弱く光る。

君のためなら生きられる。

第1話完結

 私は、生まれて初めて夜明けを恐れた。

 早くしなくては、太陽に醜い私が晒されてしまう。ベッドから立ち上がり、誰も居ない家の階段を駆け下り、夜の暗闇に溶け込む。

 

 思い起こせば、死にたくないと思ったことは一度もなかった。ただ、与えられた命を粗末にしてはならないというモラルと、こんな私を愛してくれる両親のために、朽ちる日を待っていたんだと思う。 

 でも、それはある日突然限界を迎えた。張り詰めた糸が切れたようだった。私は最初から生きてなんてなかった。死んでなかっただけなんだ。 


 やっぱり躊躇するのかな。失敗したら痛いかな。お父さんとお母さんは、許してくれるだろうか。


 飛び降りる直前までそんなことを考えていたはずだが、私は気付くと吸い込まれるようにビルの屋上から飛び降りていた。

 恐怖や後悔よりも、先に来たのは解放された感覚。夜風を浴びながら、初めて呼吸をした赤子のように、私は最後の息を深く吸って目を瞑った。

 

 ……しかしおかしい。いつまで経っても地面に届く気配がない。永遠に落下し続け、夜を照らす街の灯が、下から上に流れ続ける。

 死を回避するために脳がフル回転し、時間を引き延ばしているのかもしれない。そう思い、私はもう一度目を閉じた。

 なるほど、走馬灯も起きない。私は私のまま、落下し続けている。風が吹き抜け、髪が舞い上がり、しかし確かに、私は落ち続けている。 


「やあ、いい夜だね」


 何時間、何日、何ヶ月経ったのかわからない。短いようで、長いようで、一瞬だったような気がする。ただ、確かにその声はエントロピーを増大させた。 

 私は声がする方に体を向けると、みたことがあるような、ないような、燕尾服を着た猫が夜の街を見下ろしていた。白い毛並みで、体付きは人間、しかし顔や手足は完全に猫だ。

 私と目が合うと、その猫は目を細めて微笑んだ。


「あなたは?」


「ペイン。君の味方だ」


 ペインは上流階級の貴族のように、それはそれは美しい礼をした。私は思わず、首を少し傾けて礼節を尽くした。


「ごめんなさい。私は落ちてるから、思うように動けないの」


「そのようだね。気にしないでいい。君に会えただけでボクは幸せなんだ」


 ペインは近づくことなく、言った。手の届かない距離にいることがなぜだか切なく感じた。私は落下しながらペインの元に近寄ろうと試みたが、距離を縮めることは出来ない。 


「ペインのそばに行きたいんだけど、無理みたい」


「ふむ。ではボクも一緒に落ちてみよう」


 そういうとペインは逆さまになった。つまり、私と同じ状態になった。目線が合うと、ペインから私に近づいてきた。今度は私の腕にペインの手が触れ、引き寄せられた。

 なんだかそれがとても有難く、美しく、尊く感じた。しかし、それと同時に湧き起こる感情が、安心から心配に変わった。


「ペインは、大丈夫なの?」


「大丈夫って?」


「私と一緒に落ちて」


「勿論。むしろ望んでここに来たんだ」


「どうして?」


「言っただろう。君の味方だからだよ」


 私は涙を流していた。孤独で冷え切った心が暖まったせいだろうか。ペインは何も言わずに私を抱きしめた。 


「私、死んじゃうんだ。弱かったみたい」


 死の意味が解放から、離脱へと変わった。どこか懐かしい猫のペインが、私の心を解き放ってしまった。


「その弱さが、ボクは好きなんだ。君は誰も傷つけない。妬まない。怒らない。それは誰にでも出来る事じゃない」


「そうだね。でもそれは優しいからじゃない」


「それでもいい。でも嫌いな所が一つだけある。自分のことは平気で傷つけてしまう所だ」


 そういうと、ペインは燕尾服の懐から、大きなカッターをとりだした。丸い肉球と爪の手で器用にその刃を剥き出しにした。


「すまない。ボクにはこんな事しかできない。終わらせよう、こんな永遠、君は望んじゃいけない。その罪はボクが全部持っていく。さあ、目を閉じて」


 私に対し、死に近づくペットを慈しむようにペインは言った。私はその瞬間に、生を実感した。ここで刺されれば、必ず死ぬことが出来る。その確信が何故かあった。 

 だから私は、ペインからカッターを乱暴に奪った。 


「何をするんだ」


「ありがとうペイン。私は救われた。あなたの手だけは、汚させない」


 私はペインのカッターを自分の首に押し当てて告げた。冷たい刃がじんわりと熱くなり、血が流れていく。 


「ボクはそんな君が嫌いだと言ったろう。さあ、それを返すんだ」


「私はあなたのことが好き。ごめんね」


 一気に首を掻っ切ろうと手を引くと、首と刃の間にペインは手を挟んだ。肉を割く感覚が私の手に不快に伝わる。 


「ぐうぅ」


「ペイン!」


 ペインは痛みで手を抑えた。


「ああ、どうしよう、ペインの手が」


 私はカッターを手離し、ペインの手を取った。カッターも一緒に落下するようで、その場に留まっているように見えた。


「ごめんね。ごめんね」


 私が手を撫でると、ペインの手の傷は治っていった。私はそれをみて喜び、ペインの顔を見たが、ペインはまるで遠くを見つめ、何かを憂いているようだった。 


「どんな時でも君の気持ちを優先しようと思っていた。それが君の味方である証拠だと」


「うん?」


 私は突然独り言のように呟くペインに、優しく首を傾げた。


「まだ生きていけるかい?」


 何故だかその言葉が酷く胸に刺さった。


「……ペインも一緒?」


「ああ、約束する。ボクはいつだって君のためにあると」


「わかった。私、頑張るよ」


 私が微笑むと、ペインは悲しそうな、嬉しそうな、曖昧な表情を向けた後、私を抱きしめてくれた。


「君はもう自分を傷つけちゃいけない。いいね?」


「うん」


「人を傷つけることを恐れちゃいけない。もし何か罪があるとしたら、それはボクが背負うと誓おう」


 私はペインの胸に包まれるよう、頬と腕でしがみついた。それは私の望むことではなかった。でも、ペインが望むのなら、そうするべきだと、私は思った。


「わかったよ。でも、半分こ。約束だよ?」


「……仕方ない、そこで折り合いをつけよう」


 ペインは下を向き、永遠に遠のく夜空に向かって大声を出した。


「おい! 聞こえただろう! ボクと咲良の半分ずつをくれてやる。だからこの永遠を終わらせろ!」


 咲良。そうだ、私は咲良だ。名前も、誰なのかも、何が起きていたのかも忘れていることに今気がついた。

 ペインが叫ぶと地面が急激にちかづき、私はついに____


「っは!!」


 息は荒く、体は熱した鉄板を押し当てられたように痛むのに、酷く芯まで凍えていた。

 ここはどこだ。辺りを見渡すと、狭いログハウスのような所に私はいるようだ。裸の状態で、猫のぬいぐるみだけを、自分より大切に抱きしめていた。


「ペイン……」


 どうして忘れていたんだろう。子供の時から、私が唯一大切にしていた宝物だ。これだけは離さずにいれたようだ。

 私は死にたくなって夢を見て、夢の中で死んでいたんだ。きっとペインが来てくれなかったら、私はあそこに閉じ込められていた。

 どうしようもなく涙が溢れてくる。腕でそれを拭うと、体についていた泥が目に染みた。  


「おい、起きたぞ。殺す前にもっかいヤらねーか?」


「んー。そうだな。そうするか」


 汚物を撒き散らすような汚い声が聞こえた。身体中が痛い。男2人は一度着たであろうズボンとパンツを下ろし、私の方に近づいてきた。私は恐怖で身震いした。


 __ボクは君の味方だ__


 ペインの声が頭の中で反響した。そうだ、約束したんだ。ペインと一緒に生きていくと。この罪を共に背負ってくれると。


「後で必ず、治すから」


「は? 何言ってんだ。いかれちまったか?」


「夜1人でぬいぐるみ持って徘徊するような女がイカれてないわけないだろ」


「はは! 違いない。顔と体は良いもん持ってるから、勿体無いよな」


 私はペインを引き裂いた。中からカッターナイフが現れる。

 私の中に常にあった自殺願望を閉じ込めてくれていた、私だけの味方。

 キリキリと刃を剥き出し、私は力を込めてそれを握って、大きな一歩を踏み出した。


 完

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弱く光る。 君のためなら生きられる。 @konntesutoouboyou

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