EP.43
第一番柱。そこは森都の行政の中枢だ。その最上階より一つ下の階に、森都知事の執務室が有った。しかし、今や、ジャンクフードのゴミやペットボトル、良く分からない機械類や、未洗濯の衣類が散乱していた。
そんな部屋の中、革張りの椅子に身体を預け、組んだ脚を黒檀の執務机に載せているのは、二階堂ゆず葉だった。
「先生。少しは片付けろよ」
「分かっている。だから君を呼んだのだろうが」
「横暴だろ……」
解が足元の黒い布を摘まみ上げてみると、下着だった。おそらく、着用済み。解は顔をしかめながら訊く。
「……掃除の人は?」
「誰が私の命を狙っているか分からんからな。極力、他人との接触は避けたい」
解は舌打ちをすると、渋々、床に散乱したゴミをビニール袋に集め始める。
森都の知事と、西側の一部の人間、つまりは森都が存在する本当の理由を知る人間だけの会合が定期的に開かれていた。
「あー、突然だけれど、森都は独立する。元首は私だ」
ゆず葉はその会合で、そう言い放った。いつもは偉そうにしている連中が泡喰ったように慌てて居たぞ、と彼女は愉快そうに笑っていた。
「なあ、先生」
「何かな?」
「森都の外に逃げないで、本当に良かったのか?」
「君が宮藤を押さえたことで、状況が変わったんだよ。前も説明しただろう」
「そうだけどさ……」
「どこに居ようと、追手が来ることは変わらない。だったら、少しでも地の利が得られる場所に居た方が良い。宮藤を引きずり降ろし、私がトップに立ったことで、インフラや自衛隊は完全にこちらで掌握しているわけだ。見ず知らずの街で逃げ回るより、よっぽど楽だよ。森都の狭さを差し引いてもね」
「ミサイルでも撃ち込まれたらどうすんだよ?」
「在り得ない。あまり派手に軍隊を動かせば、森都の存在を外国に感づかれる。それこそ、西側の連中が一番、避けたいことだ」
ヘリで特殊部隊を送る。物資の供給を断つ。などの方法も考えられたが、同様の理由で実行不可能だった。変換杖とクローンの研究データを海外に流すと脅せば、諦めざるを得ない。
最終的に、元々森都に居た宮藤の部下などによる暗殺、という方法が残る。だから、ゆず葉はこうして、執務室に引きこもっているのだった。自由に出歩けない彼女の代わりに、解や東雲姉妹が様々な雑事を引き受けていた。
そういった事情が有ったから、解は口では文句を言いながらも、粛々とゴミを袋に放り込む。そんな彼に向って、ゆず葉が訊いた。
「その後、彼女達とは、どうだい?」
「……まあ、ぼちぼち」
彼女達、が指すのは、東雲姉妹と、そして雪村温のことだった。その三人は、解が「大洋」では無い事を知ってしまった。
「……御堂解、です」
出会ってから約三か月目にして、解は改めて自らの名前を名乗った。
彼女たちは、「大島大洋」の振りをしていた解を、責めるつもりは無いらしい。むしろ、自分を偽らざるを得なかった境遇に同情さえしてくれた。
強い人たちだ、と解は素直に思った。
自分たちも「大島大洋」を失くしたばかりなのに。
そんな訳で、解と彼女たちの間に有る距離は、専ら解の方に原因が有った。
「大島大洋」が死んだのに、彼と同じ姿をした人間がうろついて居るのだ。それどころか、成長し、やがて老いる。もしも「大島大洋」が生きていたとしたら、まさにそうなっていたであろうという姿を晒し続ける。血肉の通った亡霊、とでも言えば良いのか。解と目を合わせる度、彼女達は「大島大洋」の死を突き付けられる。冗談にしても、質が悪過ぎた。だから、解は意図的に彼女たちを避けていた。
しかし、解のそんな態度がお気に召さなかったらしい。温に捕まったのは、つい昨日の事だ。彼女は、解が明らかに自分たちを避けていることを問い詰めた。
俺を見ると辛いことを思い出させてしまう。
そんなような事を、解は答えた。
しかし、温は言う。
「今はまだだけと、そのうち、ちゃんと気持ちに折り合いをつけるから。大丈夫。君は、君だよ」
その言葉で、解は救われたような気がした。
それから、彼女は少しだけ寂しそうに微笑むと、付け足すように言った。
「それに、辛い事ばかりでも無いんだよ。思い出すのはね」
「大島大洋」だって複製なのに、と解は思った。
彼は解と同じ複製であるにも関わらず、多くの人に愛されていた。
ふと、解のゴミを集める手が止まる。
「先生」
「どうした?」
「先生、俺に訊いたよな。先生を、恨むかって」
それは、解が温を取り戻すため、三七研に踏み込んだ夜のことだ。
『解君。君は私を恨むか?』
ゆず葉は解にそう問うた。変換杖を造り、解をこの世に生み出した彼女を、恨んでくれても良いのだと、彼女は言った。その問いの答えを、解は今になって返す。
「ありがとう、って言いたい」
「それは、どういう?」
「ありがとうって、言えるように生きたい。……そんな人生を、俺も選びたい」
「解君……」
ゆず葉は解に駆け寄ると、おもむろに抱きしめた。
彼女は歌う。
広々とした執務室に響く、たった数小節の子守歌。
「……どこかで聞いたことが有る」
「君が生まれて初めて聞いた歌だよ」
代理母として解を産んだゆず葉は、ほんの数分間だけ彼を抱いた。
生まれたばかりの解は、ゆず葉が差し出す指を弱々しく握り返した。ただの条件反射に過ぎない。当然、ゆず葉もそんな事は知っている。それでも、その感触が、熱が、彼女の心を動かした。
ゆず葉は、どうすれば良いか分からなかった。彼女は造られた。愛されて生まれた人間ではない。だから、愛し方を知らなかった。それでも溢れてくる、やり場の無いこの感情を、歌に換えて吐き出した。
聞きかじりの子守歌は、数小節を何度もループする。それは、偽りの英雄として生きることを定められた者へと捧ぐ、たった一つの祝福の歌だ。
ゆず葉は笑う。
「解君。君の人生に、幸あれ」
この歌を、偽りの英雄に捧ぐ。 夕野草路 @you_know_souzi
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