あの夏(5).docx

「――何せ、神様と契ったんだからなぁ」


 あの日、叔父さんはそう言っていた。

 


 この村には、子供へ語る雨神伝説とは、全く異なるもう一つの言い伝えがあった。


 昔、あまりにも強い神気のために、あらゆる病を癒やせると言われた水の神が山奥に暮らしていた。しかし、強すぎる気は生物にとって毒だった。神は人々から畏れ親しまれながらも決して交わる事が出来ず、長らく孤独だった。


 だがある時、一人の子供が神域に迷い込んだ。神は己の神気で子供を殺めはしないかと恐れたが、不思議とその子供は神の気にあてられる事は無かった。あまつさえそっと身を隠していた神の姿を認め、声を掛け手を差し伸べた。


 子供は村の境に捨てられていたみなしごで、村人の中には鬼の子だろうと陰口を叩く者もいた。水神の気に耐えられたのも、或いはその為だったのかもしれない。

 いずれにせよ、初めて孤独を癒やされた神は、その子供に恋をした。子供が幼いうちは友として交わり、やがて子供が成長すると恋人となって、思いを注いだ。


 しかし村人たちは、次第に幽世に溶け込んで行く子供の事を畏れ、恐怖した。そして村が流行病に見舞われた時、「神に好かれているあの子を供物として捧げればいい」と考えて、形ばかりの儀式の末に子供を引き立て、村外れの淵に突き落としてしまった。


 その直後、村は大雨に見舞われた。


 幾つもの家が流され人死にが出たが、水が引いた時、流行病は収まっていた。

 あの子供が自分達を許し、神を鎮めてさえくれたのだろうと、生き残った人々は思い、神の伴侶として子供の魂を祀った。


 夏の雨はふたりの逢瀬の合図なのだと、古い伝承には記されている。






 あの黄昏時、やがて押し入れを開けて姿を見せた神官は、「怖い思いをさせたね」と詫びながら私の頭を優しく撫でた。装束からも髪からも、あの噎せ返るほど濃密な水の香りが漂っていた。


「雨神さんに、会ったの」


 何も知らないふりで私が訊ねると、神官は柔らかく微笑んだ。


「――さっき来ていたけれど、あっさり通り過ぎてしまったよ。気まぐれなひとだからね」


 ほんのりと滲んだ紅が、艶めいた色を目尻に描いている。……その表情を見て、言い知れぬ苦みが私の胸に広がった。



 黄金に煌めく瞳に、低くからりとした声音に、いつの間にか惹かれていたのだった。

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