三食どんぶり令嬢は復讐に燃えるアサシン(元公爵令息)に恋をする

みかみ

一話完結

 帝都シェタールはただいま、夜会シーズン真っただ中。あちこちの邸宅でパーティーが催され、夕方からは街の通りを馬車がひっきりなしに往来します。


 勿論、王宮も例にもれず、結婚適齢期に入った王族貴族の為に、毎週のように贅沢な宴が催されておりました。


 そんな都の夜気はどこか甘く感じ、街灯にともされているあかりが、まるで繊細なお菓子のように見えてきます。

 

 対して、私の家が治める領地は、道を歩けば草と堆肥の匂いが立ちこめ、周りを見渡せば、まるまる太った家畜と栄養満点の農作物が地平線の向こうまで広がっています。


 領民の九割は、筋肉ムキムキの農夫たち。屋敷に帰れば、東洋の武術と酪農業を融合させて編み出した、『家畜捕獲術かちくほかくじゅつ』なる我が領地独自の体術を極めている騎士たちが、鍛錬に勤しんでいます。

 

 そういった、汗と埃と堆肥臭にまみれた日常が当たり前の私には、洗練された都は見るもの聞くもの香るもの、全てが新鮮で、五感を刺激されるばかりでした。

 

 何より素晴らしいのが、お料理です。

 帝都の公爵家に嫁いだ姉様のお陰で、私は姉様の嫁ぎ先の豪邸にお世話になりつつ、王宮の夜会に参加する事ができました。


 王宮のパーティーに並ぶお料理は、どれもこれも宝石のようにキラキラと輝いていて、ご飯というよりは、芸術品と呼ぶにふさわしい逸品ばかり。

 色取りもさることながら、味はもはや、天界の食べ物のようです。


 フォークを入れればホロリとほどけ、上品且つ豊かな香りがふわりと鼻をくすぐり、一口食べれば色んなお味が、行儀よく並んで順番に挨拶してくださるように感じます。


 私、十七年生きてきて、味のハーモニーというものを初めて体感しました。


 手づかみで頂けるものなら、指まで舐めてしまいたい(さすがに人前でそれはできませんが)。それほどに、美味、美味、美味。


 三食どんぶり飯の我が家のごはんとは、大違い!

 

 いえ別に、どんぶり飯も悪くは無いのですが、ビジュアルに飽きてきたといいますか……。

 だけどこれはもうほんと、ずっと食べていられそうです!


『いいですか、ラナ・アームストロング。あなたは私に似て、黙って立っていれば紫陽花あじさいのように美しいの。波打つ薄紫色の髪に赤い瞳。そして、出る所は出て引き締まるべきところは引き締まっている肉体。それだけをアピールしてらっしゃい。婚期を逃したくなければけっして、人様の前で大食いしたり、ベラベラ喋ったり、『家畜捕獲術かちくほかくじゅつ』を披露ひろうしてはなりませんよ』


 領地を出発する前に、お母様が再三注意なさった言葉でした。


 ごめんなさい、お母様。でも、こんな美味しいお料理を食べないなんて、一生後悔しますもの!


 男漁り――失礼。お婿さん探しを忘れて美食にふけっていると、ルビー色の飲み物が入ったグラスを一つ乗せたトレーが、私の前にすいと現れました。


 どこから来たのかしら? と口に入れたばかりの肉の塊を咀嚼しながら辿ってゆくと、給仕服に身を包んだ青年に終着しました。つまり、ウェイターさん。


 ウェイターさんは、なかなかの美形でした。柔らかそうな黒髪と、晴れ渡った空のような青い瞳。

 甘いマスクに上品な微笑みを浮かべながら、完璧な姿勢で飲み物が受け取られるのを待っているすらりとした長身は――あらまあどうしましょう、私のストライクゾーンど真ん中です。 


 帝都にはこんなカッコイイ給仕さんもいるんですね。歳は多分、私と変わらないくらいかしら。だとすると、まだ結婚はしてないわよね。恋人はもういるのかしら。

 

