第18話「改革者」
耳当てをしてもなお、耳をつんざかんとする重い銃声。
五感を研ぎ澄ませていたことも相俟って、舞衣は引き金にかけたままの人差し指を不意に引いてしまった。
身体も動いていたから銃身の軸はぶれ、初弾は標的の遥か下、コンクリートの床を跳ねる。
7.7mm弾の装薬量による一発3,000Jのエネルギーと分速600発の発射速度が生み出す反動は、消炎制退器があれどなお舞衣の細腕では到底御しえないものであった。
舞衣は前方握把を下へと下げて必死に反動を制御しようとするも、それも虚しく弾丸は人型標的の頭上をかすめる。
排出された空薬莢は区画の仕切りに跳ね返されてから机の上へと転がる。
2秒と経たずして、小銃は弾丸をことごとく吐き出した。
耳当ての遮音効果を加味しても100dbを超える銃声に耳鳴りがする。
内燃車の排気のような火薬の匂いは、真鍮の匂いと混じり合って辺りに立ち籠めている。
机に散らばった20個の空薬莢に目をやりながら、千秋は舞衣の後ろから小銃へと右手を伸ばす。
舞衣が項に感触を得た刹那、千秋は小銃の頬当て部分をひょいと持ち上げて取り上げてしまった。
「あーちょっとー」
舞衣がそう言いかけたのに被せるかのように千秋は語気を強める。
「ほら、やっぱり自分で反動の制御も出来ないじゃないですか、危なっかしいったらありませんよ」
実際、舞衣の膂力でもって反動を制御することは簡単な事では無い。
ましてや実践の段階には到底持って行けそうもなかった。
「弾をばら撒くのも楽しいかもしれないですが、まずは筋力をつけることです」
そのアイロニックな言葉に舞衣は気恥ずかしくなってやや紅潮させた頬を膨らませる。
千秋の正論に何も言い返す事ができない。
「やはり実用の面では拳銃でしょう、これなら筋力が無くとも扱えますから」
そういうと千秋は8mm弾を用いた七三〇式警察拳銃を手に取る。
同じ頃、居間にいたデイヴィッド達は狙撃銃と小銃の発射音を聞いた。
ここには最高等級の遮音性能をもつ防音設備が備わっているが、消炎制退器と7.7mm弾薬の装薬量もあって増大した170〜180dbの銃声を完全には遮断できない。
射撃場の扉と、外廊下に出る扉の2枚重ねで何とか遮音できている現状だ。
従って射撃場の扉で100db減衰させ、内廊下を通る距離減衰と居間と廊下を繋ぐ扉の遮音性能を考慮しても、居間では70dbほどの大きさの音になる。
その音にデイヴィッドは口に含んだコーヒーを吹き出しそうになる。
アレクセイが咄嗟に立ち上がり内廊下へと出ようとするが、なんとかコーヒーを嚥下したデイヴィッドがそれを制止する。
「まぁまぁ、驚きはしたが止める程の事はない」
「今のは7.7mm弾の音だ、装薬量から言えば拳銃なんかより遥かに危険だぞ」
「それでも扱えるんだったら戦力が一人分増えるだろ」
「じゃあ言うがデイヴィッド、お前は彼女たちに何かあったら責任を被る覚悟があるということだな?」
「大丈夫さ、あのメイドだって自分が使えない得物を使わせる事は無いだろうし」
「確かにガタイは良いがあの姉妹とは2、3才くらいしか離れてないように見える、正直言えば不安だ」
デイヴィッドはこの剣吞な雰囲気の中にあっても朗らかな声をしている。
アデライードとイヴァンは、明らかな対決姿勢を露わにするアレクセイと正反対なデイヴィッドの様子に思わず目配せをした。
アレクセイとデイヴィッドの関係性は決して悪いものではなかったはずだが、アレクセイの態度からは今までにない気概が感じられた。
デイヴィットとてその事に気が付かない筈は無いのだが、いつもと変わらず悠然とした態度を示している。
場の空気はどんどん冷え込んでいき、今まさにも銃口を向けあってもおかしくない程になっている。
「ともかく、俺が連れ戻してくる」
場の空気感を察したアレクセイが話を切り上げようと腰を上げた。
「まぁまぁ、彼女たちがやりたくてやってるなら部外者の俺達が口を出す権利はないだろう」
デイヴィットはアレクセイの逃走を阻む猟犬のように追撃をかける。
「そういう事じゃない、ともかくだ」
掘りごたつから立ち上がり、アレクセイは廊下と居間をつなぐ扉を開けた。
「身内にだけ甘いのは独善と言わざると得ないぞ」
逃げる相手を挑発するかのようにデイヴィットがたたみかける。
そんな言葉を背中に受けながらも、ピシャリと扉を閉めた。
「独善でも構わん、これが我々大人の仕事だ」
アレクセイはそう心の中で呟きながら射撃場へ足を早める。
射撃場の扉の前へと着くとアレクセイは、ズボンのポケットから耳栓を一対取り出して装着する。
扉が開け放たれると同時に、水衣は狙撃銃から二射目を放った。
放たれた銃弾が人形標的の頭を掠める。
二脚に依託している事と単射なのも相俟って、反動はよく制御できている。
アレクセイは耳栓越しにもよく聞こえるその轟音に一瞬身体を震わせると、耳栓を外して姉妹と千秋に声を掛ける。
「おい、拳銃ならまだしも小銃や狙撃銃なんて危ないじゃないか」
舞衣と千秋は、耳当ての機能によって扉が開く音も遮音されていたから突然の声に驚いてアレクセイの方へと振り返る。
舞衣が少し狼狽していると、千秋が
「全くです、反動もろくに制御できないのに」と同調した。
驚きはしたものの、水衣はアレクセイを一瞥したのみで再び照準器を覗き込んでいる。
アレクセイは水衣の方へと歩み寄り、狙撃銃の銃身を掴んでひょいと持ち上げると用心金にかけた水衣の手は離れる。
水衣は耳当てを外して
「ちょっと、なんで取り上げるんですか、あたしはちゃんと制御できてたのに」
と銃身の下の二脚を指さして抗議する。
「ふつう女は男より腕力も弱ければ体幹も弱い、元より大型銃を扱うべきではないんだ」
アレクセイは続けて
「男女同権主義者が何と言おうと勝手だが、結局のところ戦争に行くのは男で、それは女子供を守るためだ、その当の本人が銃をとって何とする」
「それは生物学的な役割分業の話ですか?」
「生物学的にも、道義的にもだ」
「しかし世界には男女ともに兵役を課す国もあります、例え
「とんだ
「あんなオンボロは引退させてやりますよ、絶対に」
水衣は目を見開き、アレクセイをまっすぐ見つめながら言った。
舞衣はずっと二人の舌戦に入り込めず横から眺めていたが、何だかバツが悪くなってしまい恥じ入る。
父は娘たちの行動には寛容で、多くの物を与えてくれたし、大抵は何をするにも許しをくれた。
それでも自分は井上の家に女として生まれた限りは父の決めたそれなりの相手と結婚するものだと思っていた。
だが、そう考える以上は家父長制という巨大な絡繰の歯車に過ぎないのだと気づいたのである。
目の前にいるこの姉は自分とは対照的に、家父長制を解体してみせると断言した。
興奮していたとは言え、それは舞衣の知っているような水衣の姿とは全く違ったものであった。
自分の前では演技しているのか、それとも自分の前では理論武装せずに素顔を見せてくれているのか。
どちらにせよ水衣ならば自分を新しい地平へと導いてくれるような、そんな気さえした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます