後編


 警察署の前に置かれた美しいオブジェは、一件ただの芸術に思えた。通行人もまた同じで、何かの催しだと思ったのか、皆一様にスマートフォンで写真を収めていた。真夜中に設置されたそれはいつの間にかにあったらしい。


 非番の警官がそのオブジェをマジマジと見て、悲鳴をあげるまで、誰もそのオブジェの本質は分からなかった。


 十字架に打ち付けられ、中世ヨーロッパのような赤い豪華なドレスを着た人物。


「鈴木 まさる。29歳。職業は当警察署に務める警官だ」


 分かりきった事を繰り返す捜査部長を睨みつけるように、美しい男は捜査資料から顔を上げた。休暇していた最中、同期であり自分のバディが行方不明になった。

 そのバディが今朝成れの果てと化して、出てきたのだから。


 剥き出しにされた死体は、死体とは思えないほど血色の良い色をしていた。そして、見開かれた美しく大きな瞳は綺麗に加工され、陶器のように加工された肌まるでビスクドールのよう。


「夢野」


 海外から帰ってきたばかりの同期の本田は、今回夢野とバディを組む。同期の無念を晴らさせたい俺たちの気持ちを汲んでくれたのだろうか。


「夢野、絶対捕まえよう」

「うん、何があっても絶対……絶対ね」


 2人の警官は、死体を元に戻す。

 大好きな親友に笑って会う時は、解決した時だといいと心に誓いながら。





 とある山道。

 音楽が漏れ出ている車が走っていく。


「聖兄さん、肝試しって、今昼間じゃないっすか!」

「うっせーなー! 夜なら行かねぇだろ!!!」

「たしかに……」

「てめぇ、納得するのか!?」

「じゃあ夜に行きたいか!?」

「死んでも嫌っす」


 大学生の夏休み。

 車の中には5人の男が乗っていた。

 肝試しがしたいと言い出したキツネ顔の聖に連れられて、聖の弟である真ん丸顔だが可愛らしいの中学生の良太、良太の友達であるアメリカ人とのミックスであるラリー、聖の友達である馬顔イケメンの馬場とイケメンの犬顔の南田で車を走らせた。


「ラリーも、夜は嫌だよな」

「うん、そもそも肝試し、嫌いですね」


 良太は仲間が欲しく問いかけると、ラリーも不機嫌そうに言い放つ。

 二人としては、海水浴場に行くって話だったのにとへそを曲げている。

 しかし、そんな彼らに対して返事はなく、今人気のグループのパーティーソングだけが車の中に響いた。





 潤は、遠くで錆びた扉が開く音を聴いた。持っていたパソコンから監視カメラの映像を開けば、馬鹿な人間達が4匹ほど。映像特価の安いカメラのせいで雑音は酷いが、話し声も僅かばかし聞き取れる。