 なんて考えながらお肉を飲み込むと、ウェイターさんが口を開きました。


「木苺のジュースです、レディー。お嫌いでなければ、どうぞ。先程から食べ物ばかり召し上がっておられるので、そろそろお飲み物が欲しくなる頃かと」


 驚いた事に、彼はたった一つのジュースを、わざわざ私の為に持ってきてくれたようです。何て優しい方なのかしら。


 私は「ありがとう」とグラスを取ると、それを一気に飲み干しました。イチゴの豊潤ほうじゅんな香りと、コクのある甘味が口いっぱいに広がって、さきほど飲み込んだ肉の味が全部キレイに押し流されました。


 うん、これでまた新たな気持ちで食べられる気がします。


「おいしかったわ。ごちそうさま」


 苺の残り香が漂う唇を舐めたいのをぐっと我慢しながら、私は空になったグラスを、ウェイターさんが掲げているトレーにトンと置いて返しました。

 

 何故か、ウェイターさんがぽかんとした表情で固まっています。

 瞬きはしているので、彼だけ時間が止まったわけではないようですが。


「あの、なにか?」

 

 私はおそるおそる訊ねました。

 出された飲み物は一気飲みしてグラスを返すのが我が家の作法なのだけれど、帝都では違うのかしら。


 ウェイターさんは慌てたように笑顔を作ると、私に向かって小さくお辞儀をしました。


「いえ。お気に召して頂けて、何よりです。料理もジュースも、作ったかいがありました」


 私は彼の言い回しに、首を傾げました。それは給仕係というよりは、まるでコックのような――。


「もしかして、このお料理、あなたが作ったの?」


 目の前の料理を指差して質問した私に、彼は「はい」と頷きました。律儀に「数品だけですが」と付け足して。


「じゃあ、この野菜が入ったゼリーみたいなのも、クラッカーにチーズとお魚を乗せたのも、あなたが作ったの?」


 次に私は、銀色のトレーに並べられている料理を一品ずつ順番に、指差しました。


 この二つは、気に入り過ぎて三回もおかわりした料理です。

 どちらもお皿の半分以上が空になっていますが、殆ど私が食べています。


 彼はまた、「はい」と頷きました。


 私は感動のあまり、高速の拍手を贈りました。


「すごい! キレイだわ美味しいわ! お婿に来ない!?」


 そして意気込んだ私は、彼に掴みかからん勢いで身を乗り出しました。


 これはもう是が非でも (我が領地に)お持ち帰りしなければならないという使命感に駆られたのです。

 当然、彼は


「え」


 とキレイな顔を引きつらせました。


 大丈夫です。問題ないない。これくらいの拒否反応、ばっちり想定内です。


「そうよね。いきなり困りますよね。とりあえず、私の名前と住所をお伝えしたいので、書くもの貸して下さいな」

 

 紙を持っていなかったので、私は仕方なく髪をまとめていたサテンのリボンを解いて、そこに書く事にしました。

 メイドさんが可愛く結い上げてけくれた髪が落ちてしまったけれど、ヘッドハンティングした相手に連絡先を明示しないなんて、有り得ません。背に腹はかえられないのです。


 スカウトした相手からペンを借りて、ピンク色のリボンにサラサラと住所を記していると、後ろから頭をはたかれました。


「こら!」


 振り向くと、畳んだ扇子を顎に添えた姉様が、私を睨んでいました。


「夜会に来てウェイターを口説く令嬢がどこにいますか!」


「あら姉様。やっとお支度が整ったのね。素敵なレース使いですこと」


「そうなの高かったのよこのドレス――ってそうじゃないの!」


 私のお世辞に乗りかけていた姉様でしたが、ぶるぶると首を横に振ると、キレイに整えられた眉を吊り上げて怒鳴りました。


「思いのほか身支度に時間がかかりそうだったから、あんただけ先に向かわせたけど、ずっと不安だったのよ! 絶対何かバカなことやってる、って!」


「バカな事なんてしてないわ! このお料理、彼が作ったんですって。凄いと思わない? うちに来てもらおうと思うの。そうしたら、どんぶり以外のごはんも食べられるでしょ? 彼がいてくれたら、姉様が里帰りしてきても、帝都のご飯をお出しできるわよ!」


