第26話 相応しい罰
マリベルが目覚めて最初に目にしたのは、天蓋から垂れるベール越しに揺れる、柔らかい日差しだった。
無意識に起き上がるのは、記憶が混乱していたためだ。
今は何時だろうか、日の傾きからまだ午前中のようだが、どうして自分は寝台でのんびり寝ていたのだろう。そうだ、大事な朝の務めを果たしただろうか……
そこまで考えてマリベルはハッとして右肩をさする。
長袖の寝間着の下にあったはずの、ガーゼを挟んで厚く巻かれていた包帯の感触がない。それどころかあれほど強く感じた痛みもない。
「そうだった……私、昨日」
そこでマリベルはようやく昨日の出来事を思い出す。
魔人に襲われた傷を回復させる魔力を得るために、リコリスを口にしたのだ。誰よりも知られたくなかったクライドたちの前で。
そうして魔力を体内に得て、皇太子殿下から治癒魔法を受けた。
マリベルは生まれて初めて、体内に大量の魔力が循環するのを感じた。まるで深く眠るクライドが起こす魔力嵐が、体内に吹き荒れているかのようだった。その圧倒的な力の渦に、マリベルは耐えきれずに気を失ったのだろう。そこからの記憶がない。
だが甦る記憶から推察するに、治療を受けたのは夕刻。眩しい日差しが降り注ぐ今は、必然的に朝を迎えたということになる。
「クライド様は……」
自分に課せられた、大切な仕事を放棄してしまったことを悟り、慌てて寝台から飛び出るマリベル。
「きゃっ!」
床についたはずの足に力が入らず、崩れ落ちて座り込んでしまったのだ。そして身体を支えて立ち上がろうとした腕は重く、すがりつくようにして寝台に座り直した時には、息が切れていた。
マリベルは両手を広げて見下ろし、何度かぎゅっと握りしめるのだが、力があまり入らない。初めて治癒魔法を受けたせいだろうか、そんな風に考えていると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「マリベル、起きたのか?」
その声に振り向くと、ルイーゼを伴ったクリステルだった。マリベルが何か返事をする暇も与えず二人揃って駆け寄り、両手を広げて抱きしめられていた。
「良かった、目が覚めて……本当に良かった」
「もう、人を心配させないでください」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、困惑するマリベル。
悪食のことを黙っていたのは、二人との関係が心地よくて、嫌われたくなくて言い出せなかった。知られなければ、上手くやっていけるかもしれないと。
だが知ってもこうして心配をしてくれる二人に、マリベルは申し訳なさが募る。
黙っていて、心配かけてごめんなさい。そう伝えようとしたのだが、苦しくて声が出せずにいると。
「クリステル、いいかげんにしないと今度こそマリベルが死ぬわ」
ルイーゼの助けで、ようやくマリベルはクリステルの腕から解放されたのだが、軽く咳き込むマリベル。
「ごめん、ごめん、マリベルが目を覚まさなくて本当に心配したから」
「ううん、私こそごめんなさい」
マリベルがそう言うと、二人は顔を見合わせる。
「あなたが謝ることは一つもなくってよ」
「私の悪食を秘密にしていたし……そのせいで迷惑をかけて、心配までさせて」
クリステルがマリベルの唇に人差し指を当てて、言葉を遮りながら首を横に振る。優しく微笑みながら。
「迷惑だなんて、少しも感じてないよ。それは私たちだけでなく、チャールズやオルコット、もちろんクライド様も」
「でも……」
右隣に座ったルイーゼが、マリベルの手を握る。
「言い出す機会がなかっただけでしょう? 今まで、たった一人で、苦労してきたのですものね」
クリステルも反対側に座り、マリベルの左手をすくって、両手で包み込む。
「マリベルほどの魔力量では、生命の維持で手一杯だったはずだ。これまでずっと人目につかないよう隠れて、魔力を補充してきたんだろう? 魔力が体質的に少ないことは、マリベルのせいじゃないのに……辛かったろう」
二人の言葉に、マリベルはこれまでの過去を思い出す。
魔法どころか魔道具すら使えないマリベルにとって、辛いなどと言う資格はなくて、ただ出来ることをするしかないと思っていた。それは魔道具では行き届かない細かい掃除などを請け負うこと。
しかし頑張れば頑張るほど体力は失われ、ただでさえ少ない魔力は身体への不調へと変わる。無理をして魔力が枯渇して寝込む日もあった。それではなおさら役に立てない。だから数ヶ月に一度は、隠れてリコリスを口にするしかなかったのだ。
仕方がないことだと前向きに考え、辛いとは思わなかった。それを人に見られてしまうまでは……
マリベルの頬に、一筋の涙が伝う。
『あなた、どうして毒を口にして平気なの? まるで魔物じゃないの!』