  『お……いい感じの廃墟だわぁ……俺様センスある〜!』

 キツネ顔の男は楽しそうにそんな話をしている。


  『けど、朽ちては居ないよね……手入れはある程度されてる感じだよね』

 外国人っぽい顔の少年は、しみじみとその建物を見ている。

『わぁあああん! 怖いよおおお!!』

 馬顔の男はうるさく叫び、いつもは冷静な潤ですらスピーカーが壊れるかと思わず顔をひきつらせる。


『いきなり叫ぶ馬場さんのが怖いよ! あ、ラリー僕から離れないで!』

『良太、ごめんごめん』

 丸顔の少年は、その声を浴びたせいか大声で叫んでいた。


 ああなんと、随分のアホどもだ。潤は思わず顔を引き攣らせる。

 しかし、見目は麗しいのが3匹と、マニア向けのが一匹というのは良い。すぐさまキャプチャーを撮り、慣れた手つきで4匹の姿のみサイトに上げる。


「さあ、久々のオークションだ」


 すぐに上がっていくアクセス数、そして、始まった入札数を見ながら、潤はにやにやと楽しく笑った。


 不法侵入者は容赦なく狩れ。師匠の教えだ。



 カタンッ


 館の中を進む聖は、物音に驚き、静かに後ろを振り返った。すると、一番後ろを歩いていたはずのラリーが消えていた。

 聖の振り返りに気づいた馬場と良太も連鎖するように後ろを向き、その大きな異変に気づき声を上げた。


「お、おい! ラリー、あれほど僕から離れるなって言ったじゃんか! 出てこい!!」


 聖の声に対しての返事はない。


「おーい!! お兄ちゃんたち怒らないからあああ!!」


 馬場の泣き声のような叫びにも、帰ってくるのは反射したその声のみ。


「と、とりあえず、戻ってみます?」


 2人の横でここにいても埒が明かないと、仕方なく逆向きに歩く。そして、入口まで戻ればそこは固く閉ざされていた。


「え? 俺らって扉閉めた?」

「いや、閉めてない……」


 そして、良太と馬場はまた1つ異変に気づく。後ろを振り返れば、そこにすでに聖はいなかった。


「に、兄ちゃん!! どこ!? 脅かすために、ラリーとどうせ企んでたんでしょ!?」


 先程まで冷静だった良太にも焦りが見え始める。普通ならしないのに、馬場と手を繋ぎ、固く握りしめあった。


「良太くん……この館ってほんとに、廃墟なの?」

「わ、わかんないよ、聖兄ちゃんだけが知ってるよ」


 扉は誰も閉めてない。それだけは、2人とも確認した事実だった。






 酷く冷たい空気が漂う山の中。

 二人の男はその洋館に辿り着いた。


「ああ、早く捕まえて新しいピアスでも買いたいよ」

「そうだな、俺もスーツがほしい」


 夢野と本田はその洋館を見つめる。金メッキが剥がれ、ところどころ銀色の部分が出ているピアスを弄る本田と、くたくたにヨレたスーツをきた夢野は、早く事態の終息を願うしかない。


 二人は僅かの希望をかけて、ここまでやってきた。


 とある行方不明者5人、彼らがこの山道に入ったかもしれないという情報を入手した。


 ほぼほぼ、勘だった。だから、上長にも二人で行くことしか許可が貰えず、一日経って連絡が無ければここまで迎えに来てもらうことになっている。


 まず一頻り手分けして庭を捜索するが、特にめぼしいものも無く、仕方なく館の中に侵入する。不法侵入罪に当たるかもしれないが、そこは後で誤魔化そうと思っていた。


「夢野、僕は上から行くよ」

「俺は下で行く」


 階段を上る本田を尻目に1回の部屋を開けていく。いくつか開かない部屋もあったが、物音だけは確認し、空いてる部屋をとにかく片っ端開けていく。


 2階に行くと、またいくつかの部屋が並んでおり、順番にあけていく。特に何も無いがキッチンには比較的新しい食料があり、やはり誰か住んでいるという結論に至った。


 そして、最後の部屋がちゃりと開けると、そこにはたくさんの紙と、白いピアノと、オルガンと、一人の人間がそこにいた。そして、夢野はその男の顔を見て目を見開いた。


「お前、南田聡太そうたか」

「ひっ、い、生きてる……え、お、俺の名前……」


 服としてギリギリ機能しているボロ布をまとい、髭を生やし、やせ細ってはいたが、毎日眺めていたポスターに掲載されてた行方不明者がそこにいたのだから。両足には柱と繋がった大きな鎖が付けられており、どうやらここに監禁されていたようだ。

 まさかの、勘がビンゴしてしまうとはと、心の中で驚いた。


「お、おれのなまえ、なんで」

「俺は警察だ」

「け、いさつ? 警察がなんでここに」

「ここの主に用があるんだ」


 そう伝えれば、南田は目を丸くした。まさに困惑してるようで恐る恐る口を開いた。


「ここから、出れるんですか?」

「……たとえ俺が死んでも、俺が帰らない場合は明日ここに、他の警察部隊が来る」


 夢野はそう笑って、南田の手元にある紙に目がいく。


「それは?」

「こ、これは……その……」


 夢野は奪い取ると、その紙に書かれたものを読む。それは注文書で、注文者情報、オーダー内容、振込口座が記載されていた。


 しかし、そのオーダー内容に目を見開いた。


「なんだこの、死人形化って、性器形成とか、眼球加工とか」


 夢野がふと南田を見れば、彼は随分青ざめた顔でこちらを見ている。


「ここは、人を売ってるのか……?」


 南田は口を閉ざして、俯いた。

 それはある種の肯定。

 そうか、人を売っていて、しかも死体の加工をするのが仕事なのだということを理解した。あまりにも外道だ。自分の胃酸が逆流し、喉を焼く。しかし、吐くわけにいかず、必死に飲み込んだ。


