上に、もう少しこの街を楽しんでみたいと思ったんです。だってここ、一応観光都市ですから」
その答えに、シャオちゃんは訝しげに眉を顰めた。
◆
オフィスを出て、オートモービルを使って記念アクアリウムを訪れる。
一度は議員の誘拐事件を通して、彼の功績の一環として語られたここも、事件から一ヵ月近く経った今では適度に閑散としていて、相変わらず視覚効果のもたらすカーニバルめいた雰囲気が空回りしているように見える。
そんな場所でも、ホエルは横切るクマノミやイワシの群団に目を輝かせ、波のせせらぎに体を揺らし、全力で楽しんでいた。まるで空っぽだった十五年に、思い出を詰め込むかのように。
「ホエル、そんなにはしゃいじゃうと疲れない?」
《ううん! ぜんぜん大丈夫!》
砂浜の日照りに負けないほどにらんらんとした笑顔に釣られて、私も笑みを浮かべる。
エントランスに入ると、泳ぐサポートスタッフの真似をしてホエルの体が宙へ跳ぶ。サポートスタッフは彼女が見えていないのか、見えた上で無視しているのか……どちらとも言い難いが、近くを通り過ぎるホエルを気にする素振りはない。
それを遠くから見ていると、ふいに声をかけられた。
「あのぅ……何、考えてるんですか?」
振り返ると、そこには海未さんが、眉尻を下げ困惑しきった表情で海中を模した空間を漂っていた。
「何って、何がですか?」
「うわぁ……めんどくさい返し方」
片方の頬を嫌そうに持ち上げて海未さんは言うと、宙を泳ぐサメと並走しているホエルを見やった。
「あの子、どうしてここに連れて来たんです……? 当てつけか何かですか」
「当てつけ?」キョトンとなりながら。
「当てつけをする理由なんてありませんが」
「とぼけないでくださいよ」
顔を真横に逸らして、海未さんは上目遣いで睨む。
「李大橋にホエルの情報を横流ししたこと、追及しに来たんじゃないんですか?」
私はああと呟いて、アームスリングに右手を添える。
特に疑問はなかった。海未さんとしては、スペクターやカイキョウシティにマイナスイメージを植え付けかねないホエルを始末したいという点で、GCと利害が一致しているというのは大橋さんが言っていた通り。あの時の彼女の懸念はこのアクアリウムを破壊されることであって、GCの横暴に対し過度に反発する理由はなく、なら自分たちとGCを隠匿した後で、ホエル消去の交渉を自身の有利になるよう仕向けていても、何もおかしくない。
後者に関しては大橋さんの逮捕でうやむやになっているのが、海未さんには面白くない話ではあるが。
「追及したところで、捕まえられなければ負け犬の遠吠えですから」
適当にそう言うと、まぁそうですけどね、といつものようにあははと笑った。
「私は謝りませんよ」冷めたトーンで、海未さんは言う。
「あの子を抱えるっていうのはそういうことなんです、渚さん。わざわざ忠告をしに来ただけでも、感謝してほしいくらいですよ」
グレイテストバンの恐怖の記憶。
その内容の全てを、オーヴァーレイできたわけではない。だがそこにカイキョウシティ運営における不穏分子以上のものがあるとするなら……ホエルは、GCの存続すらも危ぶまれる特大のスキャンダルになる。
幻捜課でも、この内容をどう扱うかは上層部と審議中だった。政府が欲しいのはいざという時にGCの暴走を御せる交渉のカードであって、街そのものを壊滅させかねない核弾頭ではないから。
そしてGCは、あらゆる手段をもって、ホエルの痕跡を消去しようとするだろう。
「セルフハンディキャッピングってご存じですか?」
不意打ちで尋ねると、海未さんは「はい?」と訝しんだ。
「テストで悪い点をとったのを、前日に徹夜して集中できなかったからだって、よく言い訳することありますよね。あれは、それを公言することで、自身の失敗を外的要因に転嫁して自尊心を保つ心理の働きがあるんです」
「それが、なんです?」
「いえ」と断り、私は目を伏せた。
「確証はありません。ここから先の話はただの想像なんですが……大橋さんがホエルを消去できなくとも、海未さんはどちらでも良かったんじゃないんでしょうか」
海未さんからの返事はない。肯定も否定もしない沈黙を感じて、私は続ける。
「単純に同じゲシュタルト・シュレッダーで相手を消去し合うなら、結果は五分五分……どちらに転んだとしても『運が悪かった』と言ってしまえば、事の顛末を消極的な理解の下で納得できると、あなたは考えた」
GCや幻捜課に疑いの目をかけられたとしても、海未さんはこのアクアリウムを離れなかった。彼女はアクアリウムに思い入れがあれど、世間はそれほど関心も執着もないという現状には諦観があるように思えた。
「悩んでいたんじゃないんですか? 自分たちの過去から生まれたホエルを、今の自分たちの理屈で消してしまっていいのだろうか……って」
ここまで聞いて、やっと海未さんは小さく噴き出して嘲笑した。
「あはは……あんまりおもしろくない話ですね」
「笑い事じゃありませんよ。そのせいでこんな大けがしてるんですから」
「迷惑とまで言ったんですよ、私。それなのにそんなこと言われたら……まるで私が、心の奥ではホエルのことが好きなのを認められない子供みたいじゃないですか」
