7.護
彼には悪いことをしている。そんな感情はとっくに消え失せた。今はもう、これが日常なのである。
都内の大学へ通うため上京して一人暮らしを始めて数ヶ月。焼肉屋でアルバイトをはじめた。チェーン店ではなく食べ放題とかもないがコストパフォーマンスの良い店として人気があった。10人くらいの男グループの中に彼はいた。よく来る男グループであり飲み食いの量が尋常じゃないため印象深かった。店長は売り上げが伸びることからかいつも大喜びで対応していた。注文を受けたりドリンクや食事を運んだり、網交換や肉の説明を覚える等ホールスタッフだがやることが意外と多い。特に団体が入る日は大忙しであった。グループの中でも、その辺の男性と比べても体が分厚くてごつく、愛想の悪い柄の怖いイメージが印象的であった。来るたびに観察してみると1人だけノンアルで寡黙に肉と米を人一倍食べていた。彼はグループの中で1番年下のようで敬語で話していた。
このアルバイトを決めた理由は、夜の送迎があることであった。深夜までの営業のため都内と言えど電車がなくなるからだ。この頃頻繁に物騒な事件が世間を賑わしており、つい最近同世代の女の子が被害にあったとニュースになっていた。そんな背景もあり送迎付きのこのバイトを選んだのであった。働き始めてからしばらく深夜に予約が立て込み、送迎ができないという日があった。タクシー代を頂いたので別に文句はなかったのだが、これが運命を変えきっかけとなってしまった。
大きい道で待っていたが金曜日でなかなかタクシーが捕まらなかった。もう少し離れた場所で拾おうと歩き出したとき、後ろから体に衝撃が走った。死角から、しかも突然の出来事に体が驚き声も出なかった。戸惑いだんだんと恐怖が襲ってきたが身動きが取れず既に口は抑えられおり声も出せない状況。普段バカみたいに人がいる都内の通りも深夜はめっきりと減る。必死に抵抗するも力で敵わず引きずられらようにして路地に連れ込まれていった。そこには車が停めてあり荷台のドアが開いていた。目で見る光景に絶望を覚えた。どこか自分には関係ないと思っていたこのような事件に、ついに自分が巻き込まれるなんて。それどころかこの先どうなってしまうのか、好き勝手されてしまうのか、なんで私なんだ、最後まで暴れて抵抗するも、ついには仲間も車からぞろっと降りてきて万事休すに思えた。その時、降りてきた仲間が「後ろ!!」と大きな声とまた衝撃が襲った。一体何が起きているかわからなかったが抑えられていた力が緩んだ気がした。その隙に私は逃げ出した。そこには見覚えのあるゴツイ無愛想なあの男が立っていた。あのガタイで全力のタックルをしたらしく私を抑えていたクズは痛みと打ちどころが悪く地面に蹲っているのが見えた。彼は冷静に動画を回し、警察には連絡したと伝えた。相手はヤケになりこちらに向かってきた、彼は私に逃げるよう伝えて怯むことなくクズどもへ突進していった。私も全力で走りアルバイト先へ戻っていった。店長が私の形相と焦りからただならぬ状況だということを察してくれたようですぐに事情を聞き警察や匿う準備を進めてくれた。ものの数分で警察が到着し現場に向かった。そこにはボロボロの彼と完全におちている2名、まだ襲いかかっている2名がいた。警察が介入し車ごと包囲し事件は警察が預かることとなった。ここにきてようやく身震いが私を襲い力が抜け落ちていった。数週間事情聴取や弁護士など色んな複雑なやりとりがあった。夜はあれ以来トラウマになってしまいアルバイトも辞めた。田舎の親もしばらくは寄り添ってくれていたがずっとは居てくれず、帰ってくるように促すだけであった。
あんなことがあったにも関わらず、今はどうしても帰りたくなかった。
彼は事件の当日ボロボロにやられていたのに、私に気を使ってずっと声を掛けてくれていた。怖くて震えていると手を握ってくれ、絶えず声をかけてくれていた。何が無愛想だ。その目は優しく私をずっと見つめながら私に寄り添ってくれていた。彼のケータイは壊されており連絡先がわからなかった。彼に再び会えたのは何回目かの事情聴取の帰りであった。会ってすぐに抱きついてしまった。彼も戸惑っている様子だが拒むことはしなかった。ここが公共の場で警察署の前であっても数分彼に抱きつき顔をお腹へと擦り付けていた。「遅刻してしまうから、ごめんね」と言われ我に返った。「終わった後でよければ話せますけど時間かかるから」「待ちます、いくらでも待ちます」と食い気味に返事をした。どんなに時間がかかっても彼が戻ってくるまで待つことができた。その時間はもどかしくてたまらなかったが必ず会える喜びに胸を躍らせた。彼は2時間ほどで戻ってきた。家付近まで送ると言って彼は車に乗せて連れて帰ってくれた。