第19話「帰途」

 水衣の決意が込められた目にアレクセイは一瞬たじろいだが、

 「ともかく、扱うなら拳銃までにしておけ、それ以上は危なすぎる、これは思想的な問題じゃなく君たちの身を案じて言っているんだ」

柔軟戦術じゅうなんせんじゅつをとろうとするが、

 「貴方に心配されるほど落ちぶれちゃいませんし、狙撃銃なら私達の膂力りょりょくでも扱えます」

そう言って水衣はがんとして引こうとしない。

そんな水衣に対してアレクセイはあきれるようにしつつも

 「分かった分かった説得は諦めよう、だが徴兵ちょうへいを引き合いに出すなら腕力、体幹、肺活量、兵士に必要な物はきたえるって事だな?」

とバーターを持ちかけるように言った。

水衣がうなずくと、続けて

 「女でもその3つが揃ってりゃ銃構えても危なくはない、実際ルーシにはそんな奴ゴロゴロいるしな」

 「だが銃を構えるのは一番最後だ、日々の鍛錬たんれんじゃ命に関わるような事もロクに無いが銃は命に関わるからな」

と正論ををぶつけた。

アレクセイは千秋の方を見て同意をうながす。

千秋は「私に言われましても」と言わんばかりの態度で目を逸らしたが、アレクセイの言う事は正鵠せいこくているし監督責任をとがめられるのも面倒だと思って

 「まぁ、それはそうかもしれません」と言葉をにごす。

その千秋の言葉にアレクセイは声色こわいろを変えて

 「じゃあ決まりだ、何事も背伸びする前に基礎を固めないとな」

と姉妹の方へと向き直る。

 「だが今日はしまいだ、日が変わっちまう」

アレクセイが放った言葉に水衣がふと時計へ目をやると、短針はとうに11を過ぎていた。

今ここを出たとしても、鳥居坂とりいざか本邸ほんていへ帰り着く頃には11時半を過ぎているだろう。

 「まぁ...確かに...」

水衣のつぶやきは落ち着いた声色こわいろであったが、その表情の端々からはわずかな悔悟かいごと不安が見て取れる。


 もともと日付が回る前に本邸へと戻る予定ではあったのだが、想定よりも遅くなってしまった。

当然のことだが銃を撃った後には分解清掃をしなければならない、火薬の燃えカスや銃腔じゅうこう腔線こうせんによって弾丸から削り取られた被甲ひこうを除去し、油をさなければ動作不良の原因になるからだ。

