第9話 急転直下

 事件は暗礁に乗り上げたかのように見えていたが、実際には、事件は急転直下に向かっていたということを誰も気づかなかった。下手をすれば、真犯人にも分かっていなかったのかも知れないが、警察側にとっては渡りに船であったことは間違いない。

 何ら情報を得ることもなく、事件は推移していた。何しろ被害者は外国からやってきて間がない人間だっただけに、動機などありえるはずがないというのが、その理屈だった。

 警察内部でも。

「被害者が何かを撮影し、その撮影写真を奪うため、殺害してデジカメという証拠物を奪った」

 という発想は思いつくのだが、肝心のデジカメもない。さらにこのあたりに防犯カメラもあるはずがない。目撃者の話しか聴けないが、目撃者と言っても、死んでいるところを発見した、しかも中学生の少年ではないか。

 その西村少年が、自分なりにいろいろな事件の概要を模索しているなど知る由もない警察側は、西村少年に、

「第一発見者として」

 事情を聴取することはやっていたが、実際の意見を聞くようなことはしない。だが、その中で辰巳刑事だけが、彼に捜査内容を結構話していたのは、彼に何かを感じたからであろうか?

 ただの第一発見者というだけではなく、何かを隠しているというようなことであったり、重要なことを握っているのに、それを重要だとは思わずに、話をしていなかったりと、どうも西村に対して、そして西村が警察に対しても煮え切らないような感覚になっていることをいかに考えているというのか、それを探っているようだった。

 西村少年が気になって仕方のなかった辰巳刑事は、清水刑事にだけは、気になっていることを話し、

「今は他に大きな事件がないからいいが、もし持ち上がった時は、そっちは中止して、戻ってきてくれ」

 という条件を出し。捜査を続行することになった。

 まずは、被害者の交友関係であるが、まったくないようだった。ハッキリ言って、角館という男以外に、他に知り合いは日本人にはいない。ただ、彼がトリテツと言われていることで、今は時間があるのでカメラを片手に電車を撮りまくっているというだけのことだった。

 来週からは範囲を広げて、他の県にも進出するつもりだったようだが、今はまだ地理も分かっていないだけに、近場だけで満足していた。

 ただ、一つ気になる情報があった。

 彼がトリテツであるということは、駅で毎日のように電車を撮っているので、駅の人間なら皆分かっていたようだ。

 その中の一人が、どうやら、下北とのやり取りを見ていたようで、

「ええ、一人の中学生くらいですかね。学校に向かっているところ、何か言い争いにでもなったのか、あの外人が罵声を浴びせていたんだけど、中学生の方がおじけづいたのか、急に走って逃げだしたんですよ。すると、後からその外人が血相を変えておいかけたんですよね。少年は必死になって逃げていました」

「逃げきれたんだろうか?」

「ホームの階段から姿を消すまでは結構距離があったと思うので、うまくやれば逃げれたと思います」

「一体、被害者は何にそんなに怒ったんだろう?」

「よくは分からないけど、どうも中学生がボソッと何かを呟いたみたいなんですね。それで怒り狂ったわけなんだけど、それにしても、異常ですよ。まったく通じない自分の国の言葉を連発していたので、きっと日本語はまったく喋れないんだって思いました」

 駅員の想像は当たっていた。

「それにしても、駅で初対面の人間に罵声を浴びせるというのは変な気がするが、二人は面識でもあったのかな?」

「それはないと思います。少年は苛立ちながら、まわりを見て助けを求めている感じでしたが、誰も関わりません。それだけ酷かったんですよ。もし面識があったら、大衆の面前であそこまではないと思うんですがね」

 と駅員は言った。

「その時、外人はカメラを持ったまま追いかけたのかい?」

「ええ、カバンごと、肩にかけて、一目散で走っていきました。カバンがあるのも、少年が逃げ切れたと思った証拠ですね」

 と駅員は答えた。

「それからどこへ行ったか分かりますか?」

 と訊かれて、

「いやあ、私も業務がありますから、このホームを離れるわけにはいきません。後は少年が逃げ切ってくれたことを祈るだけですね」

 と駅員は答えた。

 辰巳刑事は、防犯カメラをチェックしていてが、どうにも人が多くて、しかも薄暗かったこともあってか、ハッキリと分かる映像はどこにもなかった。もちろん、多目的トイレの前もチェックしたが、一度見ただけでは分からない。

「駅の外に逃げ出したんですかね?」

「その可能性が強いね。もしそうだとすると、足取りを追うのは難しいかも?」

 という話だった。

 防犯カメラの映像をスルーしたのは痛かった。これで、あのトイレに二人が入ったということは、きっと誰にも分からないに違いない。

 ただ、一人だけ気付いている人がいたのだが、その人はややこしいことに首を突っ込みたくないと思っている掃除のおばさんで、その人はさすがにトイレ掃除の時、少しであったが、血が床に滲んでいるのが分かった。

 しかし、それほど大量の血ではなかったので、あまり気にしていなかった。まさか、トイレで格闘があったということも、ホームから逃げてきた人を警察が追っているということも知らないのだから無理もない。知っていれば、名乗り出たかも知れなかった。

 このことは誰にとってよかったと言えるのだろうか?

