とある男の話

木曜日御前

前編


 闇夜の森にひっそりと佇む寂れた洋館。耳を澄ますと、微かにその建物の中から音が聞こえてくる。


 館の奥深く、ダイニングルームには大きな白いグラウンドピアノ。寂れた洋館にあるとは思えないほど、美しく眩しい光を放つ。


 そのグランドピアノの横、一人の男が木目が丸出しのピアノを弾いていた。


 黒いスーツに、臙脂色のベルベットグローブを付けて、黒い革靴。


 頭には汚いピエロのマスクを被っている。


 突如として、雷が光を発すると共に鳴り響いた。耳の鼓膜を破るような音。山の天気は変わりやすいのか、スコールのような大雨がずっと降り注いでいる。


 けれど、ピアノの音は止まることはない。ただ、規則的な旋律を男は掻き鳴らすように奏で続ける。

 時に音が外れるが、その奏者は気にすることもなくただ、同じ小節を繰り返した。


 音が外れる。高い音、リズムが不自然に繰り返し、低い音、連弾が混ざり。ぎりぎり不協和音に届かないような旋律。


 けれど、基本的な音は変わることはない。


 そんな男を見つめる開かれた楽譜。埃を被り、紙は黄ばみ、シミが出来ても、そのページから後にも先にも進もうとしない。


 なにせ、男は知らないのだ。この後の指の動きも、音符の読み方も。


 一頻り経った後、微かにゴーンと鳴ったのは古時計に男は、先程の狂騒を忘れすっとピアノを弾くのをやめた。

 そして、部屋から迷いなく出ていく。


「いってきます」



 誰に向けられたかわからない言葉を吐いて、洋館の鍵を閉めた。



 気づいたら、朝を過ぎて昼に差し掛かる。

 男はピエロの仮面を床に投げ捨てて、隠し階段を開けて、地下室に大きな袋を引きずっていく。その男の顔は、空虚で涼やかな美しさを感じさせる顔立ち、その青白い額には汗が滲んでいた。

 降りた先の地下室は、まるで手術室を思わせるような作りやモノの配置になっており、鼻が曲がりそうなほどの消毒液の香りが充満していた。


 でも、すでに男の鼻は慣れきってしまい、何も感じないほどに馬鹿になっている。

 一切無駄な動きもなく、部屋の真ん中にある手術台の上に大きな袋をドンッと置いた。


 手術台に乗せられた大きな袋。


 開けると、そこには血の気がなくなった人間が入っている。


 いやもう、人間だったモノと呼んだ方がいいだろう。長い睫毛と体格のいい身体、着ている服は警官服であった。


 男は手馴れた手つきで外し、来ていた服は全て横に置いていた水につける。

 不要な電子機器はその場や適当なところに撒いたが、念には念をと男は昔そう教えられたのだ。



「今回は、これを使ってみよう」


 調合した薬剤を取り出して、死後硬直が始まる前にと身体に処置をしていく。

 腹をメスで割き、中の不要な内蔵は全て取り出す。血抜きは車の中で済ませてきたから、昔のように血まみれになったりすることはなくなった。


 ベイトチェックをすると、予想外にも腹は空っぽだった。なるほど、警察の仕事が長引いたかと笑い、今度は腹の中を別の薬剤で洗う。中を石膏で固めるのだから余分な肉と水分は腐りの元だと、また懐かしい声が頭の中で木霊した気がした。


 作業を始めて、何日経っただろうか。完成したそれを見つめる男は、隈を作り、髭もボツボツと生えていた。

 実験台808号は、まあまあ成功した、といっていいものか悩む出来だと男は1人項垂れる。けれど、ここまで美しい人形を作れたのだから、褒めてもらいたいくらいだ。


 誰に? 俺は1人なのに。


 新しい人形の関節を曲げて、服を着せて、塩酸の中に溶かす前に見た警察手帳の中身を思い出した男は、にたりと笑った。


「たまには、派手なことをするか」



 男は完成された人形を抱えて、部屋を出ていく。そして、久々に浴びる太陽の光を窓越しにだが、眩しそうに見つめた。



 全てを終え、男はまた洋館に戻ってきた。フラフラな体を引きずり、出来合いの弁当と飲み物を持って、洋館の最上階に向かう。そして、廊下をずるずると歩き、奥にある部屋の鍵を開けた。


「ただいま」


 そこには、大きなガラスの棺桶がロココ調の白い台の上に鎮座していた。精巧な造花に埋め尽くされたガラスケースの中には、それはたいそう美しい男性と少年のような風貌の男が手を握り合い眠っている。


 いや、そうに見えるように、死んでいた。


 普通ではない光景だが、男にとってはそれは当たり前の光景であり、心の底から安らぐ場所はここしかないとわかっている。

 弁当を乱雑に開けて、貪るように飯を食らう。ただ、顔は何も映し出していなかった。


「やっぱ、兄さん・・・のご飯以外美味しくないよ」


 ボソリと呟いた言葉は、到底男の見た目にくらべ幼い駄々だ。そういって、見つめた先は美しい男の方。白いドレスを着て、微笑んで血色よく眠る男の方だ。


 そして、久方ぶりにテレビをつける。壊れかけのテレビは砂嵐を度々起こしながら、今日のニュースを流していた。警察署の前に置かれた美しいオブジェの映像がモザイクがかり映し出されていた。