「なにか知ってることは?」

 苦しく藻掻きそうになりながら、夢野は南田に尋ねた。南田は少しばかり視線を彷徨わせた後、仕方ないと言わんばかりに口を開いた。


「美しい、人形を、あの男は、作るんです。俺も、友達たちの人形になった、姿を見ましたから。俺も、いつか、人形になるそうです、いつか」


 震える声で教えられた真実は辛く悲しいものだった。



 南田はこの屋敷に囚われた。

 腹痛のため車で横になっていたが、いつまでも帰ってこない仲間を心配し、屋敷に入っていたところを捕まった。

 その際に最大限に抵抗したせいで、顔面にも足にも怪我だらけになってしまい、全身拘束具をつける羽目になった。

 それが功を奏したのか、南田はまだ殺されていない。なぜなら、オークションにて買った男が「もう少し華奢にして、怪我も治ってから加工してくれ」と注文をしてきたからだ。


「傷を直すには、転がすしか無い」

 肌加工も出来るが、変態きゃくとしては生身の皮がいい。


 南田の顔が相当好みだったらしい変態は、その分前金はかなりの弾んだものとなっていた。

 潤は仕方なく、この素材……南田の飼育を唯一まともな部屋であるピアノの部屋にて始めた。


 この部屋でわずかな食料と水分を与え、毎日怪我の部分や体の至る所をチェックする潤。たまに、オルガンを弾いては、静かに白いピアノを眺めていることもあった。


 白いピアノとオルガンには、足の鎖が邪魔をして一向に近寄ることはできず、遠くから眺めるしかないが。


 そして、出荷される作品を南田に見せた。

 最初は聖だった。

 人形化され、裸のまま出荷される友人。無機質な黒い目は、既に光がない。

「ラブドールとして、中は極上にだとよ、まったく変態な客だ」と潤は淡々と告げた。南田は、泣き叫びながら胃の中のものを全て吐き出した。数日は食欲も出ず、潤によって無理やり食わされたほどだ。


 2作品目は知らない女だった。

 メイド服を着ていた。「自分の娘を素材に出してくるとか、世間は分からないよな」と男は笑った。混乱した俺は二日ほど眠れなかった。


 3作品目は、馬場だった。

 まるでアメリカの人形のようにカウボーイ服を着て、しっかりとポーズを決めている。目を見開き口元だけが笑っている。あまりの異質さに固まっていれば、「自分をバービーだと思ってる変態がいてな。悪趣味だろ」と嫌悪感丸出しで、まるで、特大の人形のパッケージのような箱に入れた。一晩中、南田は泣いた。


 ……そして、何作品目かは忘れた。何度かひどい悪趣味なものを見せらて、記憶が曖昧だった。

 たぶん、2桁行ったかどうかくらいだ。


「会いたかっただろ?」


 男が連れてきたのは、可愛らしい装飾をした車椅子に乗り、ベビードールを着せられたラリーだった。ただ、ほかのメンツと違うのはぱちぱちと瞬きをして、俺を見て涙を流した。手をこっちに伸ばすが動けないようだった。


