母の思い出〜あの日のもやし炒め〜

秋雨千尋

孝行したい時に親は無し

 大手の広告代理店に勤めて三十年。

 若い頃は様々なキャッチコピーを生み出しては何度も賞を貰ったものだが、今や鳴かず飛ばず。会議にも呼ばれなくなった。


「もやし一袋を千円で売れるコピーを考えろ、か。いよいよクビって事だな」


 駄菓子レベルのもやしを紙の値段にしろなど、錬金術かという話だ。広告は商品の良さがあってこそ輝く。パッケージが新しくなっただけで中身は変わらないもやしでは話にならない。


「課長、頑張ってくださいっす。俺、応援してるっす」


 若手社員の若川に励まされ、苦笑いをしながら残業を始める。文句を言っても現実は変わらない。せめて悪あがきをしよう。大ヒットとまで行かずとも、首の皮が繋がるコピーを考えるんだ。


 深夜二時。

 カラフルなエナジードリンクが山積みになって、ライトアップされた観覧車に見える。コピーは何一つ思いつかない。

 観覧車か、ガキの頃に行きたかったな。

 女手一つで育ててくれた母は、朝早く出かけて夕方に一度戻って、一緒に飯食って、仮眠して、また出かけて行った。

 母のもやし炒めが好きだった。塩胡椒で味付けしただけなのに嘘みたいに美味かったんだ。


「いいかい、生きてりゃモヤモヤする事もあるけど、もやしを食べてシャキッとするんだよ」


 とんだ駄洒落だ。

 けど、そう言って笑う母が好きだった。


「モヤモヤを、シャキッと……」


 忙しい母を少しでも楽しませようと、家計簿の端っこにパラパラ漫画を描いていたっけな。久しぶりにやってみるか。パラパラ漫画風のCMに、母の言葉を乗せてみよう。

 もやしに思い入れのある奴に刺さるに違いない。



 俺のために無理をして命を縮めてしまった母へ、ありったけの感謝を込めて。



 気がつくと朝だった。

 机に突っ伏して寝ていたらしい。背中にはブランケットが掛けられている。若手社員の若川が斜め前の席ではしゃいでいるのが見えた。


「あ、課長。おはようございますっす。見てくださいよ。万バズっす!」


「まんばず?」


「俺、あらゆるSNSを駆使して課長のパラパラ漫画を宣伝したんすよ。そしたらなんと一万リツイート! いいね通知が止まんないっす」


 よく分からん内に大勢の人に見られてしまったらしい。徹夜テンションで描いたから少し恥ずかしい。しかし今時のネットの宣伝効果は抜群で、話題となったもやしが実際に発売されると千円でもバカ売れ。キャッチコピーは流行語大賞を取り、社長はもやし御殿を建て、社員全員にもやしボーナスが出て、一階が社員食堂に変貌した。


『モヤモヤを、シャキッと!』


 CMが流れている食堂で、若川に頭を下げた。長年広告に携わってきたが、まさか自分が宣伝して貰える立場になるとは思わなかった。


「礼なんていいんすよ。俺、課長のキャッチコピーに惹かれて入社したんすから!」


 食堂の看板メニューであるもやし炒めは、あの日と同じく美味しかった。


 完。

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