第4話 五月の雨

 ゆう樹理じゅり先輩と並んで歩く。

 その外では本降りの雨が降り続いている。

 「冷たいこと言うなぁ」

 しばらくしてから、樹理先輩が言った。

 「自分のお姉さんでしょ?」

 その言いかたは、いらいらしているようでもあり、からかうようでもあった。

 「自分のお姉ちゃんだからですよ」

 言ってから、樹理先輩のほうは見ないで、言う。

 本降りの雨の雨水が、下り坂の道を小さな流れになって流れ下る。

 その細い泥水の流れが優と樹理先輩を追い抜いて行く。

 毎日、明珠めいしゅ女学館じょがっかんの中学校から大学までのたくさんの「女子」が通る道だ。それだけ道がいたんで、凹凸おうとつができているのだろう。

 歩きにくい。

 「先輩こそ、どうして、あのお姉ちゃんのこと、そんなに気にかけるんです?」

 いま寮生は三学年合わせて二十人ぐらいいる。

 そのうち、ほかのだれがれて帰ってきそうでも、樹理先輩は気にかけない。

 優がずぶ濡れになって帰ってきても、

「何やってるのよ?」

と声をかけるぐらいだろう。

 まして、ほかの一年生だったら、

「廊下濡らさないようにいてから入ってよ。ここ、床が木なんだから」

と不機嫌そうに叱るかも知れない。

 答えがないので、先輩の顔を見上げてみる。

 まゆをひそめていた。

 何か数学の難しい問題にいきなり当てられたみたいだ。

 「だって……」

 優に見られているのに気づいて、樹理先輩は硬い声で言った。

 「あいつ、どんくさそうだし」

 「そう」ではなくて、実際に鈍くさいのだけど。

 「だって、だとしたらやっぱり自業じごう自得じとくでしょ?」と言いそうになる。

 鈍くささは「天性のもの」かも知れないけど、直せるのだ。

 直せばいいだけなのに、あのひとは直さない。

 何も言わないで、待つ。

 自分にも他人にも厳しい樹理先輩が、なぜ、あんなやつを。

 どうして優ではなく、あのひとを!

 樹理先輩の厳しさを受け止めて、それにこたえられるとしたら、あのひとではなくて優なのに。

 樹理先輩は、その優の気もちにどれくらい気がついているだろう?

 答えはわかっている。

 まったく、気づいていない。

 あのひとばかり見ているから。

 樹理先輩の心はあのひとのほうにばかり向いているから。

 「あいつ、わたしの次の寮委員長なのよ、たぶん」

 樹理先輩がやっと見つけ出した答えが、それだった。

 今度は「あいつ」を「あい」と言い直さない。

 そんな余裕はないのだろう。

 この寮の寮委員長は、二年生の生徒から、成績のいい順に学校が指定するのだという。優等生学校で進学校の明珠女のことだから、寮生の代表にふさわしい生徒を学校が決めるということだろう。

 つまり、この寮でいちばん成績がいい二年生が樹理先輩で、二番めがあのひと。

 「ちょっとはしっかりしてもらわないと!」

 優は、ゆっくりと息をつく。

 こんな完璧かんぺき志向の樹理先輩が、どうしてあのすきだらけのあのひとなんかのことを気にかけるのだろう。

 あのひとが樹理先輩の想いにこたえてくれることなんて、どの面でもありそうにないのに、どうして……?

 あのひとさえいなければ。

 いや、あのひとがいなければ、優は樹理先輩とこんなに近くで話すことはできないだろう。

 樹理先輩が、ほかの生徒よりも優と親しく接してくれるのは、優の姉があのひとだからだ。

 優の思いも知らないで。

 ならば、優が取るべき道は一つだ。

 あのひとを利用して利用して利用しつくしてやることだ。

 あのひとを利用して、樹理先輩に近づく。

 駅の入り口は線路の向こう側だ。跨線こせんきょうを渡っていかなければいけない。

 樹理先輩が一歩先に跨線橋を上がる。優が続く。

 この跨線橋は歩くと足音が響く。

 足音が不揃いなまま、樹理先輩と優は跨線橋の階段を上がって行った。


 (終わり)

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五月の雨 清瀬 六朗 @r_kiyose

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