「そうだと言ってるんですよ、海未さん」
煩わしそうな瞳と、真っ直ぐ結び合う。
「そうでなかったら」私は瞳の奥を見据えて、言った。
「本来銃型のはずのゲシュタルト・シュレッダーの外見モデルを、セミクジラなんかにしませんもんね?」
黒い瞳が、大きく見開かれる。
一番最初の疑問。GCの開発したデータ消去プログラムが、どうしてセミクジラの格好でオーヴァーレイネット上に表出されるのか。送信したデータが偶然、流出していた被災者リストと結合してしまったのは事実なのかもしれない。そこで生まれたデータ生命体を観測した海未さんは、自分を重ねて……自分が、自分のモデルである鯨寺帆選が好きだったセミクジラを与えた。
少しでも彼女の寂しさが紛れるようにと。
しかし彼女の存在そのものや、その後起きた彼女の暴走は、社会進出を目的とする彼女らには不都合だった。
海未さんの持つ技術力を駆使すれば、いくらでも彼女に干渉することができただろう。だが海未さんにはホエルを下す決心ができなかった。だから大橋さんを唆して天運に任せた。その時どちらが倒れても、自分たちには有利に働くようしっかりお膳立てしてから。
ホエルの死を賽の目にして、決断を放棄した。
《ナギサ? その人誰?》
気付けば、目を丸くしたホエルがストンとこちらへ落ちてきた。隣の海未さんを見ると周りをぐるぐる回って、最後にサイコトラッキングで私の嫌悪感を感じ取ったのか、私の腰の後ろへ隠れてしまった。
《ナギサ……その人、きらい?》
空間から滲みだすように、クジラが現れる。
大丈夫、とフルトラッキングでクジラの頭を撫でて制する。ひんやりとしたビーチボールのような感触が、手のひらから伝わってくる。
「あなたにどんな理由や葛藤があったとしても、ホエルはこの街にオーヴァーレイされたかけがえのない遺産の一つです。それをGCやあなたたちの身勝手な思惑で、消させはしません」
唇を引き締めた海未さんに向かって、私は言い放った。
「いずれ、私があなたを捕まえます、入鹿海未さん」
それは宣戦布告であり、私の決意だった。
私は、この街でホエルと出会い、ヘドロめいた暗い自分を知って……そしてホエルを助け、信じるべき自分を見つけた。この厄災のような少女がいなければ、私は自分のあいまいさを嫌って、いずれあいまいな自分を許せなくなっていただろう。それを気付かせてくれたのは、間違いなくホエルだ。
そんなホエルを、守ると誓った。これは誓いの表明でもあった。
「あはは……捕まえられると、いいですねぇ」
海未さんは、眉をハの字に作ったまま皮肉げに笑うと、踵を返す。
「待ってください」私はそれを呼び止めると、心外そうな顔を向けてきた。
「な、なんです……?」
「せっかくなんで、アクアリウムを案内してください。セミクジラ以外も見てみたいですから」
ね、ホエル? と話を振ると、ホエルはコクコクと小刻みに頷く。
海未さんは、上体を向けた体勢のまま、パチパチと素早く瞬きして状況の理解に努める。
しばらく、私たちの間に沈黙が流れた後。
「いや、いやいやいや」ゆっくりと爪先を向けて、海未さんは呆れた。
「今の流れでその提案、普通します? 私に?」
「ええ、します。今のあなたはスペクターであると同時に、ここのサポートスタッフなんですから」
頑として譲らない態度を示す。
すると目の前のスペクターは真顔になってから、じわじわを口の端を持ち上げて、最終的にケラケラと笑い出した。
「そ、そうでしたね……」ひとしきり笑って、目の端に滲んだ涙を指ですくいながら。
「ここは……この街は、そういうところでしたね。あはは……忘れてました」
和やかにほほ笑むと、ホエルに視線を合わせて、通路を手で指した。
「カイキョウシティ記念アクアリウムへようこそ、ホエルちゃん」
魅惑の異世界への招待に瞳を輝かせる少女を、私は隣で眺めている。
今でも、ふと考える。
最初の思惑通り、私とホエルの意識が、プロトコルを通して融合したら、どうなっていただろうかと。
ホエルのような無邪気な性格が表に出るんだろうか。はたまた私みたいなめんどくさい性格が出てくるんだろうか。
起きなかった過去の話だとしても、この仮定が、私やホエルを作るレイヤーの一つになるのは間違いない。しかし、それがどのように作用して、どう人格に影響を及ぼすのか……今はわからない。
そもそもシャオちゃんが反発した通り、私の考えた人格と記憶の相互関係が、本当に正しいのかすらも怪しい。
《ナギサ! ナギサ? 早く!》
気付かない間に、遠くから海未さんを伴って、ホエルが私を呼ぶ。
体全体で大きく振られた腕を振り返して、軽い足取りで歩きだす。
今はまだあいまいでいい。これからの研究のテーマに、最初から結論を急ぐ必要なんてないんだ。
ここはカイキョウシティ。
現実と仮想の距離があいまいな未来都市。
この街で今日も、あいまいな私は微笑む。
ファントミーム・オーヴァーレイ 葛猫サユ @kazuraneko_sayu
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