最終話 夢の淵へ

 男が連行されるのを見届けて廊下に出ると、デビッキは拍手だった。

「いやぁ、すごい。二人とも名演技だったよ。いいもの見せてもらったな」

 最初の部屋から現れたディアーヌと、黒服の女性ヴァネッサを改めて紹介される。抜群のスタイルを持つ美女二人に微笑みかけられ、ルゥはポーッとなってしまった。


「ほんと怖かったです。夢に出て来そう……。あの首はどうやったんですか?」

 今はヴァネッサの首から上はちゃんとあり、自分の顔にそっくりな作り物の生首を大事そうに抱えている。青い顔のメイクを施したままだが、ルゥに向けられた笑顔は輝くようだ。


「わたし、首と肩がすごくやわらかいの。だからこうやって」

 首を縮めて肩を上げ、ワンピースのタートルネックを伸ばしていくと頭の上まですっぽり隠れてしまった。灯りの下でよく見れば違和感はあるが、ほの暗い中では分からないだろう。


「ヴァネッサは本物の女優だからね。小道具までちゃんと準備してくれたし、迫真の演技だったよ」

「自分の首を抱えてさまよう幽霊の役を演じていたのよ。神父さまは舞台を見に来てくれて、この作戦を思いついたんでしょう?」

「その通り! ディアーヌもありがとう。おかげで犯人を捕まえられたよ」


「あの男、嘘しか吐かないのにベッドの中でも外でもえらぶって最低だったわ。そのくせ、まだヴァネッサがルームサービスを持ってくる前に、人の顔を見て死ぬほどビクビクしててね。何だったのかしら。でも神父さまの役に立てたならよかったわ」


 ディアーヌはプロの娼婦で、自分の店を持っているのだという。「サービスしてあげるわよ」と営業をかけられ、ルゥはタジタジになった。


「ねぇ神父さま、バスタブの血と髪の毛はどうやったの? すごすぎてあたしまで腰抜かすかと思ったもの」

「あれはね、本来ああいうのを祓うための術を逆転させたの。幻覚なんだよ」

「だから少し経ったら跡形もなく消えちゃったんだ。ていうかヴァネッサ、瓶で殴られてたじゃない。頭大丈夫だったの?」


「あの瓶も舞台用の小道具で、見た目はガラスだけど簡単に割れて危険もないのよ」

「そうなの。頭ぶつけて死んだときの演技があんまりリアルで、鳥肌が立ったわよ」

「ほんと? ありがとう。死体の役ばっかりやらされてたのが、こんなところで神父さまの役に立てるなんてね」


 所属劇団で今でこそ主演を務めることもあるヴァネッサだが、なかなか芽が出ずに何度も夢を諦めかけたのだという。


「そんな時、神父さまが励ましたり優しくしてくれたり、時には金銭を援助してくれたりして。わたしもディアーヌも今こうしていられるのは、神父さまがずっと味方でいてくれたからなの。だから神父さまとの友情は永遠だし、困った時にはいつでも言ってね」


「そうよ。神父さまに救われた元カノたちはあたしたち以外にもたくさんいるんだから。もっと頼りにしてちょうだいね」

「おれにはもったいない言葉だな。二人とも最高だよ」

 そう言って抱擁し、互いに頬へキスし合った。


「じゃあまたね、神父さま」

「うん。体に気をつけるんだよ」


 手を振り二人が出て行くと、他に誰もいなくなった。最初から騒ぎを起こすつもりだったので、今夜はワンフロアを全て押さえておいたのだ。

「ありがとうデビッキ。僕たちのためにこんなに大がかりな芝居までしてくれて」

 フランに見つめられ、デビッキが口角だけを上げる。


「礼なんて言わないで。それにまだ終わってないよ」

 見上げるのはルゥの右上だ。


「気は済んだかい? 約束通り君を葬還する。先に言っておくが、人に干渉してしまった以上、君に魂の安息はない。だから本来なら消滅させるんだけど、今回は特別に神の御許へ送ってやる。けどおれも死んだことはないから、送った後のことは知らないし、ホントのところどうなるのか分からないけどな」

 しばしの沈黙。幽霊が何か話しているのだろう。


「もし神の御許で祈ることが許されるなら、一番に君たち二人の安全と幸せを願うって。泣いて謝ってるよ。許してやる?」

 フランと顔を合わせる。フランは最初から怒ってなどいなかったし、ルゥも頷くしかない。


「幽霊さん、あなたのご遺体はきっとライザ署長が見つけてくれると思う。僕は火葬場のオーナーでね、もしかするとあなたのご遺体がうちに来るかもしれない。そうしたらまた会えるね」

 握手を求めるように、フランが中空へ手を伸ばす。

「あなたが救われるように僕も祈っているよ」


 もし遺体が見つかって火葬されるとしても、その時にはもう彼女の魂は既にいない。けれど天使の白き炎フランベルジェに包まれるとご遺体は光に抱かれたようになる。その光はきっと天上の彼女にも伝わるはずだ。

「おれも、幽霊さんのこと忘れません。どうか天上でお幸せに」


 デビッキが聖護札を取り出す。ルゥに向け、ふっと力を込めた。

夢淵スース

 札がふわりと舞い、不思議なことに燃え尽きてしまった。

「終わったよ」


 フランに顔をのぞき込まれる。

「どう? 幽霊がいなくなって何か変わった?」

「えっと……特に何も変わりませんね」

「そっか。何ともないなら安心だけど」


「憑りつかれると、人によっては肩が凝ったりやたら体が重たくなったりするんだけどね。ルゥ君が鈍感すぎたってことだな」

「幽霊なんか感じない方が怖い思いしなくて済むじゃないですか!」


「そう? おれは生まれつきこうだったから、みんな同じものを見えてると思ってたけどね。それと、一度憑かれた人は二度目三度目もありえるからね」

「ええぇえ⁉︎ なにそれぇ、安心できないし!」


「あー、おれは疲れたよ。せっかくワンフロア貸し切ったんだから泊まっていかない?」

 その提案にフランも頷く。

「そうだね。ふふっ、お風呂の排水口から何か出てきたりして」

「ちょっ、怖がらせないでくださいよぉ! 一人で入れなくなるじゃないですか」

 想像してしまい、二の腕をさする。


「フラン君も怖いよね? 二人っきりで一緒に濡れ合おうか。おれがいれば何があっても絶対守ってあげられるからさ」

「僕は怖くないよ。お風呂も寝るのも一人で平気だから」

「フランさん行かないで! 同じ部屋にしましょうよぅ!」

「えぇ?」


 結局、ワンフロアを貸し切ったのに三人一部屋で過ごしたのだった。

 バスルームの鏡の角で、ナニカがこちらを覗いていたことは知らぬまま。



□■


 それきり、猫は現れなくなった。次の誰かを救いに行ったのかもしれない。

 少し寂しそうなフランに元気になってほしくて、今朝は卵液を丁寧に漉してふわとろのオムレツを作った。特別にバターをたっぷり使って、贅沢に仕上げたのだ。


「おいしかったよ。じゃあ行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

 オーナー室から火葬炉の炉裏へと向かう、黒い天使の背中をルゥは見送る。


 先のことはどうなるか分からない。だからこそ、常に目の前の一食をフランにときめいてもらえるようなごはんを作ること。ルゥにできるのはそれを繰り返すだけだ。


「けど、恋人なんかには負けないし。そうだ、もしフランさんが結婚しても、奥さんの分までおれが作ればいいんだ。名案じゃん!」


                ≪END≫

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魂を売る黒い天使と名前のない恋人 乃木ちひろ @chihircenciel

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