 例の外人が殺されてしまったので、やつにとってよかったかどうか分からない。ひょっとするとその時に分かっていれば、死なずに済んだかも知れないのだ。

 では、下北であろうか?

 もし、下北は暴行されたことが分かると、下北が一番の犯人候補であろうが、一人で果たして死体を運べるというのか、なにしろこちらは中学生でまだ子供である。大の大人を、しかも死体になった相手を五体満足のまま、誰にも気づかれずに運べるだろうか?

 下北が疑われれば、友達の西村も疑われることになる?

 しかし、まったく違う場所でその死体が見つかり。しかもその第一発見者がこの西村だというのは、あまりにも都合がよすぎるだろう。

 逆に疑ってかかってみたくなるというものだ。

 二人の刑事は、どうも駅では新たな情報が得られるわけもないということで、被害者の交友関係を洗うことにした。

 これは逆に完全な徒労だった。何しろ日本に来て間もない間に、どんなに友達ができるはずもない。せめて、トリテツで知り合ったくらいの人であろうが、その連中も言葉が通じるわけでもないので、片言で挨拶をするくらいだった。

 そんな間柄でしかない人間を、果たして交友関係と言えるだろうか。

 ただ、その中で一人。気になることを言っていた人がいた。

「あいつは、電車の写真もさることながら、電車の中に乗っている人の雰囲気や表情がきになったり、駅そのものが気になったりしていたんだ。だから、結構あいつの写真には、人間模様が隠れていると言われて、一部のマニアから、別の意味で評価を受けていたんですよ」

 と言っていた。

「ということは、何か撮ってはいけないものを撮ってしまったのかな?」

「そうかも知れませんよ。日本人とあいつらでは、文化が違うから、あいつらには許されることでも日本だったら許されなかったり、逆に日本だったら許されるのに、あいつらの世界では許されないことだったりがあるんじゃないかな? しかもまだあいつは日本に来てそんなに経っていないから、文化も分かっていない。俺なんかが思うに、外人が日本に来るんだったら、日本の文化をもっと勉強してから来いってんだよね。そうじゃないと、無関係の人が巻き込まれることになってしまうかも知れないじゃないですか?」

 と、その人は言った。

 だが、辰巳刑事はその時に訊いた今の言葉の中に、この事件の真相に近づく重要なカギが含まれていたことを見逃してしまった。

「一生の不覚」

 と言ってもいいかも知れないが、この事件では結構そういうターニングポイントがいくつもあるのに、それを見逃してしまうことが結構あったようだ。

 この時の辰巳刑事もしかり、一体誰が、この事件を解決しようというのか。

 ただ、彼がいうように、日本に来る連中が日本を知らずにやってくること自体間違っている。これは日本人が海外に留学する時にも言えることであるが、ちょっとした行き違いが大きな事件に結び付く。そういえば、何年か前にアメリカでハロウィンの時に、銃で撃たれたという話もあったくらいで、外国に行くにはそれくらいの覚悟が必要だと言えるのではないだろうか。

 そんな話をしているうちに、事件は急転直下を迎えることになった。辰巳刑事が駅で被害者の話を訊いていた時、まだ、表には出てきていないはずの先生が、外人殺しで自首してきたのである。

 先生は、正当防衛を主張していた。あの男が自分のプライバシーを侵害するような不倫現場を撮影したということで、殺害に至ったという。その不倫相手が西村の母親であることは分かり切ったことだった。

 そのことも先生は正直に告白した。

「ええ、殺害したのは、ちょうど、多目的トイレで男が苦しんでいるのを見たからです。なぜやつがトイレで苦しんでいたのか分からなかったが、頭から血を流していたので、元々誰かに殴られたか何かをしたんだと思いました。今ならこの男から、証拠になるデジカメを奪えるんじゃないかって思ったんです。幸いにもやつの手荷物があり、そこからデジカメが覗いていたので、トイレの中に入って、こっそりとデジカメを抜こうとしたんですが、抵抗されて、それで首を絞めてしまいました」

 と先生は供述した。

「どうやって首を絞めたんだ?」

「マフラーで絞めました。やつは思ったよりも力が強く、傷ついていたということもあって、こちらが誰なのか分からない様子でした。自分がデジカメを取ろうとしたのを怪しいと思ったのか、猛烈に反発してきます。本当に私の首を絞めてきたんです。こっちも必死でした。殺さなければ自分が殺されると思ったのかも知れません。何とかやつの首を絞めて絶命したので、自分が助かったことが分かると、急いでデジカメを持って逃げました。あいつがデジカメで撮影なんかしなければ、こんなことにはならなかったんだ」

 と言って、先生は悔しがっていたという。

 取り調べは、続いたが、先生はトイレで殺したということは白状したが、なぜ死体がラブホテルの近くで発見されたのかは知らないという。誰か自分以外の人が運んだんだろうというが、その部分の謎が残った。

