舌なし目なし

真花

舌なし目なし

 こんなつまらない男のために一日を使うなんて、私どうかしていた。帰ろう。さっさと帰ろう。

「今週の日曜日、もしよかったら、デートしてくれませんか」

 喫煙所で二人だけになった。松本まつもと君が震えながら言うから、無下にせずに黙った。

「とびきりのデートコースを考えたんです。きっとよかったと言ってくれると思います」

「もしイマイチだったら私、怒るけど、それでもいい?」

「もちろんです。絶対にそんなことにはさせませんから」

 私はフリーだし、そんなに自信があるのなら、ちょっと興味が湧いた。

「じゃあ、いいよ、行こう」

 松本君は飛び上がって喜んだ。

 かと言って私が気合いを入れるような相手ではない。服もアクセサリーも適当に五秒で決めて、化粧もいつもと同じ。万が一に備えて前日ににんにくを食べることだけは控えた。

 待ち合わせ場所には松本君が先に立っていた。真夏なのにベストのような茶色いものを着ている。ズボンはスキニー。職場での姿とかなり違う。

「お待たせ」

「今来たところです」

「けったいな格好をしてるけど、それはオシャレなの?」

「今、流行っているんですよ、このベスト。と、ズボンも」

「似合ってないね」

 松本君は首を高速で振る。

「今いちばんのオシャレですよ。似合う似合わない以前に、オシャレなんです」

「まあ、いいよ。行こう」

「はい。最初はレストランに行きましょう。食べログで四つ星の、ちょっとお高いところです」

「前情報はいいよ」

「コメント見ても、みんな美味しかったって書いてるんですよ」

「松本君は行ったことあるの?」

「ないです。でも、高評価で値段も張るんですから、間違いないです」

「そっか」

 レストランはイタリアンで、繁盛していた。割り勘なのかな。それだったらそれでも全然いい。奢られたところで味は変わらない。

 昼だから酒は飲まずに、パスタとピザを頼んだ。松本君の言う通り、お高い。

 運ばれて来た料理を食べる。

「美味しいですね、やっぱり評判通りです」

 これが? 私は黙って摂取する。

「僕こんな高級なお店入るの初めてで、やっぱり何もかもが違いますね。もう、空気から美味しい」

「そう」

「あ、ピザもすごい美味しい。神崎かんざきさん、食べてみて下さいよ」

 食べてみた。思ったことを口にしてはいけない。松本君は酒でも飲んだかのように饒舌だ。

「ここの店名のpoco a pocoって、ちょっとずつって意味なんですよ。でも、こんな料理を出されたら、ちょっとずつなんて食べられないですよね。どうしよう、もう一枚ピザ頼みますか?」

「いや、いい」

「そうですか。流石に一人じゃ食べ切れないから今日は我慢しますね。いやぁ、星四つは美味しいですよ。いいお店見付けちゃいましたね」

 私は返事をしない。

「この次に行くのは美術館です。あのゴッホのひまわりが展示してあるんですよ、常設で」

「そうなんだ」

「超有名な作品ですよね。きっと感動するんだろうな」

 その美術館では、若手の展覧会もやっていた。

「私、美術館では一人で観たいから、バラバラに行動するのでいいよね?」

「分かりました」

 松本君は企画展をほとんど観ずにゴッホに向かって行った。私も観るのは早い。面白くないと思ったら一秒で次に進む。だが、面白いと思ったら何時間でも観る。もっとも、今日は松本君がいるのでそこまで時間を割けない。私は一枚の絵にロックオンした。ZOOと言う作品だ。

 絵は、斜め左右に柵で分かれていて、片方に人間が十人、もう片方に、ライオン、シマウマ、カバ、トラ、サル、ゾウ、パンダ、キリン、フラミンゴ、サイが一匹ずつ柵で分けられずに描かれている。空は晴れていて、影が濃い。さあ、どっちが動物園なのだろうか。シンプルな対立構造だが、鏡に映すように考えると、人間の十人の方が向こうの十匹よりも内容はバラエティに富んでいるのかも知れない。柵の向こうにいる人間に対抗するために動物は種の壁を超えて協力するのかも知れない。だとしたら、人間だってずっといがみ合ってないで、協力をすることが出来るのかも知れない。むしろ、いがみ合う人間こそが自然界からしたら「見せ物」なのだ。それを見ている十一人目の私はどちらに加担する? 同じようにいがみ合うの? それとも、そうじゃない、平和な人間の群れにするための使者になるの? 私は人間に対してどういう態度でこれから生きるのがいいのだろう。それは、平和がいい。だけど、嫌なものは嫌なのだ。単純に、誰もとも平和であることが一番ではないのだと思う。つまらない人間と関わらなくたっていい。そう言う、柵があってもいい。