 私はウェイターさんの腕を引き寄せ、力説しました。


 『ベラベラ喋らない』というお母様との約束を破る事になるけれど、大丈夫ですよね。相手は姉様だし。優秀な人材を手に入れる為には、必要不可欠なトークのはずです。


 けれど興奮している私とは対照的に、姉様は頭が痛そうに、扇子の先に額を乗せて項垂うなだれました。


「あんたもういっそ、包丁と結婚すれば」


「嫌だわ姉様ったら。包丁じゃご飯が食べられないじゃないの。せめてフォークかスプーンにして下さいな」


 ここで、「ぷっ」小さな破裂音が聞こえました。


 見ると、ウェイターさんが口に拳を当てて肩を震わせていました。


「失礼しました。こんな楽しい会話、久しぶりに聞いたもので」


「はあ?」


 笑いを必死に堪えているウェイターさんを前に、姉様が腕を組んで睨みをきかせました。まるで輩です。


 姿だけお母様に似て、ボケた性格はお父さまから頂いた私と違って、姉様は姿も性格もお母様にそっくり。つまり、威圧系美女なのです。


 それを嫁ぎ先では十匹くらい猫を被って隠しているくせに、私と一緒だと気が緩むのでしょう。本性が半分くらい出ていました。


 どうしましょう、せっかくの逸材いつざいを、姉様のせいで逃がしてしまうかも。

 危惧きぐした矢先、姉様が「あら?」と眉を上げてウェイターさんを覗きこみました。


「あなた、どこかで見たような――」


 言いかけたその時、会場がどよめきました。

 

「ジュリアン・シュタインフォード! 今この場で、お前との婚約を破棄するわ!」


 続いて、凛然とした女性の声が響き渡りました。


 つま先立ちになって覗き見ると、来賓客の頭の間から、赤い髪の女性が確認できました。真っ白なドレスをまとった彼女は、金髪の青年と腕を組み、その男性にしななだれかかるようにして立っています。


 そして二人の前には、跪いた茶色い髪の男性が。


 女性は私と同じ歳頃。男性は両方とも、私より少しばかり歳上でしょうか。


「お前は日頃から金遣いが荒く、賭博場に出入りし、わたくしの装飾品を盗んではお金に換えていたわね。そしてそれをとがめたサイラスを暴行した上、あろうことか、国王である父上を毒殺しようとした!」


 王様の毒殺未遂という罪状が問われた時、会場中がまた、大きくどよめきました。


「ユリア様、わたしは陛下の毒殺など企んでおりません。 私が陛下に差し上げたワインに毒が混じっていたのは、きっと何者かが――」

「お黙り!」


 始まりかけたジュリアン様の申し開きを、赤髪の女性――話の流れから察するに王女様が、ぴしゃりと抑えつけました。


「証拠はあがっているのよ。サイラスが全て、揃えてくれたわ」


 そう言うと王女様は、隣の男性、サイラス様を見上げました。王女様のお顔は拝見できませんが、そのお声から察するに、サイラス様にうっとりとした目を向けられているのは確かです。


