機神創生(五)

 寧楽京ならのみやこ平城宮大内裏には宮城きゅうじょう十二のかどがある。


東面

 北 縣犬養あがたいぬかい門  兵衛御門ひょうえのみかど

 中 やま門    中御門なかみかど

 南 建部たけべ門   大炊御門おおいのみかど

南面

 東 壬生みぶ門   壬生御門みぶみかど

 中 大伴おおとも門   朱雀門すざくもん

 西 若犬養わかいぬかい門  雅楽寮門うたりょうもん


西面

 南 玉手たまて門    馬寮門まりょうもん

 中 佐伯さえき門    西中御門にしのなかみかど

 北 伊福部いふくべ門   近衛御門このえのみかど


北面

 西 海犬養あまいぬかい門   兵庫寮御門ひょうごりょうのみかど

 中 猪使いかい門    不開門あかずのもん

 東 丹治比たじひ門   多天井門たていもん


 この内、北中央の猪使いかい門は不開門あかずのもんとも呼ばれていた。門にはこれら皇家を支える十二の氏族の名が与えられ、十二氏族は門部かどのべとされたが、律令制の制定とともに廃され、職掌は衛門へと引き継がれる。


 東西には最も北に上東じょうとう門と上西じょうさい門が設けられ、この門がひさしのない築地を開いただけの門であったことから土御門つちみかどの言葉が生じ、その東西の大路は土御門大路と呼ばれた。この十四の門が大内裏の外郭の門――宮門きゅうもんで、内郭の門を閤門こうもんという。南中央の大伴門は外郭と内郭の二つの門があり、大伴門部が廃された後、大伴宮門を朱雀門、大伴閤門を応天門と長屋王が改名した。以後、各門には唐名も使われるようになるが、正式に定められたのは平安後期の延喜式による。


 外殿からは、海犬養門あまいぬかいのかどを通れば大内裏にすぐ入れるのだが、元々、この海犬養門は、兵庫寮が近いことから武具の搬入出の専門であり、兵庫寮御門ひょうごりょうのみかどとも通称され、それ以外には用いられないのが通例であった。しかし、外殿の建築以後は外殿と大内裏を結ぶ外殿官人の通用門として例外が認められている。


 阿倍粳蟲あべのぬかむし志我閉阿弥陀しがべのあみだ兵庫寮御門安嘉門を通って、じょうかんへと急いだ。どうも図書使部ずしょのつかいべは半刻以上も方々を探し回っていたようで、舎人皇子とねりのみこを大分待たせていることが分かったからである。


著作ちょさく、殿、お、待ち……あれ」


 息も絶え絶えに阿弥陀が粳蟲ぬかむしを呼ぶ。走ってでも先に行きたい思いがないではないが、阿弥陀も呼ばれているのだから、揃って行く方が都合よかった。阿弥陀が落ち着くのを待ちながら使部つかいべに先触れを頼む。


「先触れを出しました故、ゆるりと参りましょう。たいかん殿はご高齢にございますし」

「すま、な……い、で、すな」


 太史監とは陰陽頭の唐名である。渡殿わたどのにしゃがみ込んで息を整えようとする阿弥陀を横目に、粳蟲ぬかむしも自分の気が急いるのを自覚して、小さく深呼吸をして呼吸を調ととのえた。舎人皇子とねりのみこが二人を召したということは、大野東人おおののあずまひとから何らかのしらせが来たということではないかということが一つ。それと、そこには藤原宇合ふじわらのうまかいか、阿倍首名あべのおびとなが呼ばれているであろうことが一つ。何よりその報せが機神くりがみの謎が少しでも解明されるのではないかということがあった。


 舎人皇子とねりのみこ養老四年西暦720年八月四日9月10日知太政官事ちだいじょうかんじに任じられており、知太政官事ちだいじょうかんじとは、皇族を太政大臣おおきのおとどに任じるということが皇太子または次の天皇すめらみこととして目されるため、これを避けたためのりょうかんである。地位としては太政大臣と同じであり、首相といってもよい。舎人皇子とねりのみこよりも権勢を誇る長屋王ながやのおおきみ左大臣ひだりのおとどであった。左大臣は太政官府の議政官の長であり、議政官とは太政官府の意思決定機関で、太政大臣や知太政官事ちだじょうかんじ則闕そっけつの官――相応しい人物が居なければ空位とする官位であったのに対し常在の官であり、実務の長といえた。


 太政官府には三大臣の御座があり、今残っているのは舎人皇子だけである。舎人皇子の御前には右手に神祇伯かんづかさのかみ兼右中弁・中臣人足なかとみのひとたり、左手に兵部卿つわもののつかさのかみ阿倍首名あべのおびとな、正面に陸奥少掾むつのしょうじょう佐伯阿良太さえきのあらたが坐っていた。皆の視線は二つの三宝に注がれている。左の三宝には帛の上に桐箱が載せられており、右の三宝には刀であろうか布に包まれた細長いものが載せられていた。


「大変お待たせいたしました」


 部屋の外で粳蟲ぬかむしと阿弥陀が平伏している。鷹揚に舎人皇子とねりのみこが頷くのをみて、阿倍首名あべのおびとなが応じた。


「よい。これへ参れ」


 二人は佐伯阿良太さえきのあらたの左右にはべる。阿良太の右手に阿弥陀、左手に粳蟲ぬかむしが坐った。すると音を立てず阿良太が少しだけ後ろに下がる。粳蟲は怪訝な顔をするが、阿弥陀が黙って頷くので、何も言わずに流した。