「師匠、あんた、こういうイタズラ嫌いだろ? 」



 今度は少年のような風貌の男の方をちらりと見る。師匠と呼ばれた男は無表情のまま青ざめた肌を晒し目を閉じている。もちろん、返事など到底ない。けれど、男は満足だった。満足したのか鼻歌を歌い始める。それは、いつもピアノで弾いているあの曲。


 そして、そのガラスケースの前でゆっくりと横になった。



 男は、その昔親に捨てられた孤児だった。


 5歳の頃、ネグレクトしていた親が、邪魔なのは捨ててしまえばいいと山の中へ捨てたのだ。

 山の中を怯えながら裸足で歩いたのは、今思い出しても辛く寒く寂しい記憶だ。

 そんな幼くして山に倒れていた彼を保護してくれたのは、この2人だった。


 目覚めると目の前には、長めの髪がよく似合う世界で一番美しいお兄さんと短い髪の無愛想なお兄さんが顔を覗きこんでいたのには、びっくりしてしまい、たいそう怯えていたそうだ。この目覚めた時の記憶は男にはなく、師匠が淡々と教えてくれた内容だ。


「はじめまして、僕は春輝しゅんき。このもう1人のお兄ちゃんは慈恩じおん。で、君の名前は?」

「……わかんない」

「そうなの?」

「よばれたことない」


 その回答は余程衝撃的なものだったらしい。

 その2人から与えられた名前は、「じゅん」という名前だった。


 その日から男の生活は、幸せなものへと変わった。

 慈恩は、表向き作詞作曲のゴーストライターの仕事をしていた。そして、趣味でよく人形を作って、“失敗作”と言っては男に与えていた。

 ただ、ピアノに関しては執着とも言えるなにかがあった。彼が生きていた頃この白いグランドピアノは、春輝は触れることは歓迎しても、男には触ろうとすると烈火のごとく怒り、声を荒らげた。


 常に彼の傍に居る春輝は、公私ともに支え、家事を主に担当していた。春輝の料理は美味しいが、辛いものになると箍が外れしまうことだけは困ったが。

 そして、彼はたまに館からいなくなる慈恩を確認すると、白いグランドピアノに連れていき、俺の横でピアノを弾いてくれた。

 教えてくれたこともあったが、才能がなくて、指が縺れてしまう。根気よく教えはくれたものの、結局男は少ししか弾けなかった。


 この2人が恋仲であることは、幼い自分でも身に染みて感じていた。そして、優しくて美しい春輝に片思いをしていた自分が、即時失恋したことも懐かしい思い出だ。


 そんな2人の子供として、男は愛情たっぷりに育てられた。といっても、潤は2人以外の人間にあったことはなく、潤もまたこの館から出ようとした事もなかったため、あくまで自分達の中での役割としての認識ではある。それでも、あの日々は愛に満ち溢れていたと男は思っている。


 だが、12歳のある日。男は慈恩に呼び出された。慈恩に連れられ、隠し扉を潜り、連れていかれたのは消毒液臭い地下室だった。


 その中の部屋に入るよう言われ、慈恩に着いていく。中は、コンクリートむき出しのシンプルな部屋であり、そこには2つの死体が腹を開けて寝かされていた。

 男はあまりのことで吐きそうになった。


 ただ、その顔には見覚えがあり、誰かわかると吐き気は収まり、ただただ腹の底から笑いたい気持ちがこみ上げてきた。


「久々に見ましたよ、この顔」


 その2人は、男を捨てた親達だった。


「……これから、お前に俺の仕事を教える」

「仕事?」

「ああ、本当のな」


 男の手裁きは華麗だった。無駄なく死体を洗い、適度に完成させ、防腐処理を施していく。何日も渡って部屋に連れてかれ、その工程を見せられる。見て覚えろってことだろうか?

 裏紙で作ったメモ帳に文字を記していく。

 腕が切断されて、球体関節に入れ替えられ、筋肉は断ち、丁寧にしたいから別のものに変えられていく。

 そして、出来上がったのは、2体の人形だった。汚い面に似合う道化のメイクを施し、不格好に椅子に座っていた。


「死体はなんでもいいとか言う、変態きゃくからの要望でな」


「いくら位で?」


「これは500万円。カスタムはほぼないし、死体の指定もないしな」


「へえ、これでも価値あるんですね」


「価値は俺の腕にあるんだよ。この死体なんて、俺じゃなきゃ蛆に食われて、土の栄養になるだけだ」


 淡々と語る慈恩の横で、自分の親の成れの果てを見た男は、ただただおかしくて仕方なかった。


「潤」

「なんですか?」

「今日から俺はお前の師匠だ」



 毎日ではないが、師匠の横で依頼交渉、死体の調達から作成、運搬までを学び続けた。

 様々な動物の剥製を作っては人形化し、師匠に提出した。春輝は勿論師匠の仕事も、弟子になったことも知っており、サポートをしてくれた。


 そんな日々を続けた、男が17歳のある日だった。

 春輝が倒れた。台所で倒れてるのを見つけた俺の悲鳴に、慈恩が慌てて走ってきた。

 慈恩に抱き上げられた彼は、汗をじっとりと流し、荒く浅い呼吸を繰り返す


「……ついにかな」

しゅん

「慈恩、やっときみのに、なれるよ」

「春、いや、まて、おい」


「あいしてるよ」


 師匠があんなにも大声をあげて、咽び泣く姿を見たのは、最初で最後だった。


 春輝は死んだんだと、実感が湧いてくる。ただ、師匠は泣きながらも立ち上がり、その死体を地下室に運ぶ。

 地下室まで着いていったが、入ってくるなと一括された。地下室の扉が閉まる瞬間に聞こえたのは、掠れた一言だった。


「俺もだ」




 1ヶ月後だっただろうか、男が師匠に呼びだされたため、その時間に指定された最上階の部屋に向かう。そこは、2人の寝室だった場所だ。

 春輝の死体にはあれ以来出会えていない。


 部屋に上がるとそこには、蓋が開いた大きなガラスの棺桶があった。


 そこには、美しい白い服を着た春輝とその手を握りしめ、安らかに寝る師匠だった。その腹には手紙が置かれていた。



 潤へ


 お前への最初の仕事を依頼する。

 今俺が死んでる形のまま、人形にすることだ。

 依頼料は前払いだ。白いキャビネットの中に通帳がある。暗証番号は0717だ。お前と出会った日、お前の誕生日だ、わかりやすいだろ。


 いい仕事を期待している。


 慈恩より




 男は泣いた。ただ、そうも言ってられない。慈恩の死体を写真に撮り、その死体を地下室に運んだ。

 それが最初に1人で依頼を受けて1から作った人形だった。

 肌色の退行に関してだけは、師匠の言う通りにできなかった。安らかな表情もどこか硬くなってしまった。


 通帳には目玉が飛び出るくらいの金額が入っていた。


 通帳の持ち主名は佐々木潤。

 慈恩の名字らしい李でもなければ、春輝の名字らしい文山ふみやまでもない。

 何故かそのことは、今も思い出すたびに心が痛くなることだ。

 戸籍についてや、これから生きていく上で必要な情報が通帳と共に置かれていた。

 なんなら、高校を卒業した経歴があるのにも驚いてしまった。

 小学生にもなったことがない自分に学歴があるとは、誰も思わないだろう。


 次に見つけたのは、春輝の手記だった。


 春輝には元々心臓の持病があり、それを抱えながら生きてきたそうだ。

 そして、学校で出会った師匠に一目惚れし、そのまま駆け落ちしたことを知った。

 なんとか、薬を手に入れ治療していたが、時限爆弾はいつ爆発するかわからない。それでも、愛する人の傍で生き、その傍で死ぬことを望んだ。



 僕は、慈恩が好きだ。だから、彼に作られた人形を見る度に嫉妬をしてしまう。だから、お願いした。「僕の死体も、いつか君の作品にして。ずっと傍に置いといて」と。

 慈恩は相変わらず無愛想だけども、「わかった。ずっと傍にいれるようにするよ」と。

 とても嬉しかった。死んでも彼の傍にいれることが。だから、一等美しい姿で死なせてよ、神様。



 美しい春輝の横で、ずっと傍に居ることを望んだのですね、師匠。

 男は、完成した棺の前で、全てを出し尽くす勢いで泣いた。涙も声も何もかもを出し尽くして。



 そんな男の心は、悲しみと絶望の末に壊れた。



 男はこの美しい春輝のような死体を作り、その横で死ぬことを生き甲斐とした。

 それは二人の関係がこの世で1番目指すべき幸せで、渇望すべきものだと思ってしまったのだ。


 だから、男は死体を求めるようになった。勿論依頼も受けるが、それ以上に死体を求めた。

 ピエロの仮面は、なんとなく選んだ。師匠との始まりの思い出でもあったから。


 白いグランドピアノに触れないのは、あれは春輝に師匠が初めてプレゼントしたものだと知ってしまい、神聖なものに触れるわけにはいかないと思ったから。


 男の中で、2人は神を超えた存在と化した。



 カランカラン。



 男の耳に、玄関の扉に付けられたベルがなる音が聞こえた。



 僅かに話し声が聞こえる。男は、ピエロのマスクを拾うとそっと部屋から出て廊下に立つ。


「良太! ほんと大丈夫だろうな!?」

「兄ちゃんうるさいよ! あ、ラリー、勝手に進まない!」

「でも、ひじりお兄さんあっちいっちゃった」

「出てこい幽霊野郎!!!!」

「なんで!? あの人馬鹿なの!?」



 男は笑った。材料が自らやってきた。

 隠し扉を開けて、4階から地下室に向かう。

 ピエロマスクは、泣きながらにたりと笑っていた。



 

 

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