食パンと女の子
小川まはる
食パンと女の子
東から眩しい太陽が登ってきました。それまで薄暗かった空はだんだんと明るくなってきます。
烏はガーガーと張り切りすぎてすっかり枯れてしまったしわがれ声で鳴きます。
新聞屋さんはヘルメット越しでも分かるほど大きなあくびをしながら新聞を配達しています。
朝になると世界は、夜の静けさなんて嘘だったかの様に忙しくなります。
しかし、地球上の朝で一番忙しいのはトースターだと朱野ソラミは考えていました。
ソラミの使うトースターはロバート・フィッシャーという名前です。
この名前はソラミがつけたものではありません。ある日、夢の中でロバート自身(当時はただのピンクのトースターさんでした)が名乗ったものでした。
ロバートは『自分が働くのはトースターとして生まれたからには望んでもいないことで今のソラミとの日々は幸せだ。しかし、ロバートというイカした名前があるにも関わらず、ピンクのトースターさんと呼ばれ続けるのは素晴らしい名前をつけてくれた義理の母の琴子さんに合わせる顔がない』と焼け焦げた食パンより悲しそうな哀愁を漂わせてソラミに訴えました。その姿はソラミに生焼けの事を知らないまま食卓に出してしまい食べられることなく捨てられてしまった夕食の焼き鮭を思い起こさせました。ソラミはその時の冷めた味噌汁より悲しい気持ちのまま、彼のことを生涯ロバートと呼び続ける事を誓いました。
夢の中のロバートは、一目見ただけで高級品だと分かるベージュのトレンチコートを着ていました。
ロバートは、トーストはこのコートの色そっくりに焼いたらとても美味しいこと、義理の母の琴子さんは二層式洗濯機で素晴らしい働き者だったが時代の潮流の元、買い替え処分されてしまったことなどをソラミに教えてくれました。
ソラミはその夢から目覚めた時、両目から涙を流していました。麺切りの水の様に流れ続ける涙を拭うことも忘れて、ソラミはスマートフォンで二層式洗濯機を検索しました。ちなみに今でもソラミの住む場所の洗濯機は、最新型の乾燥機機能つきドラム型洗濯機です。大人数の洗濯はスピードがいのちですからね。
ソラミは毎朝ロバートで沢山のパンを焼きます。あまりにも焼くパンの量が多いので、ロバート以外にも数台のトースターを使います。一度に焼き上がるとブレーカーが落ちてしまいます。
でもソラミは食パン焼きのアマ二級ぐらいは名乗れるだろうと自負していましたから、もちろんブレーカーなんて落としません。きちんと計算しています。
電気代がいくらかかっているかは計算していません。ソラミが払うお金ではないからです。
さあ、ソラミの忙しい朝が始まりました。
沢山の女の子がカウンターの前に一列に並びます。
『ガシャコンッ』
はじめに、白いポップアップトースターの三号さんが二枚のパンを焼きあげました。
ソラミは一枚を先頭に並んでいた食いしん坊の麗奈の口に入れました。
麗奈は毎日一番乗りで、右手にはイチゴジャムの瓶を、左手には塗るためのスプーンを持っています。もちろん進みながら塗って食べるためです。
もう一枚を食べたのは珍しい女の子でした。ヨハンナはこの日たまたま朝ごはんを食べずにいたら隕石が落ちてきてお腹を空かした無念を抱いたまましんでしまう悪夢を見て、飛び起きたのでした。
隕石が落ちてきて死んでしまうのは自然の摂理なので仕方ありませんが、お腹が減ったまましんでしまう無念の方は自力で回避することができます。髪の毛は三回転海老反りのような寝癖をつけて、パジャマは上がネズミ、下がネコのキャラクターという人前に出るには恥ずかしすぎる格好で二番目に並んでいたのにはそういう理由があったのです。
『ジリリリリ』
食品工場のベルのような音で二台目のポップアップトースターの漆黒さんが四枚のパンを焼き上げました。ちなみに漆黒さんはシルバーのトースターです。プレゼントしてくれた人が『漆黒堕天使』という名前だったのです。名前は気に入らなかったので、苗字の部分だけそのまま呼んでいます。
女の子たちは、食品工場でベルトコンベアーに乗せられる食品のように進みます。
四枚のパンは瞬く間に女の子の口に放り込まれていきます。
「あむあむあぐあぐ」
「もぐもぐ」
「むしゃむしゃ」
「かじかじかじかじかじ」
みんな夢中で食べています。それぞれ手にはお気に入りのバターやジャムなどを持参しています。納豆をかき混ぜながら列に並ぶ子もいます。大福のような白くておいしいアイスには禁止令が出ました。列に並んでいる間に溶けてしまいますからね。
『ジーーー、チン』
控えめな音でオーブントースターのロバート・フィッシャーが一枚のパンを焼き上げました。ロバートはここにいるトースターたちの中で一番の年寄りでしたからやける枚数も少なく、時間もかかってしまいます。けれど、ロバートで焼いたパンはソラミがしっかりと目を光らせて焼き加減を見ています。いつかソラミが夢で見たロバートが来ていたベージュのトレンチコート色に焼けたパンは、他のトースターで焼いたパンよりいっそう美味しそうにソラミの目にはうつりました。
「もぐもぐ」
ロバートで焼いたパンを今朝食べることができたのは、美食家の花子でした。グルメなので手にはお気に入りの国産無農薬ブランド農園産のあんずジャムの瓶を持っています。花子は口に放り込まれたパンを咀嚼して眉をひそめましたが、あんずジャムを塗るとその顔もたちまち笑顔になりました。
恋は人を盲目にするものです。ソラミの場合もそうだったんですね。
『ガシャコンッ』
『ジリリリリ』
『ガシャコンッ』
『ジーーー、チン』
ポイポイポイポイ
女の子の行列はシルクロードのように長く長く続いています。三台のトースターはパンを焼き上げ、ソラミは女の子の口にパンを放り込んでいきます。
明日もこんな朝がくるといいですね。
おしまい
食パンと女の子 小川まはる @mendako0514
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます