老子と弟子と北斗の柄杓

秋待諷月

老師と弟子と北斗の柄杓

 先生、先生。


 おお、どうした。


 先生に言いつけられたとおり、お庭に水を撒こうとしたのですが、水が汲めないのです。


 ほほう、それは困ったね。どうして汲めないのかな。


 それが、柄杓に穴が空いてしまっているようなのです。


 柄杓に穴が。


 はい。桶の中から水を柄杓で汲んでみても、水が入っていないのです。きっと、この柄杓には穴が空いていて、だから汲んだ端から水が零れてしまうのです。


 お前は柄杓の底を見たのかね。


 ええ、先生。底の表からも裏からも、それこそ穴が空くほど見ました。


 ふふふ。きっとお前が見すぎたから、本当に穴が空いたのだな。


 先生、からかわないでください。


 すまん、すまん。それで、穴は見つかったのかね。


 いえ、見つかりません。柄杓の底に、穴など空いていないのです。


 ほほう。


 ですが、現に水は汲めないのです。桶に柄杓を入れると、まるで底など無いかのように、水がすり抜けてしまうのです。


 どれ、その柄杓を見せてごらん。


 これです、先生。


 ふむふむ。おや、これは。


 どうしたのですか。


 ふふふ。お前、これをどこから見つけてきたのかね。


 庭に落ちていました。弟子の誰かが片付け忘れたのだと思い、それをそのまま使いました。


 それは、それは。


 先生、それはなんなのですか。普通の柄杓ではないのですか。


 これはな、北斗七星だよ。


 北斗七星、とは、空の七つの星のことですか。


 ああ、そうだとも。


 先生、分かりません。どうしてこれが北斗七星なのですか。


 北斗七星は、柄杓の形をしているだろう。


 はい。


 あれは、昔々の神様が、要らなくなった柄杓を空へと捨てたものなのだ。


 神様が。


 そう。暗い、暗い、夜の空へと、役立たずになった柄杓を追い払ってしまったのだよ。


 嘘でしょう、先生。


 信じる、信じないは、お前の自由だよ。柄杓は捨てられて悲しかった。長い時が経って、やがて星になっても、柄杓はまだ、人の役に立ちたいと考えた。


 ええ、先生、ええ。きっと、悲しかったでしょうね。寂しかったでしょうね。


 そして、柄杓はとうとう戻ってきたのさ。夜空からぽとりと落ちてね。


 まさか。


 そう、その柄杓がそれさ。だが、柄杓は水を汲めなくなってしまった。空には水がないから、汲み方を忘れてしまったんだな。


 そんなことがあるのですか。


 あるんだよ。


 でも先生、それでは柄杓が可哀想です。せっかく戻ってきたのに、役に立たないのでは。


 そう、水は汲めない。けれど、長い時を空で過ごすうちに、柄杓は違うものが汲めるようになった。


 違うもの。


 お前、その桶を貸してごらん。水が入っているだろう。


 はい、先生。これをどうするのですか。


 もう遅くなってきた。空には星が出てきた。そら、水面に星が映っているだろう。


 はい、映っています。そこにも、ああ、あそこにも。


 この柄杓で汲んでごらん。


 え?


 お前が拾った柄杓だろう。


 汲むって、先生。


 そうら、静かに水の中に入れるんだ。そしてそうっと、引き上げてごらん。






 ほら、汲めた。 






 先生、これは。


 分かっただろう。長い時を経て、柄杓は星を汲めるようになったのさ。


 小さな玉のようですね。綺麗です。とても。


 そうだね、とても美しいね。


 先生。


 何かな。


 今日だけ、お庭の水撒きを、さぼってはいけませんか。


 おやおや。


 僕、まだこの星を見ていたいんです。






 Fin.

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老子と弟子と北斗の柄杓 秋待諷月 @akimachi_f

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