「あ~あ。またやってるわ」


 扇子を広げた姉様が口元を隠して、嫌悪感あらわに呟きました。


「『また』とは?」


 身を寄せて訊ねた私に、姉様は説明してくれました。


 七年前、姉様が私と同じように婿探しで参加した王宮の夜会でも、同じ事が起きたのだそうです。


 婚約を破棄したのは、第一王女ソフィア様。破棄されたのは、フェリアル公爵家の次男ジル様。


 婚約破棄の理由は今日と同じ、ジル様の浪費と盗み。そして、大司祭の暗殺未遂。


 ソフィア様は宰相さいしょうの一人と並び、ジル様を断罪。婚約破棄を申し渡したといいます。

 その時も、二人はジル様の申し開きをまったく聞かず、証拠だけを並べ、罪を宣告したとか。


「それで、ジル様はどうなったのです?」


「命は繋がったけれど、流刑になったわ。公爵家は潰され、一家離散したそうよ」


 そして、ソフィア様と宰相は結婚した。


 巷では、ソフィア様と宰相が結託してジル様を陥れたのだという噂が流れたそうです。理由は、宰相とソフィア様が街中まちなかデートをしていたという目撃情報に加え、ジル様が、誰もが認める品行方正な青年だったから。


「ジュリアン様の事は少し知っているけど、真面目な方よ。酒も賭博もお嫌いで、盗みなんか絶対やらないわ。酷い言いがかりよね。まさか、姉妹揃って同じバカをやるとは思わなかったわ」


 姉様が扇子の裏で舌打ちしました。断罪&婚約破棄の現場に居合わせて気分を害したせいか、完全に輩モードになっています。


「都では浮気と婚約破棄が流行りなのですか?」

 

 訊ねた私に姉様は、「そんわけないでしょ」と吐き捨てました。


「クズなだけよ。二人とも」


「その通り」


 突然、男性の声が姉さまに同意しました。

 ウェイターさんでした。


 ウェイターさんは怒りに燃えていました。美しい横顔が、鋭くとがった刃のようです。

 

「姉がクズなら、妹もクズだ」


 忌々しげに呟いた彼は、私に飲み物を下さった穏やかなウェイターさんではなくなっていました。


「お前はこの場で処刑します! やっておしまい!」


 やっておしまい!?


 ユリア王女の命令に、私は耳を疑いました。


 殺してしまうのですか!? 婚約者を!? ここで!? 


 王女様にあらかじめ命じられて、控えていたのでしょう。騎士が三人、ジュリアン様に歩み寄りました。二人がジュリアン様の両腕を拘束し、最後の一人が剣を抜いてジュリアン様の前に立ちはだかります。


 会場のどこからか、悲鳴が上がりました。


 いけない。このままでは、ジュリアン様が殺されてしまう。


「ちょっと待っ――」


 止めようと手を伸ばしかけたところで、私の隣で何かが素早く動きました。

 ウェイターさんです。彼はトレーを振りかぶっていました。

 トレーに乗っていたグラスは、宙に浮いています。


「おっと!」


 このままでは落ちて割れてしまうと思った私は、とっさに両手でグラスを掴みました。

 その瞬間、目の前をトレーが縦に吹っ飛んで行きました。


 金属同士がぶつかる音。そして、騎士の剣が床に落ちる音。

 落ちた剣の近くでは、ウェイターさんが放ったトレーが、ガランガランと音を立てて回っています。


 よかった。これでジュリアン様はひとまず安心。


「ウェイターさん」


 凄いですね。と笑顔を向けた先に、彼はいませんでした。

 彼は、跳躍していました。来賓客の頭を飛び越えて。


 しなやかな長身をくるりと回転させてジュリアン様の前に降り立ったウェイターさんは、ベストの裏から二振ふたふりの短剣を素早く取り出しました。流れるような動きで、ジュリアン様を拘束している騎士二名の腕を斬って、戦闘不能にします。


 驚いたことに、ウェイターさんはジュリアン様の用心棒だったようです。身のこなしから察するに、アサシンでしょうか。

 

 続いて脅威きょういのスピードで、残り一人の騎士の後ろに回ったウェイターさんは、甲冑かっちゅうかぶとの間に覗いている僅かな隙間を狙って首を殴打し、失神させました。

 

 ジュリアン様がゆっくりと立ち上がり、ユリア様とサイラス様と対峙します。

 ユリア様は震えながら、サイラス様にしがみついています。


「ジュ、ジュリアン、あなた……」


「こうなるだろうと思って、腕の立つ護衛を一人、雇っておいたのです。彼は王家に恨みを持っているそうなので、存分に……君は?」


 言葉を切ったジュリアン様が、不思議そうなお顔で私を見ながら、軽く首を傾げました。


「え、私? あらぁっ!?」


 なんということでしょう。私、無意識のうちに修羅場しゅらばに跳びこんでいたようです。しかもあろう事か、ウェイターさんと並んで、王女様に向かってアームストロング流の構えを取っているではありませんか!


