第4話 睡眠薬

「被害者宅か。アパートだそうだけどな。いいだろう」

 明石の要望に田中管理官はあっさりと応じ、公用車を手配した。


 すると明石は、今度は取り調べ担当の刑事に向かって、

「任意の事情聴取が長引くと、問題になりますよ。一旦彼女を解放した方が良いのでは?」

「そう言ったって、彼女の帰るところは事件現場で現場保存されていて、入ることもできないんだぞ。自供すれば、拘置所に泊まることができるんだがな」


「・・・品のない冗談はやめといた方が良いですよ」

 よく言ってくれた、明石。僕ももう、うんざりしてたんだ。


「星野さん、一緒に行ってみるかい?」

 明石が星野さんを誘ったので、田中管理官はびっくりしていた。

「特に問題ないですよね? 逮捕状が出ているわけでもないし、被害者の関係者でもあるんだし」


「まあ、いいだろう」

 本当に田中管理官は明石に甘いな。




「ここの2階の一番手前の部屋だそうだ」

 現場に到着すると、田中管理官が先に階段を上り、証拠品の中から持ってきていた鍵でドアを開けて、中へ入った。僕たちもその後に続いた。


 中はバス・トイレとキッチン、それに6畳ほどのリビング兼ベッドルームで、割とこぢんまりとしていた。


「三上、どう思う?」

 明石が僕に尋ねた。

「随分きちんと整頓されているな」

僕が答えると、

「何か変です」

と星野さんが言った。


「何が変なの?」

 明石が尋ねると、

「最近散らかしているから、アパートには来ないで欲しいって言われてたんです。でも、まったく散らかってないですよね」


「確かにそれはおかしいな」明石は部屋を見回しながら、「星野さんが最後にここに来たのはいつ?」

「1か月くらい前かな」

「合鍵は渡されてないの?」

「ないです。散らかってるなら片づけてあげるからって言っても、『鍵1個しか持ってないから』って言って」


 それは怪しい。やはり被害者は、別の女を連れ込んでいたのか?


「浮気の痕跡を見つけられたくないので、部屋に入れなかった可能性があるのか」

 明石はその痕跡を探しだしたが、

「歯みがき、歯ブラシ、コップは1つずつだな。さすがにあからさまにバレるような状態にはしてないか」

と言って、さらにあちこち探し始め、カラーボックスの中からDVDケースを取り出した。


「三上、こういうのがいっぱいあるんだが、これは一体何だ?」

 それは有名なアニメ作品のDVDだったので、僕は、

「それは異世界ファンタジーもののアニメだな」

と答えた。


「何だそれは?」

「知らないのか? 死んでから異世界に転生したり、生きたまま異世界に転移したりするSFファンタジーだよ」

 実は僕もよく知らないんだが、知ったかぶりをしてしまった。それなのに明石は、

「さすがはワトソン、たまには役に立つな」

などと皮肉交じりに褒めるものだから、何だか申し訳なく思えてきた。


 結局事件に関連するものは特に見つからなかったので、僕たちは所轄署に戻ることになった。


 帰りの車中で明石は、田中管理官にさらなる要望をしだした。

「田中管理官、現場に被害者のスマホがあっただろうと思うんですが、できればその中の連絡先リストを見せてもらえないでしょうか?」

「うーん、証拠品に触られるのはちょっとな・・・リストを作らせて、持ってこさせよう」



 所轄署の会議室で待機していた僕たちのところへ、田中管理官がやって来て明石に書類を渡した。

「これが被害者のスマホにあった連絡先のリストだ」


 明石はそれを受け取って読んでいたが、

「三上、これは誰のことかわかるか?」

と僕に尋ねてきた。それは『ヒル魔』という名前だった。


「それはアメフト漫画『アイシールド21』に出てくるキャラクターの名前だ。被害者はアメフト部だったから、いわゆる隠語みたいなものだろうな」

「隠語? だとすると、どういう意味なんだ?」


「『ヒル魔』というのは、高校アメフト部のキャプテンなんだが、悪魔みたいな顔をして、目的のためには手段を選ばないやつなんだ。校長の弱みを握って専用の部室を作らせたり、他校の不良グループを使って試合会場まで送迎させたり。でも次第に部員たちの理解を得ていくんだけどね。だから良い意味で使われているとしたら『頼りになる人』で、悪い意味で使われているとしたら『嫌なやつ』ってことなんじゃないかな」


「この場合、どっちの意味なんだろう?」

「確か登場人物の人気投票をやったときに、主人公を差し置いて『ヒル魔』が1位になったことがあるから、一般的には良い意味で使われるんじゃないかな」


「なるほど。三上は漫画やアニメに詳しいんだな」

「そんなことはないよ。人並みだと思うけど」

 オタクだと思われると、後でいろいろとネタにされそうな気がしたので、僕はそう否定した。



 今度は鑑識課の人が慌ててやって来て、田中管理官に報告した。

「2人のマグカップから出ました、睡眠薬の成分が」

やっぱり明石の言うとおりだったのか。


 明石はじっと座って考え込んでいたが、やがて立ち上がり、田中管理官に言った。

「そろそろ仮説を立ててみます」

 いよいよこれから明石の推理が披露されるのだと思うと、ちょっとワクワクしてきた。


「まず、彼女には被害者を殺す動機がありません。もしあったとしたら、自分が容疑者になるようなシナリオはかないでしょう」


 うーん、明石は星野さんが明石の実績を知っていることを前提に話しているようだが、確かに星野さんは明石の評判を聞いてはいただろう。

 でも、だからこそそれを『利用してやろう』と思われたとは考えられないか?


 明石はおそらく『真犯人が別にいる』方向で推理するだろうから、もしかしたら『本当はいない真犯人』をでっち上げることになって、捜査を混乱させることになりはしないだろうか?


 ところが明石は、僕が思ってもみなかったことを言い始めた。


「アイスカフェオレに睡眠薬を入れたのは真犯人じゃなくて、被害者だと思います」

 僕だけではなく、田中管理官と星野さんの頭の上にも『?』マークが浮かんだようだ。

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