断てぬ縄、断たぬ縁(前)
【昔、あったずもな】
始まりは、御春が5歳の頃であった。
ある日のこと、彼は幼馴染と神社の境内で縄跳びをして遊んでいた。すっかり日が傾き、そろそろ帰ろうかと思い始めたとき、赤い縄を軽やかに飛び越えていた幼馴染が妙なことを言い出したのだ。
『ねえ、ケッコンって分かる?』
『ケッコン?』
『あたしのお父さんとお母さんも、あんたのとこの親もケッコンしてんだよ』
幼馴染が言うには、結婚とは仲の良いふたりが一生共にいるためのおまじないだという。明らかに聞きかじっただけの知識の曖昧さに一抹の疑念を感じる御春の鼻先に、彼女は小指を突き出した。
『ケッコンは仲良しの中の一人としか出来ないんだって』
『したっけ、燎子とか伊織でもいいべや』
『御春がいちばんケッコンできなそうだから!ネクラだし、友だち少ないし!』
だから結婚を“してあげる“と、妙に偉そうに語る幼馴染だったが、これが彼女という人間の常だった。
『なに、やんた(嫌だ)の?』
『やんたくはねえけど……そのケッコンってどうやんのや?』
『え?うーん……ゆびわをあげる!』
『んなの持ってねえよ』
『あたしだって……あ!あとね、ケッコンする人は、小指が赤い糸で結ばさってんだって』
尚のこと胡散臭い方角に話が進んでいくが、幼馴染はお構いなしとばかりに「うちで赤い糸探すべし」と、神社を少し下ったところにある家を指差した。
これも普段通り。娯楽に疎く好奇心の薄い御春に対して、彼女はいつも様々なアイデアを持ってくる。赤い糸が見つかるような場所といえば裁縫箱だろうか、勝手に漁って怒られはしないかと現実的な思考を巡らせていると、御春の目にあるものが止まった。それは、先程まで彼女がさっきまで綾飛びの練習をしていた赤い縄だ。
『なあ、それって……糸でねえとだめなのか?』
開け放した窓から、校庭の喧騒が微かに聞こえてくる。弥沼のそれよりも生温い風を浴びながら、御春はノートに文字を書きつけていた。
「じゃあ頭から書き下ろし文を……綴!」
中年の国語教師に指名され、窓際の一番後ろの席から立ち上がる。背が高いせいで、小学生の頃からいつも席順は後ろの方だ。
ノートを片手に並ぶ机の間を通ると、忍の席へと近付いていく。忍は御春と校庭の方を交互に見てニヤリと笑った。この文章の筋書きと御春の境遇を知っていて、茶化しているのだ。
黒板の前に立った彼は、黒板に書かれた文に迷いなく返り点やレ点をつけていく。
「
これは、唐の時代の伝奇小説集「
話しているうち、ふと韋固は老人の持つ袋の中に赤い縄が詰まっていることを目に留めた。それは何かと尋ねたところ、彼は「この縄に足首を結ばれた者同士は必ず結ばれる運命にある」と韋固に語る─といったあらすじだ。
定婚店は、俗に言う「運命の赤い糸」の原型となった物語であるとされる。
「正解。んでももう少し腹から声出せ」
「はあ」
気のない返事をして、御春は席に戻る。そのとき、校庭から一際よく通る女子生徒の声が聞こえてきた。
「ボールこっち!ほらっ!」
重たげな長い黒髪に黒縁眼鏡─一見大人しそうな雰囲気だが、その表情は非常に溌溂としている。少女の名前は
弥沼町のほぼ全ての町民を氏子として抱え、数百年の歴史を持つ弥沼神社の三女だ。
御春の幼馴染のひとりで、その付き合いは電機屋の娘である
ソフトボールの球を追いかける様子をぼんやりと眺めていると、机に肘を突いた左腕、その小指が校庭の方に向けてぴくりと反り返った。殆ど同じタイミングで、小依が教室棟を見上げる。視線が交錯し、ふたりはどちらからともなく手を振った。
彼らの左手の小指にはそれぞれ、うっすらと赤い痣が浮き出ていた。
「少し早えけど、キリいいから終わっど〜」
教師の宣言とともに号令がかかり、立ち上がった御春は校庭から目を離す。しかしその小指だけは、校庭の方を目指すように不随意に動き続けている。
号令を終え席に座ると、忍が跳ねるような足取りで近付いてきた。
「お前、授業中にイチャついてんじゃねーよ」
「別に何もしてねわ。目合っただけ」
「それがイチャつくって言うんだよ」
彼は空中に手を伸ばし、何かを弾くような仕草をする。
「相変わらずぎっちり結ばさってんな」
「……いい加減どうにかなんねかな」
痣が染み付いた小指。御春と小依のそれは、赤い縄で固く結びついているという。
幼い子どもが結婚の約束をする。誰もが一度は体験したことのある、他愛無い思い出。御春もまた、ほんの軽い気持ちで彼女とそういった約束をしたことがある。縄跳びの赤い縄を結びつけ、指切りをして。
