人生近道クーポン券 4 (後妻)
帆尊歩
第1話 後妻
「おはよう」娘の彩花が朝の挨拶をするが、それは私ではない。でも私も挨拶を返す。
「おはよう、彩花さん」
「ああ、おはよう」夫は口だけで挨拶する。
「彩花さん、朝食は?」一応聞く。
「いらない。里江さんも、別にそういうことしなくても良いから」
「彩花、お母さんに里江さんはないだろう」
「私、この人を母親だなんて思ったことないし。里江さんだってイヤでしょう、赤の他人を娘だなんて」
「そんな事は」
「いいのよ。単なる同居人で行きましょう。もう行く」仕方なく彩花の分の朝食を片付ける。
「里江、何だあれは」
「はい」
「お前がきちんと言わないからああなるんだ。もう高校生なんだぞ」
「はい」とりあえず返事はする。
「こんな時、美智子だったら、きちんと言っていた。だからお前はダメなんだ」
夫は前妻と私を比べるどころか、美智子だったらと名前を出す。それがどれだけ私を傷つけるか分かっていない。そもそも実の母親と、後妻と言うだけの継母ではコミュニケートの立ち位置が違う。この人は、そういうデリケートなところを理解出来ない。
だから娘の彩花もそうだ。心を開くとか開かないと言うレベルではない。全くの他人だ。いや、他人なら世間話もするだろうが、そういう話もしない。いったい何のために後妻に入ったのか、単なる家政婦か。
もっとも、これは父親である夫に対しても同じだった。
私を後妻に入れたことを、内心では良く思っていない。
別にえり好みをしていたわけではない。
でも四十を目の前に、自分も焦っていたのもある。また、その年だと後妻の口しか無いとも言われ、何も考えずにこの家に嫁いだ。でもまさか、こんなこんなことになるなんて。
「じゃあ、行くからな」
「はい、いってらっしゃい」
「彩花のこと何とかするんだぞ」
「はい」何とかなんて、出来るわけもない。そもそも根本の原因はあなただ。
誰もいなくなった家の中で、泣きそうになった。
今日だけの話ではない。
ほぼ毎日こんなことの繰り返しだ。
こんな生活がこれから続くのか、いっそ結婚なんかしなければ良かった。
その時、後ろから声を掛けられた。
「お困りのようですね」
「えっ」
「驚かせてすみません、私こういう物です」と言って、出した名刺には死に神と書かれていた。
「本日はこれを」と出してきた紙には、人生近道クーポン券と書かれていた。
いきなり死に神と言われても、取り乱さないのは、心が疲弊していたからだろうか。
「何ですかこれ、クーポン券?」
「はい、人生近道クーポンです」
「何ですかそれ」
「これからあなたは、この家で生きて行く。辛いこと、悲しいこと、死ぬほど苦しいこと、這いつくばって、砂をかむような思いをすること、そんな事があるかと思います」
「これからもずっとこんな感じだというんですか。少しは楽しいことだって」
「もちろん嬉しいことや、楽しいこともあるでしょう。でも死に神の私から言わせれば人生なんて一寸先は闇、苦しいことの連続です。死ぬ間際に、言い人生だったなんて言えるのはほんの一握り。でもこちらのクーポンを使えばあなたは、ご臨終の一ヶ月前にジャンプします、その間の辛いことは感じず人生を終了できます」
「えっ」
「もちろん対価は頂きます。死後に魂を」
「死に神ですからね」
「いかがです」と言って、死に神は私にクーポン券を渡した。いかがですかと言われても。
でも私は五分考えた。このままフラストレーションを抱えて生きて行くのか。
「分かりました。よろしくお願いします」
「はい、喜んで」
私は目を覚ました。
体中管がつながったている。
ああそういえば、余命先刻をされたんだ。
記憶が段々戻る。
何年ジャンプした。
確か三十年か、段々に記憶が戻る。
あれからも彩花とは結局、他人のままだった。
夫のモラハラに耐えて、たまに帰って来る彩花の家政婦をして、五年前に夫が脳梗塞で倒れた。結構な介護になり、そうはいっても彩花が手伝うわけでもなく、家族はバラバラで現在に至る。
夫は体を壊しても、モラハラを止めようとせず、私はいい気味くらいに思い、むしろ仕返しが出来るくらいの気持ちだった。
いい気味だ。
これで私が死ねば、私の葬式などをしなければならない。
かつてそういう面倒事はみんな私だった。
夫は体が効かないから、結局は彩花がやることになるでしょう。
その上父親の介護だ。
あの二人がうまくいくわけがない。
良くて大げんか、下手をすると、嫌おそらくなると思うけれど。
家族崩壊。
いい気味だわ。
死ぬ間際にこんなに胸がすーとするなんて。
人生近道クーポンを使って大正解。
「ご無沙汰しております」枕元にみすぼらしいオヤジが立つ。
「ああ、死に神さん」
「ご満足いただけたようで。恐縮でございます」
「ええ、満足したわ」
「では、お支払いを」
「ええ、良いわよ」
「毎度ありがとうございます。またのご利用を。あっ、それはないですね」
「ええ。ありがとう」
人生近道クーポン券 4 (後妻) 帆尊歩 @hosonayumu
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