第5話 ラドガ湖畔での実戦訓練
ー連邦暦2114年4月6日
36機の戦闘機
ノヴゴロド基地から東へ数km、ラドガ湖畔の上空を、その36機が飛行していた。
大隊長機を先頭に、三角形の編隊で巡航する。春の冷たい水がしんと張った湖の水平線近くに、小さな影がぼつりぽつりと―――見えた。この対空実戦訓練の仮想敵、同基地に駐屯する空軍の航空艇部隊だ。カリエファ大隊長が機体を左右に振り、それから速度を上げる。戦速移行の合図だ。操縦席横の
ツォイ・ファウジア中隊長とバツェク・カヴチュール中隊長のコンビだ。両人の持つ陽気さ故か、微妙に型の異なる2人ではあるが、6年前の初対面時に意気投合し、揃って中隊長となったものの、上空では共に行動するのが常だ。2機はそのまま大隊長機の上を通り抜け、目標に突貫していく。その後を、2人の指揮下にある中隊が追っていった。
私は、2中隊が編隊を離れたのを確認すると、勢いよく操縦桿を左後方に傾けた。機体はほぼ垂直に倒れながら、針路を左に反らしていく。ヌルドゥラ小隊、ギュヴェン小隊、ドージュ小隊が背後に続くのを目の端で見てから、機体の向きを引き戻して更に加速し、カリエファ・アルマズ大隊長およびボラトビク・レナート大隊副官麾下の中隊から離脱する。
ツォイ・バツェク両中隊が仮想敵となった航空艇編隊に最高速度で接近、10mm機関銃弾―――赤い煙を吹く訓練用模擬弾―――を叩き込んで、そのまま編隊を突き抜けて離脱。僅かな仰角から飛び込んできた18機に砲門を指向した航空艇に、一瞬の死角が生じる。
(……機を捉えた。)
パティヤ中隊は、その死角を突く。少しの俯角、編隊の斜め後方からの進入。敵艇が中隊を認知し、砲を向けるよりも。
私たちのほうが少し速い。
80mmの砲弾を浴びる前に、編隊の上空へ抜ける。操縦桿を右に引き倒し、旋回を開始する。航空艇部隊が最後に迎えるのは、ツォイ・バツェク両中隊の後方を追っていたカリエファ中隊だ。この時、編隊の周囲3方向に敵機があり、警戒が分散する。一度離れた3中隊も旋回して再び接近し、パティヤ中隊が前方から、カリエファ中隊が右舷から、ツォイ・バツェク両中隊が後方から挟撃する。
攻撃を受ける航空艇部隊は混乱したが、36機の戦闘機もまた混乱に陥った。前や横から飛んでくる模擬弾が当たった機体が、次々と離脱していった。航空艇編隊の内部で戦闘機同士が対向してしまい、同士討ちを起こしたのだった。
実戦配備された第1戦闘機大隊には航空機の操縦に習熟した乗り手が集まっているが、その戦術は未だ確立されていない。そもそも、どのような戦場で、どのような役割として投入されるべきかということ自体、連邦軍は模索を続けている。航空機は従来の兵器とは異質な存在であり、誰もがその扱いを決めかねている厄介な兵器だ。そのため大隊は、毎週のように実戦訓練を繰り返し、軍における航空機の立ち位置を定める資料を集めていく必要があった。
ノヴゴロド基地の滑走路に、
「今日の戦法は、想定よりも同士討ちが多い」
「そうだな。訓練で減らせるか?」
「難しいんじゃないか? この戦法自体、友軍機を撃とうとするようなものだろ」
「仮にこの大隊でできても、応用が効かない」
「ただ、前半は再利用できそうだよ」
「第1梯団突撃後の、死角からの攻撃か」
「そうだ。航空機の特徴は何よりも速さと機動性にある」
「それを最大限活用する戦法が必要だってことか」
「逆に他のどの兵科とも違って、停止できない兵器でもあるけど」
「その通りだな」
近づいてくる足音がして、カリエファ・アルマズ大隊長とボラトビク・レナート大隊副官だった。
「そんな寒いところで話し込まなくてもいいだろう。まあ、散々な訓練ではあったが」