「これで揃った。佐伯少掾、悪いがもう一度話してくれ」

「畏まりました」


 粳蟲ぬかむしと阿弥陀が舎人皇子とねりのみこに会釈して、阿良太へと向き直る。再会の挨拶は後回しだ。


「春に陸奥へ赴任いたしまして、多賀城たがのき周辺の由緒の分からぬ神社をしらみつぶしにあらためることにいたしました――


 粳蟲ぬかむしが先程感じたように、阿良太は由緒不明の神社が実は蝦夷えみしの神を祀ったものであると推察していた。そこで、機神くりがみの発見されたかみさわ附近や多賀城たがのき周辺の神社を丹念に調べたのである。そして三つの神社が浮かび上がった。志和彦しわひこ神社、伊豆佐比売いずさひめ神社、多賀神社である。


 伊豆佐比売神社は神谷沢の近くにあり、多賀神社は多賀城の北にある。志和彦神社はその二つを結んだ同心円の重なるところにあった。伊豆佐比売神社は久那吐クナトが眠っていた場所のほぼ真上にあり、多賀神社には左の桐箱の中身が、志和彦神社には右の長物が納められていたという。


「御神体を持ち出したのか?」


 神祇伯かんづかさのかみである中臣人足なかとみのひとたりとがめるような声を挙げた。職掌からしても当然のことであるが、機神くりがみに関わるかも知れぬとはいえ、神域を荒らしたという認識が先立ったのだろう。


「いえ。どちらも御神体ではございません。奉納はされておりましたので、やしろの中には入らせていただきましたが」


 悪びれずに頭を下げる阿良太に人足ひとたりが鼻を鳴らした。それをみた舎人皇子とねりのみこが取り成す。


人足ひとたり、これは主上おかみの意思なるぞ」

「申し訳御座いませぬ」


 人足ひとたり舎人皇子とねりのみこに頭を下げると、皇子みこはよいよいといって頭を上げさせた。人足ひとたり神祇伯かんづかさのかみとしての立場からの言葉であり、阿良太のしたことを批難している訳ではない。


「この三社はくにかみ――蝦夷えみしの神を由緒とする神社かと存じます」


 阿良太の話は続く。まず最初にあらためた多賀神社は、機神くりがみが発見された洞窟の近くにあり、そこに奉納されていたのは玉のように美しい黒い鋼であったという。


「それが此れにございまする」


 蓋を開けると、七色の光が溢れている。光があたって虹色に輝いているのではなく、黒い鋼そのものが虹色の光を放っているのだ。


「な、なんだこれは?」


 動揺した声を首名おびとなが挙げる。完全な球体ではなく、複雑に絡み合ったような歪な球体であり、大きさは掌よりやや大きい。阿良太は袱紗に包んだまま、箱ごと除けて中身を三宝の上に置いた。


天降玄鋼あまふるのくろはがね

「ご存知なのですか?」


 呟いたのは人足ひとたりである。阿良太は皆の驚きが一段落するのを待ってもう一つの包を開こうとするが、その前に人足ひとたりの口が開いた。


「いや、知っている訳ではない。言い伝えにそのような物が奉納されたことがあるという話を聞いたことがある。天から降ってきたもの故「天降あまふる」であるとか」


 阿良太は頷いて、それ以上は問わなかった。この場は話を先に進めるのが良いと判断したからである。蓋を置いて、細長い包みを持ち上げ、スルスルと布を剥いでいった。


「こちらは刀と言えるかどうか分かりませんが……」


 そういって三宝に置かれた物は右に二つ、左に一つと二つの突起がある三叉の鉾のようであった。こちらは流石に知らなかったのか、人足も阿良太に先を促す。


「これは?」

塩槌刀しおつちのたちと言うようです」


 祀られている神の名前が塩土神しおつちのかみとあり、日本書紀にある塩土老翁しほつちおじのことであると地元でも考えられていること、そして日高見の神に「潮槌シホツチ」なる神が居たという。


「我らの一族にも赫槌カクツチ――日本書紀では火産霊ホムスビでしたか? という神が居ります」

少掾しょうじょう、つまりこれらの品は機神くりがみにまつわる品であるということでよいか?」


 佐伯阿良太は肯いた。阿弥陀は神話に詳しくないため話が分からなかったようだったが、粳蟲ぬかむしにとっては機神くりがみ解明の機会が巡ってきたと思えた。それも大きく前進しそうである。


「では早速外殿に持ち帰り――

「待たれよ、著作ちょさく殿」


 粳蟲ぬかむしの言葉を遮ったのは、人足ひとたりであった。老骨には相応しくないだいおんじょうである。切迫した表情と厳しい口調に緊張が走った。


「これは、主上おかみに献じたのち、社殿に奉納という形を取るべきかと存ずる」


 舎人皇子とねりのみこが大きく肯いた。首名も阿弥陀も何度も肯いている。首を傾げて事態を理解していないのは粳蟲ぬかむしだけであった。


 数日後、聖武帝しょうむのみかどより、二つの献上品が新社殿に奉納され、外殿は正式に「けんりん殿でん」という名に決まった。それに伴い陰陽寮別院・図書寮別院・兵庫寮別院を纏めた枢密局ひするとぼそのもうしが令外官部局として新たに設けられ神祇官かんづかさの附属部局とされたのである。

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機神〜KURIGAMI〜寧楽絡繰奇譚 月桑庵曲斎 @darkpent

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