 私はため息を漏らす。いい絵に出会えた。

 ずいぶん時間を使ってしまったから、名残惜しくもZOOと別れて、松本君を探す。

 松本君はひまわりの前に立っていた。

「お待たせ」

「神崎さん、僕はもう感動しています」

「この絵に?」

「そうです。これが一億円の絵です。超有名な絵なんです」

「それで、何を感じたの?」

「それは、ひまわりがしなびてるなぁと感じます。でも、迫力があるんです。感じませんか?」

「ごめん。私はこの絵には何も感じない。でも、それは人それぞれだから、ね」

 美術館を出て、スカイツリーに登った。

 天空回廊から見る景色は全てが平らになったかのようだった。

「ガイドブックでもネットでも、ここの景色がトップスリーに常に入っているんです」

「そっか。高いね」

「お値段の分の感動はありますよ」

「そっちじゃなくて標高的な高さだよ」

「それももちろんです」

「じゃあ、帰ろうか」

 松本君は体をガッと硬直させる。

「待って下さい」

「いいよ」

「今日のデートはどうでしたか? 僕は自信があります。どれも高評価のものばかりです」

 私の中に確かに溜まっていたのだと思う。無視していたのだと思う。それが噴出した。

「松本君」

「はい」

「いい? 服装の好みにケチを付けたくはないけど、流行だから、だけで選ぶのはオシャレでも何でもないよ。で、昼食。全然美味しくなかった。でもね、美味しくないことは問題ではないんだよ。前評判とか星とかで、美味しくないものを美味しいと感じることが問題なんだ。それって自分の舌で感じてないよね。舌なしだよね。そりゃ、最終的には脳で情報を処理するのだから、前評判で味が修飾されてもおかしくはないよ? でも松本君は払ったお金と評判に影響され過ぎている。全然美味しくないものを喜んで食べている姿は惨めだよ。次に美術館。どの絵とどの人が合致するかは観てみたいと分からないから、ひまわりに感動したことは何もおかしくない。だけど、松本君は値段のことばかり言っていた。それって、値段に感動しているよね? 目なしだよね? そしてここ。ここでも景色なんて見てないよね。値段とか評判ばかり。スタンプラリーやってんじゃないんだから、そこにあるものを感じなよ。総じて、どこに行ったかはそんなに問題じゃないよ。どこに行っても何をしても、評判だの値段だので評価が歪む松本君を見せられ続けたんだ。舌なし目なしはそりゃ、世の中にごまんといるよ。そう言う自分で感じる能力がない人を巻き込むのがビジネスの勝つ道だってのも分かっている。だけどね」

「はい」

「私の横にはそんな人はいらない。自分で感じて考えて、自分の評価を出来る人がいい。だから、松本君、君じゃない」

 私は立ち去ろうと一歩を踏み出す。

「待って下さい」

「何? 十分に話をしたと思うけど」

「まだです。まだ、僕の番があります」

「そんなのないよ」

「お願いします」

 松本君は頭を深く下げる。

「じゃあ、聞くよ。そこまでだからね」

 松本君は硬く姿勢を正す。

「神崎さんの言うとおり、僕は自分で評価の出来ない人間のようです。でも、努力すれば出来るようになると思うんです。……それと、これだけは僕が自分で感じて考えたと確信を持てるものがあります」

 私は首を斜めにする。

「僕は、神崎さんのことが好きです。これだけは他の誰にも干渉されてない気持ちです。だから、すぐに付き合って欲しいとは言えません。だって失格だから。だから、僕を鍛えてくれませんか?」

「鍛える?」

「自分で感じられるように」

「どうして?」

「神崎さんの横に立つには、必要だからです」

 私の頬が緩んだ。

「ちょっとグッと来たよ」

「じゃあ」

「付き合うんじゃなくて、修行だから」

「分かってます」

 松本君は晴れやかに笑う。

 私達はスカイツリーのふもとで分かれた。果たして本当に舌なし目なしを鍛えることが出来るのだろうか。それは困難な道のりのように感じるが、面白いかも知れない。私は具体的な方法を思案しながら帰路に就いた。


(了)

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舌なし目なし 真花 @kawapsyc

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