それは幼子の児戯であり、そして紛れもない呪術であった。楽しい気分で家に帰った途端に曾祖母は血相を変え、神社から電話がかかってきた。
約束以来、ふたりの指には赤い縄が絡みついている。神主曰く、軽率に切ってしまうと障りが出るかもしれないということで、今に至るまでこの縄は結ばれたままだ。
ふたりはただの幼馴染で、交際すらしたことがない。しかし他に相手もなく、小指が時々痙攣する以外は生活に支障がないため、特に気にするでもなく今日まで過ごしてきた。
しかし最近、そう悠長にも言っていられない事態が起きつつある。
「っ……!」
小指がぐいっと引っ張られ、強く痛んだ。
「あー、いってえ」
高校に入り、町の外に出るようになってから、このような現象が起きるようになった。ふとした拍子に小指が折れそうなほど反り返り、きつく締め上げられて痛むのだ。原因は不明─みるみる血色の悪くなる指を眺めながら、御春はため息をついた。
「いい加減切らねえと指が腐る」
「運命の相手わせんな(忘れるな)よっていう牽制だっちゃ。受け入れろよ」
他人事の忍は、小指をくいくいと曲げながらからかうように笑う。
「運命の相手って……ただの子どものまじないだからな」
「おまじないで、“見えるようになった”だけかもよ。んだって、縁の赤い縄ってのは生まれつき結ばさってんだべ」
彼の指が、黒板に残った定婚店の一文を指す。
「見せてやりてえよ、神主さんが切んの躊躇った理由がよく分かっから」
「……切るんでねくて、他のやつと結ぶとか」
「なしてオレの方見んだよ。やんたわ(嫌だ)あんなオカルトマニア、命が百個あっても足りねえ」
赤い縄の件で分かるとおり、小依は神社の娘らしい知識と、そうとは思えないほど簡単に呪術やオカルトに手を出す軽率さを持ち合わせている。
霊感の強い忍も度々それに巻き込まれては、幾度となく逃げ回っていた。
「……試しに解いて見てけれね?」
「ええ〜……触りたくねえ」
そう言いつつ、忍はおっかなびっくり小指に手を伸ばし、何かを引っ張るような動作をする。その度に、指の皮膚には何かが擦れるような感触があった。
「取れっか?」
「取れたら苦労しねわ。くっそ堅結び、伊織がやった蝶々結びみてえ」
「あ?」
御春の隣で居眠りをしていた伊織が、むくりと身を起こす。
「お前コレ見えてんの?」
「何が」
「運命の赤い糸」
「……ボロい注連縄みてえな匂いはすっけど」
彼はすんすんと鼻を鳴らしたあと、顔を背けてくしゃみをした。
「燎子も見えねえって言ってたし、俺マジですごい?現代の安倍晴明かも」
「安倍晴明って霊感あんのか?」
「陰陽師だぞ、ねえ訳ねえっちゃ」
「あ〜、いてえ……」
くい、くい、と廊下に向けて指が引っ張られる。「運命の相手」とやらは、どうやら校庭から教室棟に戻ってきたらしい。
「御春!」
廊下と接する壁に取り付けられた窓から教室内に身を乗り出すのは、汗で濡れた髪をポニーテールにした小依だった。
「あんたさぁ、絶対引っ張ってるべ!」
彼女は小指を擦りつつ、大股で御春の席までやって来る。その声はよく通り、クラスメイトの視線を集めた。
「マジで指千切れんだけど!」
「こっちの台詞だ」
「忍、見えんなら取って」
「その会話さっきしたよ」
「伊織、寝てないであんたも知恵出してよ」
「ハサミで切れ」
それで解決していたら、もうとっくにふたりを結ぶ不可視の縄は消えているだろう。
「てか、あんた普段怪異をどうこうしてんだから、なんかうまいことやってよ」
「お前だって神社の娘だべや」
「あたし三女だもん。跡継ぎ姉ちゃんだし」
腰に手を当て、彼女は堂々とそう言い切った。自分に都合の良い理屈を捏ねて我を通そうとするのが、小依という少女だった。御春はこの奔放ぶりに幼い頃から振り回されている。
「はあ?そもそもお前が結婚するとか言い出したんだど、お前が何とかしらい」
「あんただってやんた(嫌だ)って言わなかったっちゃあ!」
「おふたりさん、皆見てるよ」
結婚だなんだと言い争うふたりに、クラスメイトの視線が刺さる。恋愛に敏感な年頃の高校生は、彼らの関係に興味津々だった。
「めんどくせな、お互いさっさと別の奴と付き合ったらいいべっちゃ」
眠りを妨害されて不機嫌な伊織の一言に、御春と小依は顔を見合わせた。
「それだ」
彼は誰時、語られるもの 伊瀬谷照 @yume_whale
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。彼は誰時、語られるものの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます