第4話



その日の夜。

22時半ごろ。


俺はまだ眠る気にもなれず、夜食を買いにコンビニへ行った。

カップ麺とジュースを買った帰り道、公園の前で聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「大丈夫よぉ。歩けるって〜」


七美先生の声だ。

ただし、声だけで酔っ払いだとわかるほど飲んでいるらしい。


学校でのかっちりとした様子からは想像しづらいが、まあそりゃ、大人だし、酒くらい飲むよな。

なんとなく怖いもの見たさで、公園の向こう側を覗いてみた。


どうやら一人ではないようだ。

七美先生はかなり酔っているらしく、もう一人の女性に肩を借りるようにしてフラフラと歩いている。


「だいたいさぁ、あのセクハラ上司がいけないのよ!だから私は悪くないの!そりゃあんな職場環境だったら、ちょっとくらいハメ外したくもなるってもんでしょうよ~。ねえ!聞いてるの?」


「はいはい、聞いてます」


もう一人の女性は、くだを巻く七美先生をあしらいながら、しっかりした足取りで歩いている。


二人の姿が物陰から街灯の下に出てきて、その姿がはっきりと見えた。


「……白雪!?」


「……あ、遊真君。どうしたの、こんな夜に」


酔っ払った七美先生に肩を貸しながら歩いていたのは、白雪サラだった。

予想外過ぎる組み合わせに、俺は目を瞬かせた。


その名の通り雪のように白い頬が、街灯の明かりに照らされて、夜の闇に青白く浮かび上がっている。

その華奢な身体で七美先生を支えながら、白雪はほんの少しだけ目を見開いて、あくまでも知的にそして儚げにこちらを見た。


「いや白雪の方こそ、なんでこんな……。七美先生と……。どういう状況?」


「私の家、居酒屋だから。七美先生ちょっと飲み過ぎたみたいだから、送ってくの」


当たり前の事を告げるように、なんの感情も見せずに、白雪は答えた。

事実、彼女にとっては当たり前だったのだろう。


だが俺にとっては予想外過ぎる答えだ。


「え……。居酒屋?白雪んち、居酒屋なの?」


「……そうよ?」


言ってなかったっけ?と言わんばかりに不思議そうな表情をする白雪。

その顔を切り取って、暗く気怠げな洋館の窓の中にでも貼り付けたらいかにも似合いそうだ。

それなのに、居酒屋の看板娘。

これほど、白雪に似合わない言葉もないだろう。

まったく想像がつかない。


「サラちんはねぇ!お客さんにも好かれてて、大人気なんらから!それはもう!」


七美先生が叫ぶ。

顔は真っ赤だし、近づくとすごく酒臭い。

こちらもまた、普段の「デキる女」オーラ全開の七美先生からは想像がつかない姿だった。


「それはもう!あはははは!」


今度は笑い出した七美先生を指差し、俺は白雪に尋ねた。


「いつもこんな感じなのか?」


「……たまに」


白雪は溜息を吐きながら答えた。


白雪の落ち着いた態度からも、初めての事態ではない事がうかがえる。


とはいえ、女性二人で(しかも一人は要介護)夜道を歩くのは安全とは言えない。


「送ってくって言ってたけど、どこまで行くんだ?手伝うよ」


俺は七美先生の空いている方の腕を自分の肩に回した。

白雪と二人で先生を両側から支える形になる。


「……いいの?」


「ああ。さすがにほっとけないだろ」


「ありがとう。助かるわ。先生の部屋、もう少しだから」


公園から少し離れた所にあるマンションの一室が、七美先生の部屋だった。

……先生、こんなに近くに住んでたんだな。


はち合わせないように気をつけよう。

いろんな意味で気まず過ぎる。


やっとの思いでエントランスのオートロックを解除してもらい、部屋のドアまでたどり着く。


「ほら、先生、着きましたよ」


「ええ〜!やだ!もっと飲む!」


「もうおしまいです。先生の部屋ですよ」


「まだ大丈夫だってぇー!冷蔵庫にビールあるからぁ、発泡酒じゃないやつ!」


「ダメです。ほんとに寝てください。もう飲まないように」


俺が七美先生をなだめている間に、白雪は黙って勝手に先生のカバンをあさり、中からカギを取りだした。

そして手慣れた様子でドアを開ける。


「ほら、開きました」


俺はそう言って部屋の中に七美先生を押し込む。


「やだぁ~!まだ帰らないでぇ〜」


七美先生は甘えた声を出して、俺に抱き着いてきた。


アルコールの臭いだけではなく、嗅いだことのない甘ったるい大人の女性の香りが俺の鼻を刺激する。


「ちょ、先生……」


その時、横から白雪の手が伸びてきて、俺から先生を引き剥がした。

七美先生はそのまま、玄関のマットの上に尻餅をつく。


「……飲み過ぎです」


白雪は溜息をついた。


七美先生は靴も脱がずに、玄関にゴロンと横になってしまった。


「ああ、先生、こんなところで寝ちゃあ……」


俺が七美先生を起こそうとすると、白雪が俺の肩を叩いた。


「……きりが無いわ。大丈夫、いつもこんな感じだから。行きましょう」


「え、そうなのか?でも……」


「いいから」


白雪が俺を引っ張ってドアの外に出す。


「あー、水原ぁー」


寝転んだまま、七美先生が俺の名前を呼ぶ。


俺がドアの外に出たのを確認して、白雪がドアを閉める。

そのため、先生の声は途中から聞こえなくなってしまった。


「明日ちゃんと来いよ〜!もし来なかったら……」


……は?


俺が固まっていると、白雪がドアのカギを確認して、


「……行きましょうか。手伝ってくれてありがとう」


と歩き出した。


「あ、ああ」


俺は慌ててその後を追う。






マンションから出て時間を確認すると、既に11時を回っていた。


「遊真君」


「ああ」


「悪いんだけど、送って貰えないかしら。そんなに遠くないから」


「あ、ああ。もちろん」


俺は白雪に請われて、その家まで送って行くことになった。


人気のない深夜の国道を二人で歩きながら、俺はさっきの先生の台詞が気になって仕方なかった。


七美先生は「明日ちゃんと来いよ」と言った。それはどういう意味だろうか。

もちろん、単に「明日もちゃんと学校に来いよ」という意味にも取れる。

先生にしてみれば、あんな醜態を見せてしまった後だ。

それが原因で、精神的にデリケートな生徒が登校拒否にでもなってしまったら責任を感じざるを得ないだろう。


しかし、ラブレターの一件があった後だ。

やはりどうしても「学校に来いよ」ではなく、「特別教室棟裏に来いよ」と言ったのではないかと思ってしまう。


「遊真君?」


白雪が俺に話しかける。


「ああ、悪い。ちょっと考え込んでた」


「何考えてたの?」


俺は白雪もまた「容疑者」の一人だったことを改めて思い出した。


「いや、別にそんな大した事じゃないよ」


「ふーん……」


白雪は何か含みがあるような顔で俺を見ている。


そして、


「恋愛関係でしょ」


と言った。


「え」


見事に心の中を俺は言い当てられた俺は思わず口籠ってしまった。


白雪はそんな俺の様子を見ながら、また違う事を言った。


「……人って意外な一面があるよね」


「……はあ」


話題の変遷についていけず、俺はただ相づちを打つ。


「……七美先生があんなに酒グセが悪いなんて思わなかったでしょう?」


「ああ。俺としては、白雪の家が居酒屋だっていうのも、意外だったけどな」


俺が言うと、白雪はふふと笑った。


「……病弱キャラのくせに?」


「そう。病弱キャラのくせに」


やっぱり自分のキャラを分かってやがったんだな、こいつ。


俺は苦笑いをした。


「……でも、それだけじゃないかもよ。意外な一面は」


「それだけじゃない?」


俺が聞き返すと、白雪は立ち止まった。

自然と、俺も立ち止まることになる。


白雪はしばらく黙っていたが、やがて普段以上に小さな声で言った。


「……ここまででいいわ。ありがとう」


その声はとても小さかったが、辺りもまた深夜の静けさに満ちていたので、とてもよく聞こえた。


唐突な拒絶に驚いた俺は、しどろもどろになりながらかろうじて言った。


「え、ああ、そうなのか?」


「……ええ、すぐそこだから。あとは一人でも大丈夫。それに……」


白雪は俺に背を向けた。


小さな声がさらに遠くなって、聞き取りづらくなった。

だが、その言葉は俺の耳に届いてきた。


「これ以上あなたと一緒にいると、誘っちゃいそうだから。七美先生みたいに」


俺はその瞬間ただ困惑して、歩き出す白雪の後ろ姿を見送ったのだった。





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