銃を撃つことすら初めての水衣と舞衣に分解清掃など出来るわけもなく、レクチャーを受けながらすることになる。

日付が回ったからといって何という話でもないが、堂々巡どうどうめぐりした思考は水衣の心には一抹いちまつの不安が芽生える。


 そんな不安そうな顔の水衣を見て、アレクセイが声をかけた。

 「ほら、もうガキは寝る時間だ」

その邪険に扱うような声のとがりに水衣は顔をしかめそうになったが

 「清掃くらいしといてやるから、さっさと帰って風呂入って寝ろ」

続けて言ったその言葉には一滴ひとしずくの優しさが混じっているようにも思えた。

 千秋がドアを開くと、水衣は無言のまま頭を下げてアレクセイの横を通り過ぎ、キョトンとしていた舞衣も後に続いた。

ドアが閉まりかけると、アレクセイは手袋をして早速作業に取り掛かる。

慣れた手つきで小銃を分解していき、銃腔じゅうこうに洗浄液を注入する。

千秋が扉を閉じながら礼を言うと、アレクセイは手元から目線を上げずに

 「別に気にすることじゃねぇよ、それよりもう危ない事させるなよ」

と毒づいた。

千秋が再び礼を言って扉を閉めると、アレクセイは歯から漏れるような溜息をつく。


一方の水衣も、肺がひっくり返るほど大きな溜息をついていた。

 「何よあのオヤジ、私は別に変なことしてないのに」

先に舞衣が見たような気炎は未だくすぶっていた。

内廊下うちろうかの床板を踏み鳴らし、ご機嫌斜めな水衣の手首を掴んだ舞衣は

 「まぁまぁ、別にあの人も悪気があって言ってる訳じゃ無いみたいだし」

と水衣に身体を引っ張られつつ、なだめる。

そんな舞衣のフォローに

 「子煩悩こぼんのうなのは良いけど、他人の子供にまで口出しするのは違うでしょ」

と更に毒を吐いた。

「でも正論です、私にはとてもあんな事は言えません」

一言だけ挟まれた千秋の言葉は、水衣を歯噛はがみさせるには十分だった。


内廊下と居間を繋ぐ引き戸を水衣がガラッ!と開くと、アデライードが肩をビクッと震わせる。

「ちょっと!もっと丁寧に開けてくれる!?」

ストレートティーの入ったカップを持ちながら、上擦うわずったような声を上げる。

その高音に、ドアを開けた水衣自身がビクッと体を跳ね上げ舞衣の後ろに隠れてしまった。

まだ何か言おうとしたアデライードの声をさえぎるようにして

 「こってりしぼられたか?あの手の事になると少し直情ちょくじょう的な所はあるが仲良くしてやってくれ」

とデイヴィッドは言い、水衣たちに座るように促す。

アデライードは怪訝けげんな顔をしながら吐きかけた言葉を咀嚼そしゃくするように、口をモゴモゴとさせている。

 「でも、案外優しい人みたいです」

舞衣がやんわりと断るようなジェスチャーをすると、井部が彼女たちが初めに拇印ぼいんを押した書類をかざしながら言った。

 「まぁ何はともあれ君たちも我々神人課の一員となった訳だから、宜しく頼むよ」

 「明日の放課後にでもまた来てくれれば官吏証や諸々も用意しておこう、それと黒い外套がいとうは持ってるか?必要であれば都合するが」

デイヴィッドがそう中言ちゅうげんする。

彼はコーヒーカップのふちを唇へと運んだ。

 「塹壕外套トレンチコートならあります、それと明日はみーちゃんの部活が...」

舞衣は自分の右腕に巻き付いてる水衣に目をやりながら答える。

その回答を聞いたデイヴィッドは、

 「ふむ、では部活動が終わった後でも構わない。

連絡先はクロダに送っておこう、そこの外線の番号だ、誰もいなければ個々の内線に繫がる」

と壁から張り出たディスプレイを指さして言う。

水衣は舞衣の右腕から振りほどかれ、今度は千秋の左腕に巻き付こうとして撥ね付けられている。

 「ありがとうございます、では都合がついたら連絡しますね」

舞衣は壁に寄りかかってぐでっとしている水衣の左手を引っ張るように、玄関の方へと歩を進めた。

 「Salut〜」

アデライードは掘りごたつに腰かけたまま、フランス語で別れの挨拶を言う。

イヴァンも無言ながら手を振っている。

「私が上まで送ろう」

井部が玄関へと続く扉を開けた。

外廊下に出るとデイヴィッドが

 「では宰相さいしょう閣下によろしく」と扉を抑えたまま言う。


 駐車場の方へ廊下を歩く一行、井部が先導しそれに姉妹と千秋が続く。

コツコツと靴音だけが響く静寂せいじゃくの中、舞衣がふと言葉を投げかける。

 「あ、あの、井部さんはなんでに就いたんですか?」

井部はいくらか歩を進めた後、ぽつりと呟く。

 「まぁ...泳げなかったからかもな」

 「……へ?」

井部の斜め上な返事に舞衣の口からほおけたような声が出た、その語気からも当惑とうわくの色が隠せない様子だ。

 「俺は横須賀のうまれで小さい時から兵学校に行くもんだと周りにも思われてたが、十六になってもどうにも泳ぎが上手く出来なくてな、それで陸士りくしの予科に進んだんだ」

 「あぁなるほど、それで」

どうやら合点がいった様子だ。

 「それで、今は泳げるようになったんですか?」

水衣が横から入って来、意地悪な質問をぶつける。

 「陸軍でも渡河とか訓練はあったが、泳ぐってのとは違うから子供の時の方が泳げたかもしれないな」

豪放磊落ごうほうらいらくとした声色を崩さないその男の姿に、水衣はつまらなそうに体を引っ込めた。