「ラリー! おま、え、生きてて!!」


 そう叫ぶと、ラリーは口をぱくぱくと動かした。微かに音を発するが、まるで声帯を切り取られた犬のようだった。


「ら、ラリーに何をした……!」


「なんだ、この部屋の書類読んでないのか」


 くすくすと笑った男は、ラリーの頭を撫でた。


「こいつは生きたまま人形になった。声帯を切り取って、脚の腱を切ってな」


 潤はニッコリと笑った。泣き叫ぶ俺に男はそのまま部屋を出ていく、鎖が伸びるギリギリまで駆け寄るが寸前で床に転ぶ。

 ラリーは悲しく手を振って、潤に押された車椅子のままどこかに連れてかれた。


 南田とラリーはそのまま今生の別れとなった。


 その日からも変わらず美しい人形を南田に見せては、その反応を楽しんでいた。

 更には1度は人を目の前で解体した。血抜きした人間の腹を割り、中身を見せる。


「人間の腸ってよくクネクネしてるように見えるけど、実際はこうやって汚くねじ曲がってるんだぞ」


 なんて笑いながら腸をなぞる。南田は胃酸を吐きながら、目を反らそうとするが機械で頭と首を固定されており、目をそらすことは出来ない。


 部位を説明しながら解体していく男は、ある程度解体すると南田に向かってニッコリと笑った。


「お前は1等綺麗な人形にしてやるよ、こんな廃棄物なんかとは違って。綺麗な人形になる。」


 未だにあの時の台詞は夢にも出てくるくらいだった。と、今までの事を南田は夢野に話した。



「あの男の、手腕はピカイチですよ。ほんと、美しい人形に仕立てられます……ほんとに、まるで美術品です……」


 南田の説明に、夢野は酷く狼狽えた。その男は同じ人間なのだろうかと思ってしまうくらい信じられない話だった。


「その、作品の中に、これを見たことあるか」

 しかし、狼狽えてるばかりではいられない。

 俺は震えながら、胸ポケットにある警察手帳を取り出し、中に挟んでいた鈴木の写真を見せる。

 南田は暫く考えたあと、何かを思い出したのか紙の束を見始め、「これでは?」と1枚の紙を渡してきた。


 それは注文書ではなくて、設計書だった。


「試作品、808……?」

「たまに、試作品作ってます、長期保存ができるようにって……」


 皮肉なことに鈴木の誕生日が、試作品番号として振られていた。頭を抱えながら読む。その設計書の最後一文は汚く、1部変色で失敗、宣伝用に使う。


 グシャリッ

 握りしめた場所に皺がつく。


 ふるふる震え、怒りのやりどころのない力が、設計書にかかる。

 重要な証拠だけれども、親友をそのようなことに利用するために殺したことは到底許せはしなかった。

 ただ、警察として事態の終息と、こんなことに金を出している糞な人間どもを全て制裁せねばと、夢野は紙が積んである部屋を見渡した。


「……くそ、この書類を持ち出して特定するしかないのか」


 重要な証拠となる積み上がった紙に対して、夢野は舌打ちをする。1人2人では簡単に運び出せる量ではなかったのだ。


「とりあえずだ、あの男を捕まえるしかない」


 優先順位を整理した夢野は南田に向き直ると、口を開いた。


「次は斧とか持って来るから、少し待ってろ」

「はい」


 その鎖ぶった切ってやるという意図の宣言をして、その部屋から飛び出す。そして、階段を見上げた。登るしかない。虱潰しに行くしかないのだ。もしかしたら、本田が先に上で待ってるかもしれない。


 夢野は男を探し回った。ほとんどの部屋には何も無く、人の気配さえしない。そして、気づけば最上階に着いた。


 そこには部屋はたった1つしかなかった。豪奢で美しい扉があった。ここにやつがいる。拳銃の玉を詰め入れて、その扉に近づこうとした。


 しかし、妙な熱気と匂いがその扉からやってきた。その異変に足を止めると、扉が軋む音を立てて開き、あの男が現れた。


 その手には日に燃える蝋燭がついた燭台が握られている。


「じゃ、ま、だけはさせない」


 扉が燃え始めた。

 こいつ、火をつけやがった。夢野は照準を合わせながら後ろ向きで退路を確保する。

 ゆらゆらと歩く潤は、この館でのことを思い出していた。邪魔だけはさせない。邪魔だけは。


 だから、錯乱させようと潤はポケットからとあるものを夢野の足元に投げた。


 なんだと見れば、それはよく見たことがある金メッキが剥がれたピアスをつけた左耳だった。


「……本田?」


「ネズミの末路だ、早く出ていきな」



 絶望が夢野を包む。この耳があるということは、彼はもう既に。

 あまりのショックに動きを止めたせいで、ゆっくりと着実に詰まる距離。しかし、夢野から生ぬるい感情が消えた。


 バンッ!!!

 銃弾を1発ぶち込んだが、すんで躱され、潤が持っていた燭台で手元を弾かれた。拳銃は遠くに飛んでいく。しかし、容赦なく振りかざされた燭台を、夢野は思わず手で払い除けて、それを吹き飛ばす。


「てめぇだけは、許さねぇ! くそ!」


 燃え始める館。それでも、目の前のこと男だけは、始末しなければならない。床に転がった拳銃がなくても、何度蹴られても、それでも始末してやる。


「とおさねぇ、このさきは、絶対」


 血走った目は動向が開ききっており、この先の部屋に行かせないという気迫だった。あの部屋にはあの男の宝物が眠っていると、南田が言っていたが、一体何なのかはわからない。