「20機の離脱ですからね。事実上の全滅ですよ」
「お前も俺の中隊に墜とされた口だろ」
カヴチュールがレナートをからかった。
「はは、皆墜とされたからな」
「この中で離脱しなかったのは……」
「ルフィナですね」「ルフィナだな」
「離脱しながら見てたけど、模擬弾を避けながら敵艇を攻撃してたからね」
「才能ってやつかなぁ」
「…………」
「ルフィナ、何か反応しろよ」
「面白い反応なんてこの軍人に期待しない方がいいよ、カヴチュール」
ファウジアがカヴチュールをたしなめる。
私は訓練前に想定されていた戦法に従って、行動を完遂しようとしたまでだ。敵艇を攻撃するためには友軍機の銃弾は避けなければならないし、敵航空艇部隊を撃滅するという目標は達成しなければならない。
勿論、誰にでもできることではない。しかし、ここは選り抜きの第1戦闘機大隊であり、私はその中隊長だ。
「自分の能力くらい、ある程度は把握している」
「これが自惚れでも何でもないから士官学校首席卒業生ってやつは」
「さあ、兵舎に戻るぞ。隊員を寒い滑走路に放置して盛り上がる指揮官など、頂けないからな」
その日の夕食で、指揮官たちは再び顔を合わせた。
「来週の実戦訓練で使う戦法は、これで決まりだな」
「うん、考えうる限り最高だね」
「次は良い報告書が書けそうですよ、大隊長」
「……今回のは、正直上げたくもないよ」
「航空機による挟撃は同士討ちに繋がる。重要な教訓では?」
「確かにな」
そう言って、かつてのアズベク族の貴種出身のアルマズは、綺麗な所作で苦笑した。そういえば、とカヴチュールがおもむろに口を開く。
「皆の出身部隊ってどんな所だった?」
「それ、私も聞きたいな。大隊長?」
「私か。首都近衛の戦闘艇連隊だからなぁ、軍規についてはとにかく厳格だったよ」
「うちとは真逆ですね」
とファウジアが茶化すと、一笑いが起きた。
「もう少し指揮系統を守ってはどうかと、基地司令にも言われたからな。見直す必要はあるだろう」
「そう言っておいて、あまりやる気はないのでしょう?」
「どうだかな。……あとは、儀仗任務も多かったよ。何度もパレードに参加した」
「それはそれで、面白いと思いますがね。フホホト基地の周りは白小麦のだだっ広い畑ですよ」
カヴチュールが配属されていたフホホト市は、ここノヴゴロド市のはるか東方、東翼管区内にある。ゴビ砂漠の外れ、北華との接続地点だ。
「基地食も白小麦だったのか? 白小麦って美味いのか?」
「ああ、たまに出てた
「ツォイ中隊長は? 確か、ソルクォナク市の部隊のはずだ」
連邦のキビジュ族改姓令に従って新たに姓を名乗ることになったファウジアは、西翼管区南部方面、キンメリア海北岸のソルクォナク市にいた。
「領土の端ですからね。ここと同じように大きな基地でした」
「ノヴゴロドよりはマシだろ。こっちはすぐそこに仮想敵国との国境があるんだ」
同じくキビジュ族の出身で、かつてもノヴゴロド基地の配属だったレナートが反論した。キビジュ革命後の介入戦争でイェンツェ=カルマール同盟の国境線は大きく移り、かつて帝国領だったスオミ地方を、現在はかの国が支配している。ノヴゴロド市から国境までの距離は僅か100kmにも満たず、その基地の規模は連邦随一だ。
「おまけに寒いしな」
そう、小柄なレナートは付け加えた。
「パティヤ中隊長はどうだったんだ?」
「ハザール海沿岸の哨戒大隊ですよ。わざわざ語ることなんてありません。あえて言えば、厄介事を避けるための左遷でしたけれど」
煙色の蒼天を旅して 雲矢 潮 @KoukaKUMOYA
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