廊下の突き当りの扉を開いて左折し、駐車場へと歩を進める。


 駐車場の地下3階は専有フロアは神人課の専有フロアだが、デイヴィッドと井部の車が地上に停められている事を差し引いても車の数は夕方から明らかに減っていた。

 「課の他の方もこの駐車場を使ってるんですか?」

井部が少し歩いてエレベーターに官吏証を翳した刹那せつな、舞衣が尋ねる。

ピッ、っと短い機械音が挟まり

 「あぁ、そうだ、たしか総務と調査で合わせて5台のはずだ」

 「こんなに広いのに、なんだか勿体もったいないですね」

 「すぐそこのに営団えいだんの駅があるからな、正面入口の横に地下からの出口があっただろう」

 「えいだん…、って何です?」

 「何そりゃ帝都高速度交通営団ていとこうそくどこうつうえいだんだろう、地下鉄だ」

 「地下鉄…地下に鉄道が通ってるってやつですか?」

井部は絶句した、いくら深窓しんそう令嬢れいじょうといえど帝都の隅々まで緻密ちみつに張り巡らされた地下鉄を知らないとは。

しかし、彼女の立場を思えば警護上の問題もあるだろう、とつば一滴いってき飲み込む。


 そうしているうち、目の前のエレベーターがピンポン、とチャイムを鳴らす。

その扉が重々しく開き始めると

 「ほら、開いたぞ」

井部は自身よりやや後ろにいる姉妹へと呼びかける。

 エレベーターの中へと入ると、井部は再び操作盤に官吏証をかざした。

千秋と姉妹が中が入ったことを確認してボタンを押下おうげすると、ペールイエローの内装と同じ色をした扉がおもむろに閉まる。

 巻上機まきあげきうなりを上げ、やや高い動作音と共にゆっくりとカゴがのぼっていく。

水衣はふわあと欠伸あくびをして舞衣の方へと寄りかかる。

舞衣はその肩をしっかりと受け止め、エレベーターの内壁に身体をもたれた。

 千秋は左腕の袖口から腕時計を引き出して目をやる、一見平凡な女物の金無垢きんむく時計だが、ベゼルには栗鼠りすとカエデの葉の彫金ちょうきんが施されていた。

長針はまだ4を過ぎたばかりだが、姉妹はいつも日付をまたぐ前には床に就いているので眠くなっても仕方がない。

そのうえ今日は色々あったから疲れも溜まっているだろう、燕雀えんじゃくと知りながら千秋はそんな事を考える。

 チン、とベルが鳴りドアが開くと、ぬるいエレベーターの中に外から冷たい風が吹きこんだ。

うつらうつらとしていた水衣も、冷気が肌を震わせたとたんに目がえる。

昼間は南風が吹いて暖かかったばかりに、真冬を思い起こさせるような寒さがみたようだ。

 「…寒っ!!?」

思わず口にしてエレベーターを飛び出した水衣は、20mほど先に停められた黒のセダンを見つけると足早にそちらへと駆けていく。

「ちょっと待ってください…!」

とっさの事態に千秋は焦るように舞衣の手を引き、水衣の後を追う。

深夜の駐車場でドタバタとしている三人を見て口角が緩むのを感じつつも、井部もセダンの方へと足を向ける。


 千秋が水衣に追いついて車の鍵を開けると水衣は後部座席へと転がり込んだ。

すぐさま運転席と助手席の間にある液晶を操作して暖房を起動する。

運転席に千秋が乗り込み、水衣に安全ベルトを装着させる。

時を同じくして、舞衣も運転席の真後ろに座った。

運転席の右手の窓を開け、千秋は窓の外にいる井部に

 「井部様、わざわざお送り頂きありがとうございました」

簡潔かんけつながらも礼を述べる。

 「様はやめてくれ、これも仕事のうちだ」

井部はこそばゆいような表情で答える。

 「では井部さん、お送り頂きありがとうございました」

 「ああ、遅いから気をつけてな」

千秋はうなずき、後部座席の方へ足を向けた井部を見て窓を少し開ける。

 「おじょうたちも元気でな、まぁどうせすぐ会うことにはなるだろうが」

 「はい、ありがとうございます」

井部の呼びかけに舞衣はそう答えるが、水衣は眠気のあまり手だけをぶらりと振る。

井部が車から離れる間、千秋は後部座席を顧みて、舞衣に安全ベルトを着けた。

車から井部が3mほど離れたところでモーターのスイッチを入れ、アクセルを踏む。


 車がゆっくりと進んでいく中で舞衣は右手側の扉へと身を預け、水衣の方を横目で見る。

温かい車内へと戻って眠気がぶり返してきたのか、目は閉じかけていた。

 その顔を見ながら舞衣は、せんない事を考える。

双子とはいえ個人差はあり、水衣はやりさえすれば何でも上手く出来るのに対して自分はそうではない、さっき銃を触った時も自分はまともに撃てもしなかったのに…。

身体的特徴に焦点を当てればその違いは言うまでもない。

などと劣等感をあおられる度に水衣が時折見せる幼さ、それによって自尊心を保てていられるのだと、とんでもない事まで思ってしまう。


 駐車場を出たセダンは右折して海軍省と外務省の間、営団地下鉄霞ヶ関かすみがせき駅の真上である桜田通を南南西へ進路をとる。

こうして、温かい空気とあわいベルガモットの香りに包まれて水衣と舞衣は帰路にいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

AMADEUS -アマデウス- イズミシュウヤ @Izumi_Syuya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