それはドラコニア公爵家に来るよりも、二つ前に行儀見習いで訪れたミュッテン伯爵家の令嬢に言われた言葉だった。
気をつけていたつもりだったのに、マリベルはリコリスを口にした瞬間を、その令嬢に偶然目撃されてしまったのだ。そしてそれをきっかけに、彼女は忌むべき者として避けられ、ついには伯爵家を出るしかなかった。
同時に、彼女の評価には役立たずなだけでなく『悪食』が追加される。
この件があり、マリベルは実家コールフィールド家にも戻れなくなった。このミュッテン伯爵家は、妹シャルロッテの紹介だった。ナジェール・ミュッテン伯爵令嬢は、シャルロッテが社交デビューを果たして作った、大切な人脈だ。姉の不名誉は、妹にも多大に影響を及ぼしただろう。とても合わせる顔がない。
マリベルがリコリスを口にする悪食なのは事実なのだから、それを悪し様に言われるのは覚悟している。だがそれによって、家族を巻き込んでしまうことが何よりも辛い。
妹シャルロッテは普通の娘だ。魔力は人並に持ち合わせていて、日常生活にはまったく不自由はない。それどころか貴族令嬢として申し分ない容姿を持つ妹は、自分のような存在がなければすぐにでも良縁に恵まれるはずだとマリベルは信じている。
たった一人の妹へ、迷惑をかけることしかできない自分が、とても哀しかった。
それと同じ事を、ドラコニア家の人々に味わわせてしまったのだ。マリベルはひどい後悔に苛まれる。
「噂は真実です……黙っていてクライド様に……皆さんに私のせいでご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「迷惑だなんて、誰もそんなこと言ってない」
「クライド様の妻が……魔物のようにリコリスを口にする人間だと知られたら、公爵家にとって不名誉になるって分かっていたのに」
クリステルとルイーゼは、淡々と戒告するマリベルを、哀しい顔で見つめていた。
「契約婚で、いずれここを出ていくのだから、それまで偽り続けられるなんて甘いことを考えていたのです……この傷は、その罰なのかもしれない」
「罰だって? それこそありえな……」
クリステルがマリベルの言葉に反発すると、それをルイーゼが制して言った。
「マリベルは、自らに罰を受けるほどの咎があると思っているのね?」
ルイーゼに問われ、マリベルは頷く。
「その罰すら、クライド様と、皇太子殿下の手を患わせてしまいましたので、とても贖い切れてはいないけれど」
「ならば、クライド様にお願いしましょうか、マリベルが犯した罪に相応する罰を」
「ちょ、ルイーゼ、何言ってんだおまえ?!」
「うるさいですわよ、クリステル。そうしなければ、マリベルは納得できないって言っているのよ」
ぴしゃりとそう言い切るとルイーゼは立ち上がり、寝台から大きな窓へと向かって歩き出す。
そこでようやく、マリベルは今いる場所が自分の滞在していた部屋でないことに気づく。
だが驚くマリベルにかまわずルイーゼは窓を開け放つと、そこから広がるテラスへ出る。そして何を思ったのか、魔法で大きな水球を作り、空へ向かって放り投げたのだった。
空を切り裂くような音が空へ登っていった次の瞬間、何かにぶつかったのか水球が破裂して雨が降り注ぐ。その雨粒が日の光をキラキラと乱反射させた。
まるで虹がかかったかのような空にマリベルが見とれたのはほんの十秒ほど。気づけばどこからか黒い雲が風に乗って現れ、まるで吸い寄せられるかのようにマリベルたちがいた部屋の前でうねり、方向を変えて窓から侵入してくる。
恐怖で咄嗟に身を固くするマリベルだったが、同時に雲は稲光を発し、雷が狭い室内に轟く。
突然のことで思わず目を瞑り、手を添えてくれていたクリステルにしがみつくマリベル。だが突風は止み、耳を劈く音は一瞬のことでしかなかった。
「マリベル」
呼ばれて目を開くと、目の前に立つのはクライドだった。
青白い顔は驚きに満ち、魔法の残滓のせいで赤く染まった瞳が次第に新緑へと変わり、しっかりとマリベルを捉えていた。
ゆっくりと伸ばされた彼の手が頬に届く頃には、マリベルを支えていたクリステルが退いてしまう。
「マリベル、よかった。長い間、きみが目覚めるのを待っていたんだ」
優しい声に、マリベルの胸がぎゅっと締め付けられる。
そのまま頬を撫でるその手に縋り付きたくなるのを堪えながら、マリベルはすっと身を下がらせてから頭を下げる。
「多大なご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。そして、大事なことを告げずにいたことを……お詫び申し上げます」
「マリベル?」
「マリベルは、クライド様から罰を頂戴したいそうですわ」
困惑した様子のクライドに、窓辺にいたルイーゼがそう告げると。
