第10話 大団円

 西村は三十歳になっていた。下北とは、大学の二年生くらいまでは交流もあったが、今では交流もなくなり、どこの会社に就職したのかも、定かではなかった。

 西村は就職とともに、家を出て、会社の寮に入り、今では寮も出て、マンションでの一人暮らしを始めた。

 高校時代から猛勉強したおかげで、優秀な成績を収めることができ、大学も国立に進むことで、親にさほどの負担をかけることもなく、卒業することができた。

 就職もそれなりの会社に入社することができ、順風満帆の生活だと言ってもいいだろう。中学時代のあの事件からすでに十五年が経っていて、

「昔であれば、これだけの期間、犯人が捕まらなければ、時効ということになったんだろうな」

 と思っていた。

 西村にとって、あの事件があってから、二十歳くらいまでは、結構毎年意識しながら生活していたため、なかなか時間が進んでくれない気がしていたが、二十歳を過ぎてから、急に毎日があっという間に過ぎていくような気がして、気が付いたら、三十歳になっていた。

 ただ、この十年間が同じリズムであっという間だったというわけでもない。大学を卒業するまでの二年間と、そこから先の八年間ではまた違っていたし、その八年間の中でも最初に二年くらいは、仕事を覚えたり、社会人としての自覚を得るということの難しさを身に染みて感じていたので、その分、少し時間を要した気がした。何しろ大学卒業までは、学生としては、最高年齢となるのだが、社会人として就職すれば、誰よりも新人なのである。

 いくら成績優秀で入社できたとしても、スタートラインに立ってしまえば、皆同じだった。そのことが大学に入学した時にも感じていたことだが、それだけレベルが均衡した連中が入社してきている一流会社ということであった。

 一流会社への入社は、自分にとっての悲願だった。父親を見返すという意味でもそうだったし、会社の寮に入ることで、やっと家から出られると感じたからだ。

 ここまで育ててくれた父親には、それなりに感謝していた。だが、母親と離婚してから腑抜けのようになってしまった父親を見続けるのは正直辛く、かと言って見捨てるわけにはいかないのも、苦しいところであった。

 それでも、入社してから三年目くらいから、一人前の社員として仕事も任されるようになると、その意気に感じて、仕事も一生懸命にしていたおかげで、三十歳まであっという間に過ぎたと感じたのだろう。

 そんな三十歳になった西村を、一人の男性が訪ねてきたのは、西村の誕生日から、そんなに時間が経っていない時だった。その人というのは、母親が再婚した昔の担任だったのだ。

「まさか今頃?」

 という意識と、

「母親ではなく、どうして先生なんだ?」

 という思いが交錯して、少し会うのを戸惑ったほどだった。

 しかし、何かを言いたくてわざわざ来たのだろうから、それを無碍に断るというのもおかしなもので、もしここで断ってしまうと、二度と先生と会うこともないような気がしてきて、ここで会わなければ、一生後悔の念に苛まれるような気がしてならなかったのだった。

「お久しぶりです」

 と言って頭を下げた先生は、

 年齢としては、四十歳を少し過ぎたくらいのはずなのに、見た目はもう五十歳前くらいの雰囲気があった。

 それは貫禄がついたわけではなく、逆に落ちぶれた状態で年を重ねた感じであった。

 髪の毛のほとんどは真っ白になっているようで、とても、四十歳過ぎには見えなかった。

――先生も苦労しているんだろうな――

 という思いが西村の頭をかすめた。

「ところで、今日は僕に何かご用なんですか?」

 と、かつての先生に対して失礼な態度だと思ったが、立場的にはそれくらいの態度を取ってもいいくらいであった。

「実は、今から十五年前の事件についていまさらなんだけど、すべてを知りたいと思ってね。それで君を訪ねてきたんだ」

「僕をですか?」

「そうなんだ、あの事件に関しては、私が自首したことで、今は完全に解決済みということになっているが、完全に解決したわけではないだろう? 疑問点がいくつかあったはずだ」

「ええ、そうですね。あの外人が最初にどうしてトイレで頭を殴られていたか、そして、死体が見つかった場所まで誰が運んだかなどですよね」

「ああ、そうなんだ。それはきっと私が知っている事実と、君が知っている事実を重ね合わせれば、パズルは完成できると思っているんだ。事件はすでに解決済みなので、いまさら何を言っても覆ることはないので、今なら話ができるんじゃないかと思ってね」

 先生の言い分は分かるようで、いまいち分からなかった。

「先生は、今までそれをしなかったのは、自分の中の禊のようなものを済ませるまで、自分の知っていることを表に出さないようにしようと思っていたからですか?」

「それもある。ただ、それがすべてだというわけではない。ただ、ここからの人生、お互いに一度過去を知っておく必要があると思ってね。そうじゃないと、ここから先が進めないような気がするんだ」

 と、先生が言った。

 しかし、それはあくまでも先生の勝手な言い分で、西村は絶対にそれにしたがわなければいけないわけではない。難しいところであった。

――先生は何が言いたいんだ?