 ウェイターさんも、まさかの乱入者にビックリしている様子です。

 しかしながら、一番驚くべきは――


 これ、お父さまがヘソクリ全額投資してくださった、オートクチュール! 私ってば何ということを!!


 覚えています。私、タイトドレスが走りにくかったので、裾を思いきり破ったのです。

 自分のした事ですが、修繕不可能なほどに出来上がった見事な左スリットを前に、ショックのあまり気を失いかけました。

 そこに、姉様の鋭い一声がとどろきます。


「オーレイ!」


 アームストロング領では、暴れ牛をねじ伏せる競技があります。それの開始の合図でした。


 アームストロング領の者がこの掛け声を聞けば、老若男女全ての人間が、例え眠っていても即座に目を覚まし、戦闘態勢に入ります。


 私も例に漏れず、ショックから立ち直る事ができました。

 

 そうです。兎にも角にも今は、ウェイターさんとジュリアン様を守らなければ。

 ごめんなさいお母様。私、最後のお約束まで破ってしまいそうです。


「ラ、ラナ・アームストロングです。微力ながら、加勢いたします」


 構えたまま自己紹介をした私に、ジュリアン様が「『アームストロング』そうか……」と呟かれました。

 そして群衆の中に姉様の姿を見つけたジュリアン様は、勇気付けられたように笑顔をお上げになったのです。

 

「ありがとうございます令嬢。助勢、感謝いたします」


 力強く、そのように仰いました。

 

「お久しぶりです。王女殿下。私を覚えておられませんか?」


 ウェイターさんが薄い笑みをたたえながら、ユリア様に問いかけました。


 ユリア様はウェイターさんの顔をじっと見つめていましたが、やがて「あっ」と目を大きく見開きました。

 

「お前、フェリアル公爵家の!」


 フェリアル公爵家……はて、どこかで耳にしたような? 

 

「その節は、兄ジルが大変お世話になりました」


 ウェイターさんの、皮肉を込めた口上こうじょうに出てきたお名前を聞いて、ようやく思い出しました。

 ジル様。ソフィア第一王女殿下に婚約破棄された、公爵家の次男様ではありませんか!


 ジル様を兄と呼ぶということはつまり、ウェイターさんはジル様の弟で、没落離散したフェリアル家のご子息の一人だったと。

 

 それは恨みますわね! クズ呼ばわりもしますわね! 


 納得した私は、ウェイターさんの横顔に大きく頷きました。


謀反むほんよ! 始末しなさい!」


 ユリア様がヒステリックに叫ばれました。

 扉という扉から、兵士がなだれ込んできます。


 どうしましょう。羊の群れ一つ分はいそう。

 

 ウェイターさんが動きました。兵士達の方ではなく、王女殿下の方へ。


「わああ!」

 