暗闇かつ1人でいることに恐怖を感じてしまうため明るいうちに1人で出来ることをしてしまわないと何もできなくなってしまう。と伝えたら彼が治ったケータイで連絡先を交換してくれたのである。「困ったり怖くなったりしたらいつでも連絡していいからね、いつでもって訳じゃないけど助けになれることはするから」とまた私を助けてくれた。私は今まで好意は寄せられることの方が多く、自ら誰かを愛したことなど一度としてなかった。興味もそこまでなく、好きなタイプだって説明できなかった。しかし今は違う。明確に好きな人ができた。あんなに人に優しい人がいるであろうか。そこらへんのチヤホヤされているヤツ、所謂イケメンと称されているいうヤツの上辺の優しさなんか反吐が出る。あぁ、あいしてる。だいすき。ずっとそばにいて護られたい。私は困ってもないのに常に彼に連絡を入れる。彼もすぐに返事をくれる。返事が無くてもひたすら連絡をする。あまりに返事がないと電話をする。それが早朝でも夜中でも。一度たりとも嫌な反応をされたことはなく、むしろ謝られる。そんな私にだけ優しい彼に私はどんどんとハマっていった。
付き合ってもいないのに彼の家に半ば強引に押しかけた。彼はまた拒絶せずどちらかというと心配してくれ落ち着くまで家にいていいとも言ってくれた。家に入り浸りそして気がついたら居座っていた。
年齢は私より12も上。上だとは思っていたがまさかそんなに上だとは思っていなかった。仕事は不定期で帰りも早かったり遅かったりバラバラである。自宅にトレーニングルームを作っておりジムには通っていない。彼女もいなければ、奥さんもいない様子。毎回一緒に寝たいと申し出るが断られる。たくさん愛情表現をしているし、付き合ってほしいと何度もお願いしているが答えは曖昧に、はぐらかされてしまう。私に魅力がないのであろうか。いつでも彼は寄り道せず帰ってくるし、逐一私の心配をしてくれる。もう無くてはならない唯一無二の存在になってしまっていることは自覚している。
ある夜、夢であの日のことをフラッシュバッグしてしまった。叫び、震えていると扉が開き電気がついた。「どうした?」
「ごめんね、起こしちゃって、怖い夢、、あの日のこと思い出しちゃって声出しちゃった。夜中にごめんね。。」
「そんなこと構わないよ。大丈夫?寝れそうか?」伏目がちにうなずく。
彼はしばらく何かを考えたようで口を開いた。
「今日は一緒に寝るか?俺のベッド大きいからさ、邪魔にならないと思うから、」
これまで固く閉ざされていた彼と一緒の添い寝。こんな状況で実現するなんて。答えはもちろん。。
ダブルベッドのサイズに2人で添い寝。彼は出来る限り壁際の端に身を寄せていた。私はさっきまでの恐怖心は全くなく、この状況にドキドキして寝れなくなっていた。彼の匂いだらけの布団にシーツ。また静かで深い彼の寝息。横に伸びる腕にこっそりとのっかり腕枕まで実現した。なんて太い腕だろう。この腕で筋肉で彼が必死に護ってくれてなどと考えていると、ムラムラときてしまった、パンツはもう手遅れの状況であった。なんて幸せな目覚めであろう。寝ぼけてか彼が私をハグしているではないか。
彼は起きて早々大変謝っていたが私は悦に浸っており謝罪の言葉は全然頭に入ってこなかった。
私はずるい女である。怖いと言って彼と一緒の床に入る術を見つけてしまったのだ。1人で寝るより完全に安心して寝れることは確かだ。しかし自分の下心が完全に上回っていた。
同棲のような生活も1年くらい続いた。たまにラッキースケベで抱きついてくることはあっても一緒に寝ていて一度たりともそういうことに発展したことは無かった。私だってできることはなんだってやった。シャンプーやボディーソープ、ボディークリーム、ヘアオイル、えっちな下着やパジャマ。誘惑できるものはなんでも使ったが何も起きなかった。
この幸せがいつまで続くのだろう。なんとなく彼が手を出してこない理由にあたりはつけていた。それでも私は正式に彼のものになりたかった。盗聴、盗撮、携帯の盗み見、探偵、あらゆる手で彼の趣味嗜好を探った。好きと言っている芸能人の見た目、ファッション、キャラクターの話し方、声のトーン全て取り入れた。
ほとんど毎日好意を伝えた。うんざりするくらいベタベタし付き纏った。どこか彼に嫌われることはないだろうとたかを括っていた。
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平穏不況/@koshi3x
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
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