 とおもっていると、先生の告白タイムが始まった。

「正直にいうと、あの事件の本当の殺人犯は私ではないんだ」

「えっ?」

 これはあまりにも衝撃的な事実だった。

「君は、もう大人になったので、話してもいいと思ったのだが、実は本当の犯人は、君のお父さんだったんだよ」

 と、またしても、耳鳴りがしてくるような告白だった。

 しかし、最初にいった、

「犯人は自分ではない」

 という言葉の方が衝撃だった。

 その理由は、十五年前から思っていたことを、直接聞かされたからなのかも知れない。

「でも、どうしてお父さんが?」

「君のお母さんと私の不倫を知っていたんだ。そして知っていて、その現場をあの外人が撮影したことを知った。もし相手が日本人だったら、説得しようと思ったのだろうが、あの人は頭が固い人だったので、そこまで考えるだけの力がなかったんだ。それで強硬手段に出たというわけさ。僕と君のお母さんも、写真を撮られたことは分かっていたけど、実はお父さんに不倫がバレてしまったことも分かっていた。だから、写真に収められてもそこまで気にしなかったんだ。でも、君のお父さんはそうではなかった。世間体を気にしてなのか、自分がまわりから嘲笑されるのを嫌ったのか、相当気になったようだ。不倫していたことに関して君のお父さんが我々を責めたことはなかった。きっと、自分で殺しをしてしまったことを悔やんだからだろうね」

「でも、死体はラブホテルの近くにあったんですよ」

「あれは、僕が抱えるようにして彼を運んだんだよ。おんぶしてしまえば、相手は少年なので、怪しまれない。僕を知っている人がいても、教師だと分かっているので、生徒の誰かだと思えば、誰も不思議に思わない。それを利用して犯行現場をごまかした」

「どうしてそんなことをしたんですか?」

「どうしてだろうね? 君のお母さんが望んだんだ。夫の弱みを握ったとでも思ったのか、それとも世間体を気にしたのか分からないが、その時は僕もお母さんの意見に賛成し、死体を動かした」

「僕が死体を発見したのを、ビックリしなかったんですか?」

「いや、それも実は作戦だったんだ。君に死体を発見させれば、まさか第一発見者の関係者が犯人だなんて思わないと思ったんだ。かなりいい加減な発想だけど、確かにそうだよね。君に死体を発見させれば、ある意味、ごまかせたわけだし」

「じゃあ、僕はその前に先生と母親がホテルから出てくるのを目撃したんだけど?」

「あれも、もちろん計算ずくだよ。君に見せておくことで先入観を与える。第一発見者としていきなり死体を発見する前に一つのクッションになればいいと思ってね」

「じゃあ、僕の友達があの外人の頭に怪我をさせたというのは知っていたの?」

「怪我をしているのは分かったけど、どうして怪我をしているのかまでは分からなかった。まさか下北君が外人を怒らせていたとは思ってもみなかったよ。たぶん、あの外人は相当な被害妄想だったんだろうね。言葉も通じない日本に来ること自体間違っていたんだ。日本にさえ来なければ、死なずに済んだものを……」

 と言って、少し下を向いてしまった。

「ところで、先生はどうして自首なんかしたんですか?」

「すべてを丸く収めるためにはこれが一番いいのではないかと思ったんだ。もし、君の父親が逮捕されるようなことになるのと、自分が自首していくのでは、僕の方が、まだ被害は少ないしね。君のお父さんが捕まれば、僕たちも無事には済まないし、逆に僕はあの外人に怪我をさせたのは、君だと思っていたんだ。君をあのトイレの近くで見たような気がしたからね。まさかそれが下北君だとは思わなかったけど、それはきっと自分たちの不倫に対して申し訳ないという気持ちがあったら、下北君を君だと誤認したのかも知れない。そういう意味では君を庇う気持ちもあったんだ」

 それを聞くと、いたたまれない気分にさせられた。

「じゃあ、どうして今になってそのことを僕に?」

「あの事件を捜査していた辰巳刑事。今では警部になっているんだけど、彼が僕に言ったんだよ。十五年経ったら、君に正直に話すといいってね。何も自分一人で罪をかぶることはない。十五年経てば時効だって言ったんだよ。どうやら辰巳刑事は、僕が自首しても。納得いかずに自分なりに捜査を続けて、ある程度まで真相に辿り着いたようなんだ。だから、僕のところを訪ねてきてくれて、そういう風に言ってくれたんだよ」

 と言って先生は頭を下げた。

 なるほど、これで父が離婚に簡単に応じ、しかも慰謝料なしでよく納得できたと思っていたが、それも当然のことであった。

 先生の話を訊いていると、かなり母親は父親に対して嫌悪を感じていたようだ。息子の自分に対してもつらく当たったことを後悔していたという。離婚の際に、親権を取れなかったのは痛かったが、本当のことを言ってしまうと、先生のせっかくの行為が無になってしまう。

 せっかくの執行猶予もついて、情状酌量もされたのだから、いまさら蒸し返すこともないと思ったのだろう。それが、先生と母親の本心だったのだ。

 いまさらながらの事実を突くつけられても、今では父も母も恨んではいない。実際の犯人が父だと言われても、ビックリはしたが、前述のように、先生が犯人ではないという言葉の方が驚愕だった。

 ただ、西村にとっての後悔は、

――なぜ、あの時、納得していなかったはずなのに、すぐに真相解明を諦めてしまったのだろう?

 ということだった。

 少なくとも先生の掌の上で転がされていたという事実であったことは間違いない。そのことを無意識に分かっていたからではないだろうか。

 十五年という歳月が自分にとっていかなるものだったのか、いまさらながらに感じさせられた西村だった……。


                  (  完  )

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十五年目の真実 森本 晃次 @kakku

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