 謎は残ったが、証拠としては、先生が被害者のデジカメを所持していたということ、そして多目的トイレの前にある防犯カメラで、死亡推定時刻近くに、出没していたということが分かり、先生を立件できるだけの証拠は揃っていた。

 しかも、自首してきたということと、周囲の状況から考えても、先生のいう、

「正当防衛」

 に近い状態だったことが、その時間が、朝のラッシュ時だったにも関わらず、他の人に見つかることもなく犯行が行えたということで、裏付けられるという内容の元に、先生は起訴された。

 さすがに、正当防衛までは認められなかったが、十分に情状酌量の余地があるとして、執行猶予付きの判決で、刑務所に入ることはなかった。

 先生としての仕事ができなくなったのは仕方がないとして、先生はこの街を去ったが、西村家では、妻の不倫が分かり、離婚問題に発展した。

 だが、離婚の際も、父親の封建的な態度に対しての妻の不倫ということが認められ、慰謝料はなしで、西村の親権は父親に移った。母親は養育費だけは払うことに結審したが、さすがに今回のことで父親も懲りたようで、次第に大人しくなってきた。

 西村も成長してきて、父親としても、成長した息子にそれほどひどい仕打ちができるわけでもなく、それまでの封建的な態度は鳴りを潜めていた。

 母親の方は、しばらくして先生と再婚したようだった。

 辛い時、苦しい時に一緒にいてくれた先生と別れることはできなかったようで、貧しいながらも幸せであったということだ。

 数年して、先生も禊を終えた形で教職に戻っていたが、どうしても前科が付きまとうことで、昔のような担任というわけにはいかなかったが、教師に戻れたのはよかったのだろう。

 だが、結局この事件は謎が残ってしまった。犯人が自首してきたことで、どうして被害者の死体が、他で発見されたのかということ、そして表に出てきていないことで、被害者を最初に殴ったのは、誰だったのかということが、結局表には出てこなかった。

 ただ、犯人が自首してきて、その裏付け捜査に矛盾はなかったことで、一件落着のような形をとってしまったが、本当にそれでよかったのだろうか?

 他の事件関係者の人たちがどう考えていたのか分からなかったが、少なくとも西村には納得のいく結論でなかったことで、不完全燃焼に終わったのは間違いなかった。

 どうして西村に、ここまで違和感が残ってしまったのかというと、事件の裏に回ってしまった、被害者を殴ったのが、下北であり、下北自身が事件の蚊帳の外に置かれたということ、そして、死体を発見した自分が、その直前にラブホテルから出てきた母親と先生を見かけたということ。それぞれが本当に偶然だったのか、今となっては、分からないことが多すぎるが、どう解釈すればいいのか、考えさせられてしまう。

 そんな状態で西村は父親と一緒に過ごさなければいけなくなったことで、自分が父親を恐れているのと同じで、父親も自分を恐れているのが分かった。

 今までは子供だったこともあって、父親の存在が偉大で、逆らうことのできないもの、しかも母親もそんな父親に恐れを抱いていると思うと、味方がいるわけでもないことほど恐ろしいことはないと感じた。

 母親が先生に靡いてしまった理由も分からなくもない。

 しかし、西村が成長して、大人になってくると、その感情も少し変わってきた。

――先生は、ある意味、我が家の被害者だったのではないだろうか?

 という思いが頭にずっとあった。

 家族に見切りをつけた母親が慕ったのが先生であれば、先生が母親を好きだったというよりも、

「好きになられたので、好きになってしまった」

 というそんな状態だったとも考えられるからである。

――もし、母親が他の男性に靡いていたら、結果はまったく違っていたかも知れない――

 とも考えたが、

――いや、母親は、先生のようなタイプの人にしか靡かなかったような気がする。だから先生だったんだ――

 という思いである。

 中学時代にラブホテルから出てきた二人を見た時、今から思えばイチャイチャしていたという意識はあるが、お互いに好き合っていたという意識はなかった。だから、そんな二人を見て、嫌悪を感じたのだし、上っ面の浮気にしか見えなかったので、それを見てしまったことを後悔したような気がした。

――俺は子供心に、分かっていたのかも知れないな――

 と感じていた。

 しかし、両親が離婚したことに関しては、悪いことだとは思わない。二人の間は完全に冷めきっていて、このタイミングでなくても、どこかで別れていたのではないかと思うと、納得できる。

 それにしても、父親が人が変わったように大人しくなったこと、離婚に対してもあっさりと父親が認めたこと。そして、れっきとした不倫という事実があるにも関わらず、離婚の際に慰謝料が発生しなかったことは不思議だった。

 事件で分からないことがいくつかあったが、それと同じで、離婚に関しても分からないことが多かった。

 離婚というと、二人がそれで納得すれば成立するものなので、そこに基本的には法律も介在できない。どんな内容であれ、合意の上であれば、法律に抵触しない限り、認められるであろう。円満離婚とはいかなかったが、揉めることはなかった。そう考えると、

「これはこれで最良の選択だったんだろうな」

 と思わずにはいられなかった。

 事件は、数々の謎を残しながらも、これで一応の解決を見た。ただ、事件関係者の中にいくつかの溝を残したことだけは事実だったに違いない。

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