 おののいたサイラス様が、腕にすがっていた王女殿下を突き飛ばして逃げました。

 信じられません。紳士のする事とは思えません。


 私はサイラス様の前へ回り込むと、首に腕を巻きつけ、投げ技をお見舞いしました。

『家畜捕獲術』第一の投げ技。 『投牛とうぎゅう』です。

 領地では牛の首根っこを固定して投げるのですが、人間相手にも応用可能なのです。


 サイラス様は気絶してしまいました。子牛よりはかない方でした。


 兵士二人が剣を手に、私に向かって来ました。

 こうなればヤケです。剣など、雄牛の角と同じ。いいえ、一本なだけ、牛よりマシだと思いましょう。


 私は一人を回し蹴りで失神させ、もう一人は後ろへ回り、腰をがっと抱え込みました。


「はいい!――やっ!」


 気合と共に、思いきり体を後ろへ反らせます。

『家畜捕獲術』第六の投げ技。 『岩石落としばっくどろっぷ

 おもに、家畜としては比較的小型である羊や山羊やぎに使う技です。

 この兵士も、動かなくなりました。


「つ、強ぇ! ゴリラかこの女!」


 私の戦いぶりを見た兵士達が後ずさりました。『ゴリラ』は流石にちょっと、傷つきます。


「た、助けて。お願い! 何でもするから!」


 ユリア王女殿下の悲痛な叫びが後ろから聞こえました。


 振り返ると、ウェイターさんが王女殿下の後ろを取り、細いお首に短剣を突きつけていました。いつでも首をかっ斬れる状態です。


 ウェイターさんが、兵士を下がらせるよう王女様に指示しました。

 小刻みに頷いたユリア様が、右手を払う仕草をします。

 有り難いことに、羊の群れ一つ分の兵が退場していきました。


「王女殿下。婚約破棄はつつしんでお受けしましょう。しかし、条件があります」


 ユリア様の前に立ったジュリアン様が、静かに言いました。

 七年前の第一王女の婚約破棄の真相を含め、真実を述べよ。そして、フェリアル公爵家の復興を約束しろ、と。


 ユリア様は、これらの条件を呑みました。


――――――――★


「へえ。それで、その後どうなったんです?」


「姉様からの手紙には、七年前に大司祭を殺そうとした宰相と第一王女のソフィア様は流刑。第二王女ユリア様は修道院送り。サイラス様は、国王暗殺未遂の罪で死刑。お家も断絶になったと書かれてありました。ジュリアン様は、ただいま新たな連れ合いを探して婚活中。フェリアル家は元の爵位と領地を取り戻し、離散した家族や使用人も戻りつつあるらしいです」


 タオルで汗を拭いながら聞いてきた半裸の騎士に、私は答えました。


 私は、アームストロング領に戻ってきていました。二日前に。予定よりも一週間以上早い帰郷でした。


 王宮の夜会で大立ち回りをした私に、姉様はカンカン。翌日荷物をまとめて、馬車に放り込まれたのです。


 往路に半月近くかかったのに、都を楽しめたのはたった五日間。切ない事この上ありません。

 