「……どういうこと? どうしてマリベルが罰を受けねばならない、三日も意識を取り戻せなかったほど、深い傷を負った君が、なぜだ」
怒りを含んだその声に、言葉の意味にマリベルは震える。
そう、三日。マリベルは三日三晩、意識を深く落としたまま、肩の傷を癒やさねばならなかったのだ。
その間、マリベルは朝の務めを果たせなかったのだ。これでは、本当に自分の存在意義はないではないかと、肩を落とす。
契約婚解消は、マリベルからの申し出でも可能だったはず。
「離縁の覚悟はできています、ですがもしお許しをいただけましたなら、次の……」
言い終わらぬ内に、マリベルの視界がぐるりと傾く。
柔らかいシーツに頭が沈み、視界には怒った顔のクライドと、彼の漆黒の髪だけになった。
「離縁って、なに」
息がかかるほど近くに、クライドの端正な顔が迫る。
彼が怒った顔は、ぞっとするほどに美しい。勝手に早くなる鼓動が気づかれてしまわないかと、マリベルは顔を背ける。
だがそれを許さないとばかりに、頬に手を添えられて再び責め立てられた。
「僕が、恐ろしい? だからもう嫌になった?」
「違っ……」
「嘘だ、震えてる」
「嘘じゃありません」
「じゃあどうして僕から離れようとするの? 僕がきみを守り切れなかったから?」
マリベルは必死に首を横に振る。
「私が側にいたら迷惑ばかりかけてしまいます、それに私のせいでクライド様まで悪く言われたりしたら……」
耐えられない。
マリベルは自分と同じように蔑まれるクライドを想像しただけで、涙が溢れそうになる。
「そんな事にはならねーよ」
後ろから聞こえたその声に、クライドが振り向く。
囲われていたマリベルの視界も少しだけ開けて、窓辺に人影が二つ立っているのが分かった。華奢な少年と、背の高い男性。
「くそっ、俺を置いていくとはどういう了見だ、稲妻に乗って移動するなんぞ、非常識にもほどがある」
文句を言いながら入って来たのは、皇太子。
それを苦笑いを浮かべてついて来たのは、チャールズだった。
「おや、クライド様にとっての超緊急移動ですよ、ご存知なかったのですか? あれほど旅でご一緒だったのに?」
「知ってるって、馬鹿にするな。そういう意味じゃなくて、城から半里も離れていないのに、そんな魔法使ったら危ねえだろ」
そう言いながら皇太子は、マリベルたちの方をしっかり確認して、それから頭を掻きむしってからため息をもらした。
「いつまでそうしてるんだ、クライド。離してやれって」
「取り込み中だ、ジルこそ向こうに行っていろ」
「いいから落ち着け、ったく、いい歳してお前は生まれたての雛か!」
皇太子は呆れた様子でそう言い、側にいたチャールズに顎で指示を出し、それから平然と見守っていたルイーゼとクリステルに目配せをする。
「一応、俺が診てやる」
チャールズによってマリベルから引き離されたクライドの表情が、あからさまに固まる。
「文句を言うな、触らねえよ」
まだ何も言っていないクライドに向かってそう言うと、皇太子はマリベルの目の前に立つ。クリステルがマリベルを支えて起き上がらせると、次いでルイーゼが袖をめくる。
肩からざっくりと裂かれた爪痕は、ほんのりとピンク色で肌に残っていた。完全に塞がったとはいえ、傷が無かったことにはならない。あくまでも治癒したのだ、痕が残ってもしかたがないだろう。
だが間近で見ていたルイーゼは、不服そうだ。
「治癒師の腕が悪かったかしら」
突然のルリーゼの暴言に、マリベルがギョッとして皇太子を見るが、彼は動じた様子は見られない。逆に驚いていると。
「俺じゃなきゃもっと濃い痕が残っていただろうな、最小の魔力でわざわざ時間をかけて繋ぎ合わせるなんて技、使える奴いない」
「だからって三日は長過ぎですわ、ねえマリベル?」
急にそんな畏れを知らぬ会話に招き入れられ、びくんと肩を震わせるマリベル。
「い、いえ、充分です」
「本人がそう言っているぞ」
「まあ、下々の謙遜を真に受けているようでは……」
鼻で笑ってみせるルイーゼに、マリベルはあわあわと慌てる。だがよく見ると皇太子もまた、笑みを浮かべているのでホッと息をつく。
「大丈夫そうだな、安心していいぞ」
皇太子のその言葉を合図に、ルイーゼがまくし上げていた袖を戻す。
「治癒魔法を施してくださって、ありがとうございました」
「礼はいらん。皇国の主として、重臣ドラコニア公爵の妻を見殺しにするなどありえんからな。それに……」
背を向けかけていた彼が、再びマリベルの方を振り返る。
「俺はあんたに興味が湧いたからな」
悪食令嬢と魔公爵の類い稀なる契約結婚 宝泉 壱果 @iohara
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