どんな姿でもきっと

佐藤ぶそあ

どんな姿でもきっと

「ねえ、私が全裸中年男性だった、って言ったらどう思う?」

 和田島先輩が、読んでいたペーパーバックから視線を上げて、真剣な表情でおかしなことを言った。

 あたしはノートパソコンに文字を打ち込む手を止めて、首を傾げる。言葉が脳まで浸透していない感じ。

「うーん、全裸は言いすぎね。全裸はなしで。中年男性だったの。おじさん、ね?」

「ね、と言われましても……」

 助けを求めるように視線を左右に動かして、けれど文芸部の部室にはやっぱりあたしと和田島先輩しかいなかった。

 田の字に並べた机の、向かって正面に腰を下ろした和田島先輩は、アイスを二人分だけ買って来たのと打ち明けてきたときと同じ空気を纏っている。

 あたしと和田島先輩しかいないんじゃなくて、きっとそういう今だから、の言葉だ。

 慎重に口を開く。

「ええと、あたしにドキドキしたりしてくれます?」

「えっ」

 和田島先輩が素っ頓狂な声を上げる。なんだそれ。微塵も考えてなかった、みたいな。

「先輩、中年男性。あたし、女子高生。他に誰もいない放課後の教室で二人きり。どうです?」

「あ、その、ごめんね。私の言い方が悪かった。そういうんじゃなくて」

 そういうんじゃなくて!

「じゃあどういうのなんですか!」

 心と口が同時に動いた。

「私がおじさんみたいな嗜好、とかじゃなくて……ここにいる私がおじさんだったら、っていうか」

「守衛さんを呼びます」

「ええ~」

 今度は微妙な顔をする和田島先輩。

「いや、高校に先生でも職員さんでもないおじさんがいたらだめですよ」

「そうなんだけど、そうじゃなくて……」

 和田島先輩は眉根を寄せて、上手い例えが思いつかないな、と呟いている。

「なんですか。そういうシチュでもあったんです?」

 あたしに声をかける前に和田島先輩が読んでいた小説。格好をつけてペーパーバックなんて言ってしまったけれど、たぶんカバーを外した新文芸だ。

「前世が全裸中年男性、とか」

「どうしてわかったの!?」

 いや、どうしてと言われても。もちろん新文芸には転生者なんていない物語だって多いけれど、話の流れで考えたらそういう作品だったのかな、というのはあたしじゃなくても想像するはずだ。

「うん、そう。ついさっき記憶が戻ったの。私の前世はおじさんで、だけど今こうやって女子高生をしてる。それって後輩的にはどう思う?」

 シチュとしてはよくある奴だ。TSは転生ものの華。肉体的GLか、精神的BLか。いやそもそも、前世がおじさんであるなら精神年齢の差が先に来るわけで。

「おじさんは何歳なんですか? 三十歳くらい?」

「…………アラフォー」

 沈黙が長かった。和田島先輩の中では三十歳はおじさんカウントに入らないのかもしれない。渋みが足りないとかそういう。

 いや、渋みなんかあったらダメか。ただの中年男性ではない。全裸なのだ。

 それが頭につくだけで、かなり方向性が絞られる。腹筋がバキバキに割れてる金髪オールバックとかでは、絶対ない。それはもう全裸中年男性じゃなくて、ラスボスがシャワー浴びたあとバスローブを着るまでのほんの数十秒のカットとかそういうのだ。

「お腹がぽっこり出てたりします?」

「気を付けてたけどどうしてもね」

「先輩は細いじゃないですか」

 ジト目で和田島先輩をにらむ。同じアイスを食べたはずなのに、あたしだけお腹に肉が行くのはたぶん世界のバグだ。

「おじさんが、おじさんがね」

「そうでした」

 小太りのおじさん。それを頭の中で想像して、首の上に和田島先輩の顔を乗せてみる。ばけもの。いやそうじゃなくて。顔もおじさん。声もおじさん。

 たぶん加齢臭とかもするんだろうな。でも経済力はあるのかも。アイスは奢ってくれたりするだろうか。女子高生にアイスを奢る中年男性がセーフかアウトかという大問題はあるけれど。

 ああ、いや、転生ものと言えば前世は不遇というのが定番だ。

「もしかして無職だったり?」

「ブラック勤務のクソ社畜」

 なるほどそっちか。頭の中の和田島おじさんを微修正する。

 よれっとしたスーツに剃り残した髭。たぶんコーヒーかエナドリの飲み過ぎで内臓がやられている。……全裸要素がどこかに行ってしまった。

 いや、自宅では裸族。これだ。

 朝から晩まで激務をこなして、ようやく家に帰ってきた和田島先輩は、すべてを脱ぎ捨てて自由になる。羽ばたき出した心の赴くまま、パソコンに向かってカタカタと文章を打つ。そうだ、これならしっかりくる。

 あれ、でもそうすると。

 あたしは脳内に作り上げた和田島おじさんのシミュレートに、疑問を覚えた。

「先輩先輩、ちょっと頭の中でおじさんにひどい設定を盛ってみたんですけど……」

「なんで盛ってみたのかわかんないけど、うん、どうしたの」

「そのおじさんな先輩、どうあっても小説を書いてません?」

 小さく息を呑む和田島先輩。少しして、ぼそりと吐き出される返事。

「……書いている、ね」

「じゃあきっと、好きになりますよ」

 どこかの小説投稿サイトで、コミケや文学フリマみたいなイベントで、もしかしたら本屋の書棚で、出会い、あたしはその文章を読むだろう。

「へ、へえ……そう」

 なんだか言葉選びを致命的に間違えたのではないか。ドン引きされている気がする。

「ファンに、ファンにね? なりますよ!」

「……そっちの方が恥ずかしくない?」

 和田島先輩の声に、照れからか笑いが混じる。

 ずるい人だ。

 いいや、先に逃げたのはあたしの方だ。

 冗談で装飾しないと、好意ひとつ伝えられない。

「今年の部誌のテーマは、和田島先輩異世界転生アンソロにしましょうか」

「誰が得するの、それ」

「和田島先輩以外の文芸部員一同ですかね」

 せいぜい憎たらしい後輩らしく見えるよう、和田島先輩に笑ってやった。


〈どんな姿でもきっと・了〉

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