「まあでも、よかったじゃありませんか。納まるべき所に納まったってことでしょ?」


 別の騎士が白い歯を見せて笑いました。汗のかき具合と筋肉の太り具合は、先の彼と似たようなものです。


 私は早朝訓練を終えた汗臭い幼馴染二人の間で、深いため息を吐き、膝を抱えました。


 初夏の風が吹いてくる前庭の木陰は、牧場が見渡せて気持ちが良く、お気に入りの場所なのですが。今日は気分が塞ぎこむばかりです。

 朝の訓練に参加しても、体がしゃっきりしないし。

 ブーツの上でチラチラ遊んでいる木漏れ日にも、心が躍りません。


「外出禁止なんて、ひど過ぎるわ……。お母様の忠告に従わず、ドレスを破り、婿一人満足に連れて帰れなかったからって」


 そう。私は、両親から一カ月の外出禁止令をくらっているのです。

 外出禁止中の私ができることといえば、領地経営の勉強と、武術の訓練と、畑の手伝いと家畜の世話くらい。

 本当なら、すぐにでも帝都に引き返し、ウェイターさんを探したいのに。


「元気を出して下さい、ラナお譲様。さあ、朝ごはんですよ」


 メイドが、大きなお盆にどんぶり飯を四つ乗せてやって来ました。そのうちの一つを、私に手渡してくれます。彼女も私の幼馴染です。


「お譲様、どうしたんです?」


「家畜を眺めながら食べる肉ドンブリは最高の御馳走でしょ?」


 お肉と玉葱を甘じょっぱく煮込んでご飯にかけたものに箸をつけず、睨むばかりの私に、幼馴染三人が眉をひそめました。


 帝都に行く前は、私も彼らと同じ事を思いながら、仲良くどんぶり飯をかっこんでいました。

 でも今は、何もかもが切ない。

 美味しそうな食べ物を見るたびに、キレイなものを目にするたびに、青空を見上げるたびに、あのウェイターさんを思い出して胸が締め付けられるのです。


 大立ち回りの後はバタバタで、会話をする時間はおろか、名前(ファーストネーム)さえ聞けませんでした。


 ただ、立ち去る時に彼は、片手を胸にあてて微笑み、私に深くお辞儀をしてくれました。その時の姿が、忘れられません。


 私は、ドンブリの上に箸を乗せると、地面にそっと置きました。


「お譲様! 食べ物を粗末にしたらお尻ペンペンですよ!」


 姉のようなメイドが、目を吊り上げて私を叱りつけます。


 分っています。子供の頃からずっとそうやって育ってきたのだから。でも、食欲が湧かないのだから仕方がありません。

 私は抱え込んだ膝に、顔を埋めました。


「どうしよう。お嬢様がご飯を召しあがらないなんて。絶対に病気だわ。お医者に診せなきゃ」


「けどアームストロング領に人間用の医者なんていたっけか?」


「いいべいいべ。家畜医で」


 三人の声を頭上に聞いていると、体がふわりと浮きました。脇と両膝を支えられ、持ち上げられたのだと分りました。


 このまま家畜専門のお医者に運んでいくつもりのようです。

 

 アームストロング領には、人間専門の医者はいないのです。みんな健康過ぎて、ピンピンころりだから。

 

 私、家畜と同じ診察台に寝かされるのね……。


 そんな事をぼんやり考えながら、わっしょいわっしょいと運搬されていると、行進がぴたりと止まりました。


「お譲様。ご覧ください」


 肩を叩かれ顔を上げると、お屋敷に続く一本道をゆっくり歩いてくる人が見えました。

 若者のようでした。のびやかな長身に、細身のジャケットスーツをまとい、大きな鞄を持っています。


 お客様かしら。それとも、旅人?


 吊られた状態でぼんやり眺めていると、若者もこちらに気付いたようで、あゆみを早めました。


 お顔がはっきり見える距離まで近づいた時、私は歓喜の悲鳴を上げそうになりました。

 柔らかそうな黒髪に、晴れ割った青空みたいな瞳の青年。


「ウェイターさん!」


 騎士達が地面に下ろしてくれたので、私はウェイターさんに向かって駆けだしました。

 訓練用に緩く編んでいた三つ編みがほどけたけれど、構っている余裕はありません。


 走って来た私に、彼は鞄を置いてにこりと微笑んでくれました。

 

「ど、どうして」


 どうして来て下さったのか。そう聞きたかったけれど、心臓がバクバクして言葉が続けられませんでした。

 アームストロング領の象徴である、この牧歌的な風景の中に彼がいるなんて、嘘のようです。


「遅くなりました。レディー」


 彼は一礼すると、自己紹介代わりに特技(セールスポイント)を簡単に説明して下さいました。


 一家離散してから、殺し屋を裏稼業にしているレストランで働いてきた事。だから、コックとしても、用心棒としても使えると。

 また、領地経営についても、没落前に学び終えている事。数字には自信があるので、もし私が望むなら、将来この領地を背負う私の役に立てるかもしれないと。


 つまり有難い事に、うちで働いてくださると。


 それにしても驚きです。ウェイターさん、とおやそこらでもう経営学をマスターされたんですか。優秀なんですね。私は正直、数字は眺めているだけで頭が痛くなるんです。

 