 夢野は、凶器を持った潤の両手首を掴み、何度も頭突きを食らわす。頭から流れる血が目玉の中に流れ込んでくるが、それどころではなかった。

 その時だった。足音がした。


「いたっ!!!」


 その声は、まさに南田のもので、繋がれた部屋からどうやら逃げてきたらしい。


 そっちならもしかしたら。


「夢野、撃て!!!!」


 力一杯叫んだ。こんなにも叫ぶことは人生になかった。

 そして、次の瞬間銃声が響く。

 炎の中、どさりと床に転がる音がした。





「ガイシャの供述は?」


 壮年の男が若い男に声をかけた。


「ああ、どうやら警官と相打ちだったようで……優秀な警察官が2人も」


 死んだ2人は出来た男達だった。友情のために寝る間も惜しんで調査をしていて、そして、真理に辿り着いた。あの時、彼ら二人だけで行かせた自分の判断を思い出しては、懺悔することしか出来なかった。


「でも、仇はとれたか……まあ、あの現場からどれが黒星・・の灰なのか分かったもんじゃないけどな」


 館から燃え上がった火は風に吹かれ、木から木へと燃え移り、山を盛大に焼いた。舘は金属片と死骸の骨のみを残し、ほとんどのものを焼いてしまった。


 館の中は凄惨だった。掘れば当たる、骸骨に。何人もの警官が、心をすり減らし、何人かが心を壊すくらいには、恐ろしい現場だった。


「そうか、でもあの火の中じゃ助かっただけでもよかったな」

「ええ、ほんと山の中に隠れていたらしくて、見つけた時は酷く怯えてましたね……」


 男達は生きる証人としていた1人の南田という男のことを思い出した。唯一の目撃者であり、第一容疑者であった彼だが、長期的栄養失調と足にくっきりとついた鎖の跡、以前のビスクドール事件の時のアリバイ証明、総合的に見て彼は被害者であると判断した。


「親御さんも安心してたようでよかったよ」

「けど、ほかの人たちは結局……」

「この彼の供述通りだと、見つけるのはむずかしいだろうな」


 調書を少し読んで、目を瞑る。彼の友達は全て作品として売られたと言っていた。生きたまま売られたものもいるらしいが、殆どは彼が見た時には、とのことだった。


 少しでも彼の心が癒えてくれたらいい。


 これから、カウンセリングに向かうと言っていた彼の背中を男は思い出した。



 


「ああ、これで、これで俺だけがあなたの人形になれます、俺待ってたんですよ……早く元気になって、はやく、おれをあなたの人形にしてくださいね……! もう俺だけを、あなたの人形に……!」


 粗末なベッドの上、壊れた男はそこに横たわる男に縋り付く。横たわる男はピクリともせず、目を閉じたままそこにいた。今いる家は、師匠から潤が受け継いだ隠れ家的一軒家だった。部屋にある資料をこっそり読み尽くした南田は、何度も読んだこの家の住所をしっかりと覚えていたのだ。


 南田にとって、足を繋ぐ鎖なんて随分前に外れるように細工していたものだ。それでも、あなたのそばに居たくて逃げれなかった。恐怖はいつしか潤の作品になることへの誇りになった。潤の生み出すものは全て芸術品として、1級品だった。


 そう雄弁に一方的に語る南田。

 彼は昔乗ってきた車を走らせて、1度この隠れ家に着き、銃声で気絶した潤をベッドに拘束して、その車のまま警察署に向かった。


「助けてください」


 そして、婦警さんに助けを求めた。行方不明者の1人が衰弱して警察にやってくる一大事を起こしたのだ。


 そうして、南田は潤を手に入れた。なんなら、潤の偽名口座も手元にあり、この家の維持費として使用している。潤はどこか世間に疎く、口座の暗証番号を通帳に書き残したままだったのも功を奏した。


 また自由に動けるようにと、部屋に籠るのを怖がるふりをした南田は、比較的自由に行動できるように仕向けた。

 彼は今日もまた潤の手を握り、恍惚とその瞼を開くのを今か今かと待っている。





 ああ、俺がこの男を壊したのか。

 幻の世界に沈む潤は聞こえてきた声に、漠然とそんなこと思った。それも幻なのかもしれない。

 潤は、白いピアノのそばに体育座りをして、静かにその空間にいた。


 懐かしいピアノの音を、まだ聴いていたい。

 幻の中で深く目をつぶった。



 

 

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とある男の話 木曜日御前 @narehatedeath888

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