 手伝って頂けるのなら、それは大助かりですが……。


「お家の方は、よろしいのですか? 今は一番お忙しいはずでは?」


 ウェイターさんは、大丈夫です、とはっきりお答えになりました。

 御両親はお二人ともお元気で、お家の復興が叶ってやる気満々。有能だった執事長も戻ってきてくれたので、自分がするべき仕事はもうあまりないのだ、と。


「ですが、後継ぎは?」


「兄が帰ってきたのです」


「ジル様が!? それはおめどうございます!」


 私は嬉しさのあまり、飛び跳ねました。

 流刑になられた兄上様がお戻りになられたなら、もうフェリアル家は大丈夫ですね。


 ウェイターさんは「ありがとうございます」と目を細めると、ジャケットのポケットから何かを取り出しました。

 ピンク色のリボン。きちんと折り畳まれているけれど、ところどころに黒い染みがあります。インク染みでしょうか。


「もしやこれ、私のリボン? 拾って下さったんですか」


 ウェイターさんに渡そうとしていた私の連絡先。姉様に頭をはたかれてからの婚約破棄騒動で、すっかり忘れておりました。

 手渡した記憶がないので、すったもんだの後でちゃんと回収して下さったんですね。


「テーブルの上に、ぽつんと。濡れてしまっていたので、文字は滲んで読めませんでしたが」


 ウェイターさんが、リボンの表面を親指で優しく撫でました。

 何だか自分が撫でられているようで、くすぐったい気持ちです。


「本当に、他の男の手に渡らなくてよかった……」


「え?」


 ウェイターさんの小さな呟きに、私は思わず聞き返しました。


 彼は、リボンを愛おしそうに撫でながら続けます。


「ずっと不思議だったのです。無関係の貴方が、危険を冒してまで何故我々の味方をなさったのか。……気づけば毎日考えていました。貴方のことばかり」


「は、はい……」


 『私も貴方の事ばかり考えていました!』と大きな声で応えたいのに、口から心臓が飛び出しそうで、それ以上喋れません。


 しかも顔が、枯れ草に火をつけたみたいにボウボウと熱いのです。野焼き? 私、もしかして燃えてるんですか? 大丈夫でしょうか?


「貴方の行動の意味を知りたかったのではなく、ただ会いたかっただけなのだと自覚できたのは、幸いでした」


 まだ続けるんですか!? もう勘弁して下さい顔面火事で焼死してしまいます! 


 心臓はうるさいし、顔は大火事だし、なのに手足は冷たく痺れている。 

 私の頭と体は、収穫祭さながらのドンチャン騒ぎです。

 

 ウェイターさんが、私を覗きこみました。はにかんでいる彼の頬にも、少し赤みが差しているように見えました。


「アンリ、と申します。あなたを落としに参りましたが、お許しいただけますか?」


「おおお落とす!?」


 声が裏返ってしまいました。


『落とす』ってあの、投げ技で落とすとか、奈落の底に突き落としてやるとかそういう危険な意味じゃありませんよね!?


「投げ技でも殺人予告でもありませんよ?」


 いやだ読心術!? 多才過ぎる! 


「拒否なさらないのであれば、お許しいただけたと判断いたします」


 そう言ったアンリ様が、私との距離を詰めました。


 そんなに近づいては駄目です。私、早朝訓練を終えたばかりで汗臭いかもしれないのに!


「ししばしお待ちを! わわわたしお風呂に入ってまいりますので――」


 屋敷に戻ろうと後ずさったところで、揺れた髪が一房、アンリ様にすくい取られました。

 アンリ様が、その一房にキスをします。

 そこから上目使いに送られた視線は、帝都でもたらされたどの体験よりも刺激的でした。


 嬉しさと戸惑いと恥ずかしさで、私の頭は爆発寸前。正直、気絶しそうです。

 正気に戻る為に『オーレイ!』を唱えてみたけれど、どもって「おおおおれぇい」になってしまった上に、全然全く効き目がありません。


 そんな私を見て、アンリ様が楽しそうに笑いました。


「逃がすつもりはありませんので、覚悟してくださいね。ラナ様」


~END~

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